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高貴なる人 短編小説

1.noblesse oblige

 集まった大人たちが陽気ですこぶる元気だ。おかげで、イベントをセッティングした彼のマネージャーは久しぶりの安心を覚えている。もし、大人たちの元気を低く見積もり、お店を貸し切りにしていなければ、間違いなく今ごろ一般客に迷惑をかけていただろう。その責任はすべて彼にのしかかる。今日、ようやく胃痛からつかの間の開放となる。どうせ、明日からまた別の不安が、どこからともなく湧いてくるのだが。

 マネージャーの不安をよそに、大人たちは酒で理性のたがを外し、もはや人間ではない。猿に戻った。店内を飛び跳ね口を開けばフルーツの要求、りんごの果汁を滴らせて、ばななで口をもさもささせて、ついに勝ち鬨を(何に勝ったのかは知らないが)上げる。喜んでいるように見える。

 誰もがこの場の主役になりたいらしい。かつては、と言ってもまだ数十分間前には、ある一人の人間が場を仕切っていた。金持ちになるためのノウハウを求めて来たはずの猿たちは、もはや自分がなぜそこにいるのか全く覚えていない。猿山の猿たちだって、なぜ自分がそこにいるのか知っているというのに。

 成功者たる彼は喋るのを止めて石像を気取っている。イベント終了時間までこのまま黙って時間を潰し、ギャラだけ貰って帰るつもりだ。
 ときに、良識的な顔つきで酒を拒む勤勉な女性が混ざっていた。猿どものスクラムをくぐり、成功者のいる席にぼろぼろになりながらたどり着く。成功者のご尊顔にありつく。ぱっと表情が明るくなる。

 成功者が自分を導いてくれる。疑うことを知らない素直な目には、希望の光が巣食っている。
「先生、お時間よろしいですか?」
 女がわずかに緊張した様子で訊いた。もちろん、猿たちの狂乱によってその声はかき消されてしまった。猿たちは、共食いでも始めたような興奮ぶりである。成功者はミートローフの上を飛び回る羽虫を目で追っている。グラスにはトマトジュース。酒は生産を下げるので飲まない。

 女は成功者の耳に顔を寄せて、叫ぶ。男は鬱陶しそうに視線だけを動かした。女性の外形が比較的整っているとわかると、すぐ気を取り直した。成功者にとって女の取得は、きわめて優先度が高い。
「先生、質問しても良いですか?」
 成功者は先生と呼ばれ慣れている。まんざらでもない。
「よろしいよ」
「あの、私、自分で表現したいことがあるんです。その、芸術とか、美術みたいな、絵なんですけど、でも全然素人で、親も辞めた方が良いって、趣味にしとけとか、そういう学校を出たわけじゃないし、って、いわれるんですけど、でも私は違うかなって、学校出てなくても上手な人はたくさんいるし、それで、これをビジネスにすれば、親も納得するし、良いものを描いてればきっと誰か拾ってくれるし、って先生の本にも書いてあって、すごい感動して、私、すごい感動して、先生の本、読みました、すごい感動して、どうすれば先生みたいになれるんだろうって思って、、、」
 男は女の話は聞いていなかった。熱心に喋る女の顔ばかり見ていた。きれいな肌をしていると思った。きっと、今までの人生、あまり苦労してないんだろう、と男は考えた。
 しかし、時間を潰すにはもってこいの相手だと思った。
「それで、あなたがいちばんやりたいことはなに?」
「それは、絵が売れること、、絵を描くこと、、?」
「それじゃあ、絵を売ってお金持ちになりたい?」
「お金なんて興味ないです」
 女は毅然として答えた。
「お金に興味がないなら、きみは生粋の芸術家だ」
 男がそう言うと、女は嬉しそうな顔をした。
「いいかな、絵を描くことと、絵を売ることは全然違うことなんだ。何をいちばんに置くかで、人生の設計は大きく変わってくる。同じように見えて、全然違うんだ」
「じゃあ、私は、絵を描き続ければいいんですか、、?」
「そう、あなたは絵を描き続ければいい。誰に理解されなくてもいいじゃない」
 その言葉に、女の表情が曇った。
「でも、良いものを描けば、誰か認めてくれますよね」
 女が切実な顔で訊く。
「誰かに認めてもらったところで、そんなことになんの意味があります?もし認めて欲しいというなら、僕があなたを認めますよ、あなたの絵など一度も見たことがありませんがね」
 と言おうとしたところで、マネージャーが時間を知らせる笛を吹いた。全長70cmくらいある笛だった。大人たちは徐々におとなしくなっていった。男は立ち上がり、イベントの終わりを伝えた。今回参加した50人ほどのサロンの会員たちは、満足げな表情を浮かべている。女も男にお礼を言う。つきものが取れたような、さっぱりした表情をしている。

