見出し画像

私にとってのアートは、エゴを満たすもの。

一応アートと名のつく場をやってはいるものの、分かりやすくするために付けたのであって、「アート」という言葉は私にとっては前から、素晴らしいものというより、エゴを満たすもの、掃き溜めのための表現でした。

もちろん言葉の定義は人それぞれなので、絶対そうだ!ではありません。私の場合です。

今でもそうなのですが、絶対に誰かいるところでは根底からの表現や、作業も出来ないのです。
家族、子どもでも無理。必ずひとりがいい。
内側から創造してゆくもの、孤独でひたすら自分と向き合うもの。
そうしなければ生きていけないほど、湧き上がるものが私にとってのアート。

デザインは、逆に目的を視覚化するために練られて計算されて、見る人を導くものと捉えています。
もちろんそこにインスピレーションは大事だけど、情報収集や観察、客観性も大切になるから、他人が必要。

アートは、そんなものすら受け付けない中で爆発させてゆく、逆に自らの中のゴミを出して捨ててゆくもの。
そんなイメージですが、それが私はとても好き。

二十歳こえてからはアート活動もしていたけれど、勤めた会社でデザイン作業やイラストレーション作業に移行してゆきました。
個で満足していた段階から、他者とコミュニケーションを取りたい時期へ移行したのかもしれません。クライアントの喜ぶ顔はとても嬉しかった。

特に子どもを産んでからは創作意欲がほんとうに無くなり…それはさすがに悩みました。
私の健全性を守り空虚感を埋めてきた、もしくは吐き散らしてきた表現活動が必要無くなってきたという点では、成長・成熟できたのかもしれません。

でも、なぜ描けないのかは知りたくて、色彩学校へ入り色彩心理を学びに通いました。
結果、ひたすら自分を知る作業となり、根源的な想いに到達してゆく大きい自己研究となりました。
そこから付き合う人達も変わってゆき、今の土台はそこからきていると思います。

いつか思い切り描きたいな!とは思うので、
心地よいタイミングがくればきっとやるでしょう^_^
今は冷静に、自分の欲求や役割を受け止めバランスを保っています。

今の自粛生活の中で、美術やアートの大切さもうたわれています。
世界中の美術館に投資がされオンラインでも観に行ける状態にもなっていたりして、これは本当に凄い!
のだけど、くれぐれも押しつけることなく、「アーティスト活動や美術鑑賞の素晴らしさ」を、個人個人の心地よさで選べるように、と願います。

アートは負のエネルギーをぶつけるものも多いので、
本当に感受性の強い人は酔ったり具合が悪くなる作品もあります。
抽象的な絵は特にそうで、それを感じ取るのも個の自由だからこそ、
気持ちが落ち込んでいたり、
病に伏せている時には、
激しい色彩やよくわからない形に共鳴したり
拒否反応が起きたりもします。

実際、病室に抽象画を飾ると、病状が悪くなる人が多かった。そのようなデータもあるようです。

デフォルトがマイナスイメージの場では、できれば明るめで薄い配色や、自然界にある色、形、写真などがいいでしょう。ただ本人が好き、心地よいと感じるものならば抽象的でも問題ないと思います。

子どもたちにも、「この作品は有名なんだよ〜素晴らしいよね〜」とか、大人主観で突然見せたりすると、
え、何が、、、?(良さが分からない、つまらない)と感じてしまう場合もありますので、お気をつけて…(笑)

(この画家はこういう人生を過ごして、この絵はあのキッカケで描いたのだそうだよ。とか、
切り口を変えると興味を持ちやすくなる可能性が広まります。興味がある子には逆にどんどん見せてあげて欲しいし、知らんぷりして画材や廃材を好きに散らかさせてほしい♪)

そのかわり、見え方感じ方は日々変わります。
それは私たちが日々変化しているということ。とても自然なこと。
見え方や好みも、体調のバロメーターになりますね♪

画像1


サポートいただけると励みになります!