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高貴なる人 第5話 完結

5.評価

 彼にとって良かったことといえば、事故死したことで、世間から英雄視されたことである。加えて、そもそも実現させるつもりのなかった、幼稚な正義論が死後机から発掘されたことで、じつは倫理的な人物だったのだという評価まで重なった。その見解に沿って、彼の生涯は見直され、都合の悪い部分、つまり女という性を征服した気分になっていたところなどは、巧妙に切り取られ、伝記作家御用達の巨大なたき火の中に放り込まれた。
 一部の批判者は、ひねくれ者というレッテルを貼られ、議論をおこすことさえできなかった。かくして、彼が高貴なる人物であることはゆるぎないものとなった。
 

 
 ……人は、社会的であると同時に、個人的であると、和辻哲郎は言う。その定義がひどく残忍なものであることは、少し考えれば直ちに分かることだ。
 男は一人で歩かなくてはならなかった。周りの人たちは、決して彼を理解しようとはしなかった。人は、他者に興味がない。あるいは、彼の傲慢さが、他者をはねつけていたのかもしれない。
 理解のない社会に住まうことの苦しみや、肉体の深いところで無視できないほどに存在を膨らませていく怒りに、彼はどう立ち向かったのだろう。彼がはっきりと「裏切られた」と感じたかどうかは分からない。あるいは何も感じなかったかもしれないが、そのような見解は人間に対する無理解に基づくと言わなければならない。何も感じない人間などいないのだ。
 すべての露悪的な行為の中に、深刻な傷跡を見出すことは危険である。しかし、現れ、示された言葉を字義通り受け取ることもまた、浅薄である。ただ一つ許された方法は、両義的な「語り」の空間に置き、いわば真空状態での挙動を観察することだ。

 何でも書けるということは、何でも書いて良いということではない。これは、自戒を込めて。

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