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専門家への不信感がわいた理由。そして、まずはじめに必要だったこと

私が小6の頃。部屋からなかなか出ない妹の部屋に、心理カウンセラーの女性が数回(恐らく4、5回)通ってくれていたのですが、結局妹は最後まで心を開かずに、何も変わらずでした。その時、人の人生を背負うなんて重たすぎることだなと、ほんの少しあった期待感や憧れに、当時は蓋をしたのでした。。

… あれから約30年!(きみまろ風に)

浅はかだったなぁ〜と思います(まぁまだ12歳だったので^_^)そんな数回で何かが変わることはないし、そもそも目的を聞かされていなくて、親も試行錯誤していたはず。
今ではだいぶ決めつけや期待感が払拭され、必要な部分を頼れるようになりましたし、自分の無力さ(否定感じゃなく)も穏やかに腑に落ち、過ごせるようになりました。何度かたらい回しにあったり、ムリですとか言われたり、呆れられたりもしたけど、(ぶっちゃけ、それでも人か!なハズレもありましたけど爆
そのお陰でもっと理解あるとこ探そう!と思えたり、知らない専門職がたくさんある事も知りました。

ただ、全て自力で繋がるほうが手っ取り早い…という現代社会の在り方は、やはり疑問を感じます。変わってないというか、混乱する人は増えているのに。

頼る必要のない方はいいと思うのですが、
本来なら頼りたい人は多い気がするため整理して書いてみようと思います。


★専門家への不信感、苦手感がわく理由

話すときに、目的のズレを感じる
相談したいタイミングって何かしら「負」を追い、マイナスからのスタート。元気ではない状態も多いです。
そこにまず必要なのがおそらく「承認」であるために、専門性の高い「正論」が耳に入ってこないことも一因かもしれません。自分に必要なサポートが今何かをまず整理できるといいけど、そこができないから相談したいという人も多いです。

・頼ることに慣れていない、また否定感を感じやすい。我慢を美徳とする教育や、別意見や諭じられること=全否定と捉えてしまう思考にあったり、目的が違う時に対話に持ち込みにくい性質?を日本人に感じます。
今は特に世代間での価値観の幅も多様化しているしね💦
(これは相談者側にも専門家側にも感じること。もちろん私も。ただ、対話って体力必要。話し合えない人に「話し合わなきゃ!」を求めることは、暴力的な場合もありますね。)

・期待しすぎたり、寄りかかりすぎてしまったりする。拠り所がないため相談先に役割以上のことを求めてしまうケースも。ただそれは、拠り所を簡単には作れない、構築しづらい社会の現れかと思います。


★専門家の目的は、私たちとだいたいおなじ

専門家の皆さんも元はと言えば、それを目指した理由があると思います。
そこに助けが必要な人がいるからこそ、長い年月をかけて勉強し、経験をつみ苦労され、使命感をもち、自己投資をして、その資格を得られます。

知れば知るほど、、きっと相談者と同調してはいけない。(共感は別)
なぜならば「専門家だから」です。

その線引きに、整理しないまま感情的なまま相談せざるを得ない当事者としては、冷たさや厳しさを感じることが多いのだと思います。
(そこをつなぐ役が本来ほしい。。医者でいうなら看護師さんとかはそうなりやすいかな?)

問題が分かるからこそ、自分の苦労など全て横に置いて話を聴き、冷静な判断をし、その人を想うからこそ、いちばんラクだろうという提案をしてくれるのが専門家であると思います。全ての方がそうではないかもしれませんが、リスクが大きく普通の人がなかなか出来ないことを生業とされている方々の背景というのも、また深く大きなものだと思うのです。

※だから崇拝しないと、ということではありません。アドバイスを活かすかは相談者が決めたらよい事ですよね!


