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『愛の不時着』のエンディング––「リアル」と「夢幻」が交錯する二重構造––

※ネタバレを含みますので、本作品をご視聴前の方はご注意ください

『愛の不時着』は今日もネットフリックス(日本)の総合10位以内に入っており、その人気は衰える気配がない。『冬のソナタ』が、韓流ドラマというすてきなコンテンツの存在を日本に知らしめた歴史的名作であったとすれば、『愛の不時着』は、韓流の映像作品が、世界的に通用する高価値を持つコンテンツへと見事な成熟を遂げたことを宣言するという意味での画期的名作と言えるのかもしれない。

今回、私は、今なおホットな『愛の不時着』のエンディングがもたらす印象と効果について考察してみたい。

『愛の不時着』は言うまでもなくファンタジーなので、一見荒唐無稽とも思えるドラマチックなできごとが次々に展開していく。それでも、視聴者は不思議なほどのリアリティーを感じながら作品世界へぐいぐい引き込まれていく。それは第一に脚本の力によるところが大きい。ユーモアと涙とサスペンスの配合や伏線回収が絶妙だし、脇役陣も含め一人一人の登場人物のキャラクター設定や心理描写がとても丁寧なのだ。なおかつどの俳優も役柄にピタリとハマっていて、真に迫るすばらしい演技をしているから、なおさら視聴者は虜になる。采配をふるう監督らの力量にも脱帽するばかりだ。

この作品にはいくつかの山場があるが、中でも最大の山場は、やはり最終話の軍事境界線での別れのシーンではないだろうか。何とか一命を取り留めたユン・セリとリ・ジョンヒョクの永遠の別れとなるかもしれないシーン。ジョンヒョクにすがりついて「もう一生二度と会えないの?どうしよう、会いたくてたまらなくなったら」と泣きながら訴えるセリ。ジョンヒョクは「心から会いたいと願い続けていればきっと会える」と涙ながらにセリに言い聞かせる。ここで、ドラマのリアリティーは最高潮に達する。私たちは、切ない別れのシーンに、胸を引き裂かれるほど共感の涙を流しながら、この二人に必ずや希望的な未来が訪れてほしいという切実な期待感を抱かずにはいられない。

でも、南北朝鮮に横たわる分断の厳しい現実の前では、おそらく二人は二度と再会できないのであろうと理性がささやく。統一もけして夢物語ではないし、ジョンヒョクの亡命の可能性だってゼロではない。しかし、南北分断という障壁の大きさは、当事者である南北朝鮮の人々でなくとも、一定の想像がつく。

その後、ジョンヒョクが送還前に予約送信システムを使って用意していたメールによって生きる活力を維持するセリの様子が描かれ、スイスでの奇跡的な再会シーンへとつながっていく。一年に二週間だけ、織り姫と彦星のように濃密な逢瀬の時を過ごす二人の睦まじい姿が、壮大なスイスの山々を背景に、夢幻のように美しく映し出される。スイスはさながらユートピアのようだ。

この美しいエンディングは、セリとジョンヒョクの願望の成就であるとともに、中隊員たちやセリの家族といった応援者たち、そして私たち視聴者の願望の成就にほかならない。だが、あまりにも美しいだけに、何かはかないおとぎ話を見ているような感じがするのは私だけであろうか?

また、あのような形で二人が再会できたのは、セリの莫大な経済力や社会的地位と、ジョンヒョクの北朝鮮軍総政治局長の息子という恵まれた立場によるところが大きい。いわば、双方の願いの強さという内的要素に財力や地位という外的要素が加わって実現した再会。よくできたハッピーエンドではあるが、二人が庶民ならあり得なかっただろうと思うと、一抹の違和感のようなものが残ることも事実だ。

その意味でも、物語のリアリティーは、あの軍事境界線上の別れのシーンでピークに達したが、このハッピーエンドにはリアリティーが希薄なのだ。ファンタジーにリアリティーを求めるのはそもそも筋違いかもしれないが、あのエンディングを見ていると、これは二人の「リアル」ではなく、夢の中での願望の成就なのだろうな、と心のどこかで思ってしまう。

それでもなお、このエンディングは極めて巧みに作られていると言える。なぜなら、南北に分断された愛し合うカップルの「リアル」の部分をソ・ダンとク・スンジュンの悲恋にになわせ、「夢幻」をユン・セリとリ・ジョンヒョクに託すという二重構造によってーーまた、その二組のカップルの緊張感あふれる命がけの恋愛の進行が、スピーディーかつ絶妙なタイミングでの画面の切り替えという形で交錯して描かれることによって――、視聴者の心に深い感慨を呼び起こすことに成功しているからだ。結果として、私たちは現実認識と願望成就の両方を同時に受け取る。それゆえ、「ハッピーエンド」を喜びながら、同時に切なさがとめどなく湧いてくる。そこに、このエンディングの仕掛けの巧妙さと重層性がある。

これは、『愛の不時着』を純粋に恋愛ドラマとして楽しむスタンスとは違い、ユン・セリとリ・ジョンヒョクの愛の成就と南北朝鮮統一を重ねるような、社会派ドラマとしての見方に偏り過ぎているのかもしれない。だが、二人の愛の姿が美しければ美しいほど、このドラマに込められているであろう、または通奏低音のように流れ続けている、南北分断の悲劇と統一への悲願の声なき声が、私の耳に強くこだましてくるのだ。

余談だが、年明け早々に、主演二人が交際を認めたというニュースが飛び込んできた。あまりにもお似合いなソン・イェジン&ヒョンビンのカップルは、すっかりユン・セリ&リ・ジョンヒョクのカップルと同一視されており、世間は二人の交際を祝福するムードであふれている。二人には、一年に二週間なんていう限定的でもどかしい結ばれ方でなく、もっと存分に結ばれて思いきり幸せになってほしいという願望が人々の間にくすぶっていたのではないだろうか。

私個人に関して言うと、二人の交際報道によって、ようやくユン・セリとリ・ジョンヒョクが「リアル」に現世的な愛を成就したように感じられて、何かとても嬉しい気持ちになった。つまりは、ファンタジーとリアルの世界を地続きにしてしまうほど、『愛の不時着』は特別な作品なのだ。

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