しんどいはチャレンジしてる証だよ
「しんどい」が最近の口癖。毎日1回以上はは口にちゃうし感じる。
自己暗示してんじゃないのか、ていうくらいしんどいが口を吐いて出るから、本当にしんどいのかどうかすらわからなくなるけど、しんどい。
なにがしんどいのかもよくわからん、と思ってたら思い出したことがあった。
過去の栄光がつまりまくってる中学時代。その中でもとっておきの思い出を。
中学1年のころかな、定期テストの総合得点で学年4位をとったことがある。
とっても嬉しかった。10番代をとったことはあったけど、いきなり1桁、しかも片手でおさまる!まぐれで偶然でも嬉しかった。
わたし以上に両親は喜んでたように思う。珍しくお小遣いをくれたりもしたし、褒めてくれたような気もする。
だけど、そんな親を見て「もし次のテストでまた良い点をとったら、ずっと親からの期待とプレッシャーがつきまとうのかもしれない」と思った。
学年で4位をとって親が喜んでくれた瞬間、わたしは無意識にか意図的にか頑張る量を減らしたように思う。
想像できる期待やプレッシャーから逃げ出したのだ。
高校からつい最近まで、大好きな推しがいてずーーーーっと応援していた。
憧れだったし、こんな風になりたいといつも思っていた。
わたしの場合ファンというのは、理想のわたしにすでになってる推しを応援していたように思う。
推しだって今に至るまでたくさんの年月と努力をしてきた。だけど、わたしはそんな辛い思いしたくないから、と完成された推しを気持ちよく応援していたのだ。
しかし、それだけで終わらないのが推しのパワー!
24歳のわたしは、中学生時代には歩まなかった道を選んでいるような気がする。
期待やプレッシャーを感じたくなかったから逃げ出したのに、推しの休止のタイミングとわたしのタイミングががっちりはまってしまった。
今やらないとわたしは一生変われない。
その想いでわたしは行動して、こんなしんどいのに「ああ、推しもこんな思いだったのかもしれない」と気を紛らわせて、わたしがわたしに「やめていいよ」と言ってくれないから超しんどい。
親の期待とプレッシャーから逃げ出したのに、わたしがわたしに期待とプレッシャーを盛大にかけているのだ。
たぶん逃げ出した中学生のわたしも救うために。
いつまでしんどくて、なにをしたらしんどいが終わるのかもわからない。とりあえず今は、しんどいの理由がわかった気がするから少しだけラクになったように思う。
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