ヒトが「火」を手にした理由

ネアンデルタール⼈、そしてホモ・サピエンス。

 ホモ・エレクトスはあまりにも広く分布していたので、彼らがそれぞれの地域で、それぞれの環境に適応して現⽣⼈類へと進化したのだと、かつては考えられていました。モンゴロイドやニグロイド、コーカソイドのような「⼈種」は、それぞれ独⾃にホモ・エレクトスから進化したという仮説です。これを多地域進化説と呼びます。
 20世紀末の分⼦⽣物学と遺伝学の進歩により、多地域進化説は現在ではほぼ完全に否定されています。遺伝⼦の突然変異は⼀定の頻度で起きるので、誰と誰がどれくらい近縁で、どれほど昔に共通の祖先を持つのか、はっきりと分かるのです。
 その結果、今の地球上で暮らすすべての⼈類は30万年〜20万年前のアフリカに暮らしていた1万4000⼈ほどの集団から⽣まれたことが分かりました。彼らこそが最初のホモ・サピエンスでした。さらにその集団から、わずか3000⼈ほどが10万年〜8万年前にアフリカを出て、全世界に広まったことが分かっています[15]。
 ⻑きにわたる論争に終⽌符が打たれ、現⽣⼈類はアフリカに共通の祖先を持つという仮説――アフリカ単⼀起源説が勝利を収めました。
 ⼈類が「出アフリカ」を果たしたのはホモ・エレクトスのときの1回きりではありませんでした。新しい⼈類がアフリカで現れては、何度も繰り返しシナイ半島を越えて世界中に広まったのです。

 有名なネアンデルタール⼈――ホモ・ネアンデルターレンシスも、アフリカを旅⽴った⼈類の1種でした。およそ23万年前〜4万年前まで⽣きていた旧⼈です[16]。遺伝的にホモ・サピエンスの祖先と分岐した時代はもっと古く、80万年〜40万年ほど前に枝分かれした別の集団から進化しました[17]。彼らは中東から⻄ヨーロッパにかけて広がり、ホモ・サピエンスと同時期に同じ場所で暮らしていました。
 素⼈でも簡単に覚えられるネアンデルタール⼈とホモ・サピエンスの⾒分け⽅は「おとがい」の有無です。私たちの頭蓋⾻は顎の先端が⼩さく⾶び出しています。この突起をおとがいと呼びます。おとがいはホモ・サピエンスに特徴的なもので、とくに成⼈男性で⼤きく発達します。⼀⽅、ネアンデルタール⼈にはこれがありません。もしも博物館などで彼らの頭蓋⾻を⾒る機会があれば、ぜひ確認してみてください。
 ネアンデルタール⼈とホモ・サピエンスはあまりにも近縁だったため、混⾎が可能でした。現代⼈の多くが、わずかですがネアンデルタール⼈由来のDNAを持っています。また、アジアの⼀部ではネアンデルタール⼈の姉妹集団であるデニソワ⼈とも混⾎したようです[18]。

 私たちホモ・サピエンスとネアンデルタール⼈はどこが違ったのでしょうか?
 なぜ絶滅したのは彼らであり、⽣き残ったのは私たちだったのでしょうか?

 この疑問に誠実に答えようとすると「よく分からない」という回答になってしまうでしょう。もちろん解剖学的には(先ほどのおとがいを筆頭に)様々な差異があります。それでも、そうした差異は微々たるもので、私たちと彼らはチワワとチベタン・マスティフほども違いません。
 何より注⽬すべきは⾏動です。初期のホモ・サピエンスは、現代の私たちとは⾏動が⼤きく異なりました。現代⼈のような創意⼯夫を重ねた道具制作をせず、装飾品を⾝に着けず、壁画を描かず、彫像を彫らず、⼟偶を作らず、死者の埋葬ですら10万〜9万年前まで⾏っていなかったようなのです[19]。その埋葬⾏為も、死者を悼むものだったのかどうかは定かではありません。副葬品がないからです。ただ単に、腐敗による悪臭を防ぎたいとか、屍⾁を狙う⾁⾷獣が集まるのを防ぎたいとか、そういう実⽤上の⽬的から死体を埋めた可能性も否定できません。
 約20万年前に誕⽣したホモ・サピエンスは、最初から現代⼈のような認知能⼒と「⼼」を持っていたわけではないのです。