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2.【noblesse】クールな階段の降り方の著者が教える!正しいお金の稼ぎ方【oblige

(動画配信サイトに投稿された男の対談動画より抜粋、文字おこし)
別の男「それで、○○さんの、これからの構想を教えてもらえますか?」
男「そうですね、一番は、我々の暮らしている社会のアップデートですね。つまらないものを止めて、もっと合理的で、豊かな社会を実現するべき時が来たんです」
別の男「具体的に言うと、どのように社会を変えていけば良いんでしょうか」
男「それについては、拙著「かっこいいとはなにか~クールな階段の下り方・実践編~」に詳しく描きました。少し説明させてもらうと、この本は「クールの階段の下り方」「続・クールな階段の下り方」に続く、三部作の完結編です。
 駅の階段よりもマンションの非常口の方がクールに階段を降りることができます。なぜなら、マンションの階段は駅の階段よりも利用者が少ないからです。降りているさなかに、つっかかりになるような変なへこみや、妙にすべるところが、相対的に少ないんですね。踏み板の幅も正確に計ると差があるんです。これはデータ化して、大学に分析を依頼しました。たしかに、僕の仮説にあう結果が得られました。ここまでが、前二作で僕が明らかにしたことの全容です」
別の男「はい、あの一連の議論にはわくわくさせられました。作品の質を裏付けるように、あの二作は合計発行部数2千万部と、大ヒットしましたね」
男「ええ、でもあのようなヒットは不本意なものでした。僕はもう少し静かに世の中を変えたいと願っていたのです。にも関わらず、あの二冊の本は、あまりにもドラスティックに、世の中を変えてしまいました。僕は、少し反省したんです。だから、今作はその反省を込めて書きました。」
別の男「今作の見所を教えてください。と言うと、どうもインタビュアーみたいになってしまってますね」
男「いいんです、インタビュアーで。会話とはそもそも、喋っている一人以外は常にインタビュアーにすぎないんですから。今作の見所ですか、そうですね。今作は薬のようなものになると思います。人々は社会に蔓延する毒によって、平衡感覚を失っています。それは個性原理主義とでも言うべきものです。人間はそれぞれがかけがえのない存在で、ユニークさがある、と。まるでそこに価値であるとでも言うような思想です。しかし、本当にそうでしょうか。真の個性とは、そのような価値観のもとで生じうるでしょうか。誰もが、自らの個性、唯一性を証明するために躍起になり、心をすり減らしています。しかし、本当の個性とは、全く価値のないものである場合がほとんどです。別の言い方をしましょう。つまり、個性を持つこと、という価値と、どのような個性を持つか、という価値、この二つの価値観が同時に問われているんです。たしかに、クールに階段を降りることは、一つの個性として認められます、寛容さによって。ただ、その個性に価値があるかどうかは、また別の話です。その是非は、実に残酷に判定されます。地上には、社会から拒絶される個性というものがあって、それはタブーとされ話題にも上りません。なぜだと思いますか。」
別の男「さあ、考えたこともありませんね」
男「まあ、いいでしょう、とにかく。僕はクールに階段を降りることによって、読者に自分だけの尺度を取り戻して欲しいと思っているんです。」

(書き起こし終わり)

(コメント欄より抜粋)
・かっこいいとはなにか、買わせていただきます!!
・バックグラウンドがしっかりしている言葉は胸にくるなあ、、、。
・かいだニスト、集まれ!
・最&高です
・生の声が聴けて満足
・声が意外にもかっこいいと思ったのは私だけ、、、??
・面白い話を聞いた
・難しすぎてよく分からなかった。要するに階段を降りれば良いってこと?
・この人話し方下手。典型的な陰キャ
・まじつまらん、みなきゃよかった
・あの内容で1800円はぼったくり
・金返せ!!!!!!!!!!!!
・低評価、押させていただきました

 男はMacBookを閉じた。これから女性と会う約束をしているのだった。彼はたまに、女という性別を征服したような気持ちになることがあった。
 動画の再生回数は平均しても50万を下ることはなく、安定した収益が見込めそうだった。サロンの運営も順調だし、メルマガの読者数は今年で2万人を超えた。もはや、経済的に困窮することはなさそうだった。

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3.ミニマリズム

 豊かさを誇示する最も効果的な方法を教えよう。それは、身の回りのものを、手当たり次第にすべて捨てることである。ゴミ箱に捨てられていくのは、まだ寿命に達していないものばかりだ。
 しかし、これほど単純なアイデアは他にない。いらない物は捨てる。このワンアイデアさえ守れば、くだらないしがらみにとらわれる心配は、金輪際、ありえない。すばらしい、この新時代の思想をたたえよう。(出典:ミニマリズムその可能性の確信)


