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偏頭痛とバターの香り(2-2)

2-1↓よりお願いします!

第2部がスタートしましたね!一応あらすじを紹介しておくと、主人公は15歳の女の子です。で、その女の子に付きまとうのが、砂壁に塗り込まれた男です。この男は、何度も姿を変えて、女の子の前に現れます。ほんとにしつこいくらい繰り返し現れるのですが、それは女の子の心の不安定さに由来します。

この小説はネタバレとかないので、結末を書いちゃいますが、女の子は最終的に悩みの源泉である自らの身体を燃やして、別の空間に移動します。そこでは、今まで女の子につきまとってきた男が、しょんぼりした様子で、階段に腰を下ろしています。女の子は男の隣に座って、今までは気づかなかった男の悩みを聞きます。

このシーンは非常に抽象的で、当時の僕はこうすれば具体的に書くよりも、ずっと多くのことをすくい取れると考えていました。ただ、今読み返すと、なかなか難しいところのある小説ですね。そもそも、読み手への意識が薄すぎます。これ、説明がなかったら、とても読めたもんじゃないですね。

はい、以下小説の続きです。この小説、意外といろんなところからアイデアを引っ張ってきているので、次回以降の記事では、思い出した端から、順に紹介できたらな、と思います。では。


2.
 蝉が死んでいた。彼女はまるで当たり前のことのように、死がいをローファーのつま先で蹴とばし、側溝に落とした。サクと落ち葉の受け止める、乾いた音がした。雲に隠れた太陽は、いまだに存在感を保っていた。雲に漂白された太陽の光は、赤みを帯び始めていた。風はどこからも吹いてこなかった。彼女は重い空気をかき分けるようにして歩いた。灰色に汚れたような顔には、汗粒一つ浮かんでいなかった。汗をかかない、というより汗がうまいこと出てこない、というような感じで、涼しげというよりは、苦しげだった。
空が低く下がってきた。平坦だったはずの道は、焼いた餅のようにぷっくりと膨らみ、坂道を作り始めた。彼女は自宅までの道を、転ばないように気を付けながら、普段より時間をかけてたどった。
 家のドアを開けると、母親の声、それも彼女に向けて発した言葉が聞こえたが、彼女は黙ったままそれをかいくぐり、二階の自室に入った。後ろ手で閉めたドアに母親の声が激突して、威嚇する猫のような音を出して消えた。
窓が開いていて、薄いカーテンが柔らかく膨らんでいた。だが、風そのものはいつまでたっても肌に触れない。さっきまで嗅いでいた外の匂い――腐った蝉や蚯蚓の匂い、踏みつけられた直後のセメントの匂い、太陽が赤く剝けるときの匂い、などが部屋の中に溜まっていた。彼女は鞄を放って、制服のまま、ベッドに横たわった。
偏頭痛はひどくなるばかりだった。目をつむると、平衡感覚がなくなった。そして、痛みだけでなく、吐き気も意識することになった。まぶたの裏の暗闇の中で、小さな光がパチパチとはじけた。けばけばしい光だった。
 もはや安静にしていられない痛みが彼女を蝕んだ。彼女は片手で頭をおさえながら(ほとんど髪の毛を握りしめるようになっていた)、揺れる足取りで、頭痛薬を求めて台所に向かった。即効性はないが、時間が経てば必ず痛みを鎮めてくれる。
 リビングの前を通り過ぎると、母親の声が後ろからついてきた。さっきの失敗を加味して、影のように後を追う声を母親は放ったが、彼女の忠実な影が羽虫を追っ払うようにして、その声をかき消した。だから、言葉の意味はまたしても、彼女のもとまでたどり着かない。いずれにせよ、痛みが気体分子のように跳ね回る彼女の頭は今、意味を含む言葉を扱えない。文字通りかき乱されてしまうからだ。
 台所には甘く重たいにおいが充満していて、彼女を苛立たせる。テーブルの上の温かいクッキーが、バターの香りを放出しているのだ。普段の彼女だったら、ニンマリ微笑んだことだろう。でも今は一つつまんでかじるより、頭痛が引き連れてくる吐き気を、必死にこらえ、海苔の空き缶から頭痛薬を取り出し、ミネラルウォーターと一緒に流し込むことの方が大事だった。吐き気も一緒に飲み下そう。
首元やわきの下の冷たい、嫌な汗にはじめて気付いた。鳥肌が彼女の体の表面を駆け巡った。彼女は椅子に座り込み、両手で頭を抱え込むように机に伏し、目を閉じた。鳥肌に、羽が生えているところを想像してみた。鳥肌という事は、そこに羽をはやすことが出来るはずだ。でも、生えるのは羽毛?もし毛が生えるだけなら、自前の黒い毛が生えるのかしら?それじゃあ原始人よ。猿だわ。いきなり鳥になろうなんて虫が良すぎる。動物の中では鳥が一番人気なんだから…。
外では風はまだ吹いていなかった。責任感がないのだ。といはえ、締め切られた台所の中では関係ない。甘いにおいも、小動物がエサの木の実を割るための、残酷なたくらみのような頭痛も(動物の目的に向かうひたむきさには、狂気がある。きっとそれが狂気の正体なのだろう)、みっちりと部屋の中に詰まっていて、しつこい。


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