ここで列挙したような現代のホモ・サピエンスを特徴付ける⾏動を「現代的⾏動」と呼ぶ。考古学や⼈類学では、現代的⾏動を持たなかった初期のホモ・サピエンスを「早期現⽣⼈類」と呼び、私たち現⽣⼈類とは区別する。解剖学的には同じホモ・サピエンスでも⾏動があまりにも違うからだ。

 そして、それはネアンデルタール⼈も同様でした。
 もちろん彼らは祖先のホモ・エレクトスに⽐べて、はるかに洗練された道具を使っていました。有名なものでは、たとえばムスティエ⽂化の尖頭器があります。これは⽯を薄く加⼯して刃をつけたもので、槍の先端に取り付けて使ったようです。ひと⽬⾒ただけで、制作には熟練した技術が必要だと分かります。
 彼らはマンモスのような⼤型哺乳類を主な獲物としており、⾄近距離から槍を投げつけて奇襲攻撃を仕掛けていたようです[20]。これはかなり危険な狩猟法だったようで、複数ヵ所の⾻折や失明を伴う重症を負ったネアンデルタール⼈の⾻が⾒つかっています。
 興味深いのは、それら重傷者のうち、怪我を負ってから何年も⽣きたことが明らかな⾻が出⼟していることです。つまりネアンデルタール⼈は、⼿⾜が不⾃由になった仲間の世話を焼いていたのです。現代⼈の「思いやり」に近い感情が、ネアンデルタール⼈にもあったのかもしれません[21]。ネアンデルタール⼈は死者の埋葬も⾏っていたようです。(ただし、これは同時期のホモ・サピエンスによる埋葬⾏為と同様、「死者を悼む気持ち」があったかどうかまでは分からない)
 さらに2018年には、スペインの3つの洞窟で発⾒された壁画が6万5000年以上前のものだという推定結果が発表されました[22]。この時代のヨーロッパにはまだホモ・サピエンスは到達していなかったとみられており、もしも年代測定が正しければ、この壁画を描いたのはネアンデルタール⼈だったということになります。後述しますが、私たちホモ・サピエンスが多数の芸術品を残し始めるのは約4万年前からです。つまり、彼らは私たちよりも2万年以上も早く芸術活動を始めていたことが⽰唆されます。

 歴史は勝者により語られます。私たちは絶滅しなかった勝者であり、ネアンデルタール⼈は⽣き残れなかった敗者です。そのため私たちは、つい「ネアンデルタール⼈よりもホモ・サピエンスは何らかの点で優れていたから⽣き延びることができた」というストーリーを思い浮かべてしまいがちです。
 しかし技術の⾯・精神⾯・⽂化の⾯のいずれでも、ネアンデルタール⼈が同時期のホモ・サピエンスに⽐べて劣っていたという証拠はないのです。

 私たちホモ・サピエンスが「現代⼈らしい⾏動」の萌芽を⾒せるのは、早くとも約10万年前です。この時代のアフリカや中東からは、⽳を開けた⾙殻をレッドオーカーという顔料で着⾊したビーズが発⾒されており、これは装飾品として⽤いられたと考えられています[23]。装飾品の存在は、この時代のサピエンスが「他者から⾃分がどう⾒えるか」を認識する能⼒と「他者からの評価を良くしたい」という願望を⾝に着けていたことを意味します。
 現代⼈らしい⾏動の証拠が急速に増え始めるのは、ざっくりと4万年前からです。約4万5000年前には、動物の⻭のビーズ(ブルガリア)や⾻製のフルート(ドイツ)が作られていました。4万年前には、オーストラリアや南アフリカで死者の埋葬が⾏われていた可能性があります。さらに3万5000年前の縫い針がジョージアで発⾒されており、この時代には⼈類はまず間違いなく⾐服を着⽤していました。この時代以降、洞窟壁画が爆発的に増えていきます[24]。
 誕⽣当初は他のホモ属と変わらない⾏動をしていたサピエンスは、10万年〜4万年前の期間に⼤きく認知能⼒を進化させ、現代⼈と同様の「⼼」を持つに⾄ったのです。

