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3人の男についての覚書(1-6)

1-1のリンクでござい

前回スキを押してくれた方々、ありがとうございます。激越に励みになります。

1-1から続けて読むと、何かしらの媒体に記された文章という体のものと、とくに条件付けのない文章という、2種類の文章が、交互に書かれているということがわかるようになってます。でも、続けて読まないと、気付きづらいかもしれません。(これは、今回の記事を機に、1-1から遡って読ませるための誘導の文章ですから気をつけてください。こんな誘導に乗って1-1のリンクをタッチしたら、ピルストの思うつぼですよ)

予想される批判としては、なんでわざわざ区別して書いてるのに、ぱっと見で、区別がつかないわけ?それじゃ意味ないじゃん。だって、書き分けができないわけでしょ?小説が下手くそなんだ。僕はここで、待ったを入れたいと思います。

この小説は、イメージとしてはこんな感じですから、先の批判はあたらないと思います。

君は頼りない足どりで抽象空間を歩いている。そこではナンセンスの化け物が蠢いている。暗い場所からギラリと光る目で君を見ている。君の上から、君の下から、君の後ろから。早くこんな場所から立ち去りたいと君は願う。しかし、一度この場所に足を踏み入れてしまった以上、出口まで歩き続けなくてはならない。うずくまって泣き出したい気持ちを君が我慢できるのは、確かな強度を持ったいびつな柱が、この抽象空間に、出口まで連なっているからだ。この柱は、君より前にここへ足を踏み入れた人たちの成れの果て。悲しみという傷がついに癒えず、常に鋭く吹き付ける風に毒を塗りこまれて苦しみぬいた末に死んだ、君の従兄弟だ。

つまりですね、媒体に記述された体の文章が柱で、それ以外が君の歩く抽象空間で目撃したこと、ということになるみたいです。そして、先の文章にもあるように、柱は君の従兄弟ですから、わざわざ区別をつける必要はないわけです。

どうでしょう?理解の役に立てたでしょうか。まあ、もっと噛み砕いて言うと、自然主義的でない私小説みたいな感じですかね。タイトルの厳密な実感っていうのは、つまりそういうことです。

ではでは、以下に半分の続きを掲載します。



『(しわくちゃの紙に書きこまれ、所々に、ペン先が紙を貫いた跡が残っている)
 考えれば考えるだけ地獄だ。この頭は墓場だ。死者たちは、ぼくの頭に入るために、ぼくの家の門をたたくのだ。どこにも逃げ場はない。山羊、馬、狐、猪、動物でなくてもいい。蝉、蜻蛉、蟻、蚯蚓、とにかく、人間以外の何かでありたかった。
 
僕はいつも考えている。三人の似た顔の男たちの事を。
 一人の男は、特殊な手術台の上に、寝かされている。大の字で、両手首とくるぶしを、バンドで拘束されている。全身に麻酔がかけられているから、拘束がなくても、身動きはとれないだろう。拘束は、外からの力で、体が動いてしまわないようにするためのものだ。
 男の眼は開かれている。何かを訴えようとする視線。男の自由が残されているのは、その目つきだけだ。
 時間が来ると、作業服を着た人たちが、手術室に入ってくる。無機質な密室には似つかわしくない人々である。大きな体をして、動きが生命力に満ちている。歩くたびに、その体から温かい土がこぼれそうな感じである。その陰から、白衣を着た、小柄な男が入ってくる。マスクで顔のほとんどを隠している。
「作業の前にやっちゃわなきゃな」医師と思われる男はぶつぶつ言いながら、男に近づく。医師は男の顔を覗き込む。
 大柄な人たちは、男の足元で準備を始める。医師もいったん離れたが、その姿は男の視界の隅に残っている。看護師らしき女が、銀色のカートを押して入ってきて、男のそばにとめる。そこには様々な器具が入っていて、移動している間、金属同士がぶつかり合うような音が聞こえるのだった。「さて、やろうかね」医師が言う。
 運ばれてきたカートから、金属製の器具を取り出すと、医師はそれで、男の瞼を開いたまま固定する。男はまばたきができなくなる。そして、眼球が乾いてしまわないうちに、医師はスプーンのような器具を取り出して、眼球を掬う。ぶちぶちと神経が切断される音が聞こえる。男は悲鳴をあげようとしたが、麻酔によって、声は出ないようになっている。痛みもない。
 掬い上げた眼球は、看護師が大事そうに持った銀のプレートの上に置かれる。血やら体液やらが糸を引く。医師はもう一方の眼球も、同じように掬い取ると、銀のプレートに置く。
「終わりましたよ」と医師は準備をしていた肉屋に声をかけて、部屋を出る。肉屋は人体解剖図を広げながら、器具を用意し、役割の分担をしているはずだ。
 
 一人の男は地面に埋まっている。頭だけが地表に出ている。目隠しをされた男は、何かを叫ぶが、男の周りに、男の言葉を聞き取ろうという者はいない。誰も男の言葉に関心を払わない。
 地中は冷たい。男の骨は小刻みに震え、歯が鳴り続けている。男の周りで様子を伺っていた人々から数人の男女が前に進み出て、ズボンのファスナーを下ろす。
 埋められた男は、自分の頭にかけられた液体の正体を、その匂いで見破り、戸惑いの声の後に、呪いの言葉を吐く。だが、その言葉を聞き取ろうという人はどこにもいないのだ。
 用を足した人々が男の周りから離れると、今度は子どもたちが集まってきた。子どもたちはバケツを運んでいて、その中にはたくさんのビー玉が入っていた。男が大きく口を開けて、呪いの言葉を叫ぶたびごとに、子どもたちはバケツの中のビー玉を掴んで、穴の中に放り込んだ。うまく入ると、子どもたちは喜んだ。彼らはたがいに対抗意識を持っていて、次こそは自分が入れてやろうと、息まいた。だが、男はだんだんと、声をあげなくなる。すると子どもは男のすぐそばまで近づき、鼻の穴に球を詰め込み始める。じゃんけんに負けた子どもが、首を振って逃れようとする男の頭を固定し、ほかの子どもがどんどん奥に押し込んでいく。
 やがて男はぐったりして、反応が薄くなる。そこで、子どもたちの役割は終わり、最後には大人とみなされた人たちが前に出てくる。彼らは、男の頭を、飽くことなく何度も何度も蹴り続ける。彼らの靴のつま先には鉄板が仕込まれていて、いくら蹴っても、彼らの足が損なわれることはない。
 
一人の男、最後の男。僕はこの男について考えるため、まだ生き延びている。』


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