珠玉の短編_Fotor

言葉用重箱の隅をつついて紡ぎ出す〜『珠玉の短編』

◆山田詠美著『珠玉の短編』
出版社:講談社
発売時期:2016年6月

ひとつの言葉から連想ゲームにようにして小説世界が広がっていく。本書はそのような掌編ばかりを収めたコンセプチュアルな短編集です。
「食べる」「食う」という言葉から想像を膨らませる《サヴァラン夫人》。「骨」にまつわる《骨まで愛して‥みた》。「虫やしない」という古い言葉から「虫」や「養う」ことへと話が飛翔していく《虫やしない》……。

表題作がおもしろい。自分の作品に「珠玉の短編」と編集者に書かれた作家が不快感を爆発させるという内容です。そもそもその短編は兄と妹が獣のような近親相姦の禁忌故の快楽に溺れ、それを追求するあまりに、果ては互いの心身を傷付け合い、殺し合うという物語。「珠玉」とはほど遠い作品のはずなのです。

漱子は「珠玉の短編」とはそもそも何であるかを考え始めます。そして「珠玉」という言葉が頭から離れなくなってしまいます。

……珠玉に対する免疫がまるでなかった心身に、それは、やすやすと棲み付いて、分裂を繰り返して増殖し、彼女に症状を広げようとしていた。そして、しまった、と慌てた時には、もう遅かったのである。(p40)

そうして漱子は「珠玉」という言葉にとらわれてしまい、ついには自ら作品を書き直すに至ります……。

ついでに付記すれば、主人公の名前からもわかるように、本作では国民的大作家に対するパロディ精神も遺憾なく発揮されています。もちろんそれは反権威的な諷刺というレベルにはおさまらない、作者なりのオマージュと読むべきでしょう。

《箱入り娘》もよく出来ています。「箱入り娘」から、きれいな箱入りの高級果物のイメージへと展開し、チェストと呼ばれる籐の箱の中に主人公が閉じ込められたりしながら、そして最後には……。ブラックユーモア風のオチが利いています。

川端康成文学賞を受賞した《生鮮てるてる坊主》は男と女の「友情」をテーマにした作品。一組の夫婦と仲の良い語り手の女性の三者の関係が軸になっていて、語り手の私は、夫である勝見孝一と「友情」を保っていると考えています。妻の虹子は最初から心の不安定な人物として登場しているのですが、語り手の私の不気味さも尋常ではありません。

山田は、週刊読書ウェブのインタビューのなかで「『友情』って、すごく素晴らしいもののように思えるし、主人公たちも最初はそう思っているんだけれど、それがいかに人を圧迫し、ある時は武器にもなって、人間をモンスターに変えてしまうこともある」と述べています。なるほど本書のなかではもっとも人間の機微を穿った深い作品のように感じられました。

昨今は文学者までもが政治的正論を叫ばねばならぬほどに日本社会の腐敗が進行しています。とはいえ、山田の「まとまった塊の危機感ってあまり信じていない」という態度もまた文学者のそれとしては極めて正当なものでしょう。というより、文学者とは元来そのような存在だったはずです。彼女のいう「顰蹙文学」のようなあり方もけっして排斥されるべきではないと思います。

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