原爆と少年の話し

 原爆と少年の話しと言えば、焼き場に立つ少年の話しもあるが、

 井伏鱒二の「黒い雨」(新潮文庫150頁)において、可部線の山本駅から古市に向かう電車の中で少年と父親の話しが出てくる。

 最もこの箇所は井伏鱒二の創作も含まれると思われるが(当時、可部線山本駅はすでに廃駅)少年の話しは本当だろうと思われる。つまり、少年は父親に見棄てられたのである。見捨てられたというより、「見殺し」という表現のほうが良いかも知れない。そして父親は父親で「子どもを裏切った」という意識を背負い生きなければならないという「罪意識」を背負わせたのが原爆でもあったという事で, さらに、原爆は無差別大量殺戮を行っただけではなく、家族・近隣・職場、地域社会という「生のメカニズム」も破壊したのです。
 戦争の究極とは原爆でしょうが、戦争というのは勝った方が「正義」を名乗り、負けた方は「不正義」とされます。その中において米軍のカーチス・ルメイは裁判にかけられるずに済んだと喜んで「正義」をかざし日本政府から勲章まで受けている矛盾を読者のみなさまはいかように思われますか。



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