 男は今悩んでいた。彼が悩むのは珍しいことで、選挙のときも、ここまで悩まなかった。知り合いの議員に出馬する気はないか、と訊かれたときのことである。たまには馬の気持ちを味わってみるのも悪くない、と即断した。
 男が今悩んでいるのは、自著を捨てるかどうか、ということだった。本棚の空きには限りがある。電子書籍がぱっとしないこの国では、紙の本を持たないというのは、あまり現実的ではなかったが、だからといって、すべての紙の本を受け入れる気にはなれなかった。これまで、なんども苦渋の決断をしてきた。捨てたくないものを捨ててきた。ここまできて、妥協はしたくなかった。自分に厳しく、他人に甘く、これを彼は辞世の句にしたいと思っていた。これを今際の際に詠むことを目標に、人生計画を立てている節さえあった。しからば、彼の人生、彼の人格が凡庸なものに固まっていったのは、凡庸な言葉を目標に生きてしまったせいもあるのかもしれない。
 あらゆるものを捨ててきた。彼は断捨離という言葉が好きだった。シンプル、という言葉はもっと好きだった。キックボードを捨てた。ロデオマシーンを捨てた。箪笥を捨てた。テーブルを捨てた。彼は今床でご飯を食べている。自転車を捨てた。電車やタクシーなら、所有する必要がないからだ。テレビや、ゲーム機を捨てた。かわりに時間が手に入った。時間は時計と違って場所をとらないし、重くもない。絨毯を捨てた。スリッパを捨てた。調理器具のほとんどを捨てた。はさみを捨てた。定規を捨てた。観葉植物は勝手に近所の公園に植え直した。
 すぐに、部屋が広すぎることに気づいた。彼は引っ越しを決意したが、未だ捨てられないものがあった。それが本だった。特に自著は、いままで迷いなく動いていた彼の動きを止めた。
 彼はこう考えた。自分で持ち歩いたり、自宅に置いておく必要がなく、しかし必要になったときはすぐに取り戻すことができる状態にするためには、どうすればいいだろうか。質に入れるのに似ているだろう。自分は金という、ほとんど概念に近い物質を手に入れるかわりに、物を預ける。必要になったら、金と交換することができる。これなら、普段は身軽でいられる。となると、現代の質屋に適合する物を見つければ良いということになる。 現代の質屋、それは別の言い方をすれば、自分の本を金に変換して、いつでも買い戻せるように、その本を売り物の状態にしておくということだ。なるほど、これはつまり、本を売ってしまえば良いのだ。本が書店に並んでいる限り、いつでも買い戻すことができる。絶版になっている本だけを手元に、それ以外は売るなり捨てるなりしてしまえば良い。なるほど、この社会とは、巨大な渦なんだ。商品はぐるぐる回っているだけで、本当の所有というものはない。資本主義とはこうやって使うのだ。
 こうして、彼はすっきりした気持ちで、さらに自分の所有物を減らすことができた。
 彼は舌なめずりをしたかったが、すんでの所でこらえた。彼には貴族的なところがあったので、舌なめずりすることはできなかった。下品になってしまうのだけは避けたかった。彼ほど貴族的なところのある人物が、貧困にあえぐ人たちに対する想像力を微塵も有していなかったのは不思議なことである。彼にとっての世界は、ビー玉くらいの大きさしかなかったと言っていい。もちろん、彼はビー玉を美しいと思っていたし、これが世界だ、と恥ずかしげもなく確信していた。

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4.魂の不断の向上

 経済的な不安はもはやなかった。加えて彼は女という性を征服したつもりになっていたので、性に対する不安もなかった。この時点で彼は、すべての不安から解放された、と思った。何もかも手に入れた。もう怖い物知らずだった。
 彼は持ち前の論理的思考力を駆使し、次に目指すべき目標を設定することにきめた。目標は段階的に立てるといい。容易に実現可能な目標を少し先の未来に設定し、実現が難しそうな目標を少し遠い未来に置く。こうすることで、簡単な目標を達成して成功体験よる自身を得ながら、少しずつ困難な目標へと近づいていくことができるのだ。この方法を使えば、どんな目標も理論上は成し遂げることができる。いや、彼の場合は、経験上は、と言うべきだろう。彼はあらゆる状況を、目標を立てることによって乗り越えてきたからだ。 そこで彼は思いついた。今までは頭ばかりを使ってきた。それに、不健康なこともやってきた。これからは長生きすること、つまり健康でいることを第一に考えよう。さて、健康になるためにはなにをどうすればいいだろう。まずは食生活。次に運動、そして睡眠だ。そのとき、彼の灰色の脳細胞が彼にこう告げた。「筋トレしなさい」
 彼はそのときのことを自著で次のように述懐している。