★期待はしない。でも、信頼してみる

勘違いしてはいけないのが、あくまでも人と人。
絶対にこの人が解決くれるという「期待」はしてはならないと思っています。頼らないという意味ではなく、つまり軸は自分に、ということ。聞いた上で、さてどうしようと考えること。これは学校やパートナーとのお付き合いや子育てにも通じることかと思います。

ただ、判断が難しいとき、決められないときはある。

この人なら信じていいな!と思える人が一人いるだけで全く心持ちが変わるのは確かです。
そんな相談先に出会うとリラックスし、それだけで50%は解決してるような気分にすらなります。←実際現実は変わってなくても〜そして現実に向き合う余力が出てくる!

ちなみに相談者は、その専門性にどんなことを求めていいのか分からないことが多いです。
そして初めて会うなら、それはお互い様です。
だからこそ、自分の抱えることは話し、時にはユーモアで噛み砕きながら腹をわる。

また、親が信頼した人はわりと子どももリラックスしたりします。(あくまでも当社比ですが)

理解してもらうためにも整理して伝えていく、質問するなどのコミュニケーション。
これが難しいのだけど、数年でかなり鍛錬したなと感じます(^◇^;)

沢山話したい、認めてほしい気持ちが強いならカウンセラーさんに〜とか、子どもの勉強なら教えられる人や機関や、学校の先生、オンライン学習選びをしたりとか、体調が悪いなら医師に〜など、頼り分けていくこと。
それって当たり前じゃん?に見えることではありますが、、。


★問題を細分化する専門家はいない

しかしその使い分けが、不登校など複雑に絡み合う場合、親こそ当事者なので、とても難しいです。
学校で子どもに辛いことがあったなら、学校へ相談する選択肢は無くなってしまいます。

それに話すだけで涙が出てしまう時期が私もありましたが(鬱状態)そんな状態だと誰にも伝わりません。。

身体のどの部分が?とかなら分かりやすいけれども、複合的なことはどこが良いとは言い切れない。
とりあえず学校から紹介された先に、と相談に行ったけど、あれ?何か違う?と玉砕してる方も多くいる印象。

どこかに聞きたくて電話一本かけるのに、整理できてないから数時間いやだなぁーとか、電話してみてもピンとこなかったり。←私はよくグズグズしてました(^◇^;)問い合わせても、例えば居場所情報などは分からなかったり。

子どもの事ならば、その間、子どもは放置になります。
そして子どもの事が発端なのに、親の悩みに繋がってしまっていること。そこにも気づけなかったりします。

本来ならば段階を踏んで体調や思考を丁寧に整えながら落ち着いてやりたいところを、、

学校や家族の心ないひと言に傷付いたり麻痺させたりしながら、、。
自分の想いはかき消されつつ、言葉や想いが一致しないまま動く親は多いです。

そのため、だいたいのママや子どもは混乱期に体調不良をかかえてしまいます。


★断絶をつなぐために

まずは、整理をすること。
まずは、親御さんと子どもの心身が落ち着くこと。
雑音を消すこと。
雑音のない中で、親はお子さんを観察すること。
できたらサポーターとともに。
が、一番はじめに必要になると考えます。(いったん学校へ行かない、登校刺激を断つことの重要性はここだと思ってます)
休み始めの子にいきなり「学習」だなんて、無理です。



その整理や切り分けの専門家は、、、

いません!?(笑)(^◇^;)


おそらくいちばん近いのが、ソーシャルスクールワーカーさん。けれど貧困家庭など深い問題を抱える家庭対応に多忙を極められています。今後は私の地域でも増やしてくれるそうですが、福祉が必要な子と必要でない子もいる中で幅がとにかく広いし、待つこともあるでしょう。コミュニティスクールも推奨されテスト的に始まった学校もありますが、具体的なことはまだ見えません。

結局親が気持ちを切り替えてしまうのが一番早い〜、民間で作ってしまうのが早い〜になってしまうのが、今なのだろうと思います。

個人の気持ちを切り替えることや、横で繋がること、
幸せになる努力をすることは、もちろん必要。

でもそれとは違い、人として最低限大切にされていい部分や、困った時にSOSを出せる仕組みを作る努力が、他でとても必要じゃないかと感じています。

おそらく社会でも影の部分なので、動きとしては日が当たりにくい。でもそこを無しにして、教育だの学びだのが成り立たない家庭がたくさんあるということは、もっと知られて良いはずです。


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