「当時私は、次に向かうべき方向を見失っていました。嫌味ではなく、私はすべてを手に入れていました。ほしいものはすべて手に入れてしまっていたのです。これは、見方によっては不幸なことです。なぜなら、生きる気力がそがれてしまうからです。私は普段3食食べる人間ですし、朝から料理もします。しかし、当時の私は、しばしば朝ご飯を抜きました。これは、幼時から思い直してみても、初めてのことでした。ストレスというのは食欲を奪うのですね。
 私は東京の大学を首席で卒業してから、海外の大学に留学しました。先代のアメリカ大統領は、私の後輩です。彼は私のことを尊敬してくれていましたが、当時の私を見たら、驚いたことでしょう。どんな人間でも、目標を失うと無気力で怠惰な人間になってしまうということの、生きる見本のような状態でした。
 そんなとき、私は天啓をうけました。それは至ってシンプルでした。つまり、「筋トレをしなさい」ということです。その日、私は久しぶりに早く起きて、外を散歩していました。老人がウォーキングをしていたので声をかけると、老人は気持ちよく挨拶をしてくれたのでこっちも少し気分が良くなりました。散歩している犬に吠えられたときはけり殺してやろうかと思いましたが、もちろんそんなことはしませんでした。日本製の車が臭い排気ガスを噴射しながら坂を駆け上がっていったとき、ちょうどそのときでした。
 私はすぐにスポーツジムに会員登録すると、その日のうちにウェアやシューズを買いそろえ、翌日から早速筋トレを始めました。なにかを決断したときは、これくらい早く動くのが大切です。情熱が冷めてしまう前に、動き出さないといけません」

 それから数年が経ち、彼の頭の中は、筋肉の知識で埋め尽くされていた。筋肉のことなら何でも知っていると自負していた。鏡の前で作り込まれた自分の体を見ているときが、至福だった。皮膚のしたから押し上げてくるプロテインの膨らみを手のひらでさすると、危うく性的興奮を覚えてしまいそうだった。可能であれば、精神を肉体の外に出して、自分の肉体で自分の精神を犯したいくらいだった。と、そのとき彼は貴族的精神を発揮し、犯したい、のではなく、性交渉したい、と思い直した。彼は分別のある男なのである。
 可能な方法としては、鏡の前にゴム製の張り型を置き、その張り型で自らの肛門を塞ぎながら、鏡を見つつ、自分で自分の体を愛撫する、というものがあり、彼はそれを実行してみた。始める前から興奮状態でじらされた状態だったため、その行為は彼をそれなりに満足させた。すると急にお腹がすいてきたので、彼はタワーマンションから出て、コンビニに向かった。コンビニに着き、中に入ろうとしたとき、ちょうどブレーキとアクセルを踏み間違えた車が突進してきて彼はひき殺された。鈍い音がして、車の中から老人が慌てて飛び出してきた。老人はムキムキの死体を見下ろして頭を抱えた。

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5.評価

 彼にとって良かったことといえば、事故死したことで、世間から英雄視されたことである。加えて、そもそも実現させるつもりのなかった、幼稚な正義論が死後机から発掘されたことで、じつは倫理的な人物だったのだという評価まで重なった。その見解に沿って、彼の生涯は見直され、都合の悪い部分、つまり女という性を征服した気分になっていたところなどは、巧妙に切り取られ、伝記作家御用達の巨大なたき火の中に放り込まれた。
 一部の批判者は、ひねくれ者というレッテルを貼られ、議論をおこすことさえできなかった。かくして、彼が高貴なる人物であることはゆるぎないものとなった。
 

 
 ……人は、社会的であると同時に、個人的であると、和辻哲郎は言う。その定義がひどく残忍なものであることは、少し考えれば直ちに分かることだ。
 男は一人で歩かなくてはならなかった。周りの人たちは、決して彼を理解しようとはしなかった。人は、他者に興味がない。あるいは、彼の傲慢さが、他者をはねつけていたのかもしれない。
 理解のない社会に住まうことの苦しみや、肉体の深いところで無視できないほどに存在を膨らませていく怒りに、彼はどう立ち向かったのだろう。彼がはっきりと「裏切られた」と感じたかどうかは分からない。あるいは何も感じなかったかもしれないが、そのような見解は人間に対する無理解に基づくと言わなければならない。何も感じない人間などいないのだ。
 すべての露悪的な行為の中に、深刻な傷跡を見出すことは危険である。しかし、現れ、示された言葉を字義通り受け取ることもまた、浅薄である。ただ一つ許された方法は、両義的な「語り」の空間に置き、いわば真空状態での挙動を観察することだ。

 何でも書けるということは、何でも書いて良いということではない。これは、自戒を込めて。

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