 この期間に何が起きたのでしょうか?

「トバ・カタストロフ理論」という興味深い仮説があります。7万3500(∓2000)年前に、インドネシア・スマトラ島のトバ⽕⼭が⼤爆発を起こしました。このときにできたトバ・カルデラは世界最⼤のカルデラで、阿蘇カルデラや屈斜路カルデラよりもはるかに巨⼤――と書けば、⽇本⼈にはその爆発の凄まじさが想像しやすいのではないでしょうか。吹き上げられた⽕⼭灰は太陽光を遮り、千年単位で地球の寒冷化と気候変動をもたらしたと考えられています[25]。
 この環境激変が強烈な選択圧となり、ホモ・サピエンスの認知能⼒の進化を促した――。
 これがトバ・カタストロフ理論です。
 先述の通り、現代の私たちはごく少数の集団を共通祖先として持ちます。これは、当時のホモ・サピエンスの⼤半がトバ⽕⼭の噴⽕の影響で死滅してしまい、わずかに⽣き残った⼈々が私たちの先祖だったから――と、考えられるのです[26]。
 同時代を⽣きていたネアンデルタール⼈も、同じ気候変動を経験しました。しかし彼らには、私たちのような認知能⼒の進歩は起きなかったようです。彼らは私たちと同等かやや⼤きい脳を持っていました。脳の⼤きさだけでいえば、⼈類を⽉⾯に送り込み、インターネットで世界をつなぎ、ChatGPTを開発したのが彼らだったとしてもおかしくありません。

 ところがネアンデルタール⼈は⼸⽮や銛を発明することもなく[27]、ホモ・サピエンス並みに芸術活動を百花繚乱させることもありませんでした。約4万5000年前にホモ・サピエンスの集団がヨーロッパに到達したとき、ネアンデルタール⼈の⼈⼝はすでに減少傾向で絶滅の途上にあったのです[28]。

 余談だが、ホモ・サピエンスとネアンデルタール⼈を分けたのは⾔語の有無だったという仮説がある。喉の解剖学的な特徴を⽐較すると、ネアンデルタール⼈に⽐べて、私たちホモ・サピエンスのほうが複雑な⾳声を発⾳可能だからだ[29]。しかし、この仮説に私は懐疑的だ。詳しくは別の機会に考察する。

私たちはいつ⽕を発明したのか?

 以上の3つの化⽯⼈類――アウストラロピテクス、ホモ・エレクトス、ネアンデルタール⼈――の名前を知っていれば、考古学や⼈類史のニュースを最低限は読み解けるようになります。⼊⾨編としては、まずはこの3種を覚えるといいでしょう。
 さらに、アウストラロピテクスとホモ・エレクトスの中間的な種として「ホモ・ハビリス」が知られています。体つきはアウストラロピテクスに似ていましたが、⽯器を使って⽯器を作る――すなわち「道具の⼆次制作」を⾏っていた証拠が⾒つかっています。チンパンジーやカラスを始め、道具を使う野⽣動物はさほど珍しくありません。しかし、道具の⼆次制作を⾏うのはヒトだけの特徴とされています。
 また、ホモ・エレクトスとホモ・サピエンスの中間的な種として「ホモ・ハイデルベルゲンシス」という名前を憶えておいてもいいでしょう。これは私たちホモ・サピエンスとネアンデルタール⼈との共通祖先だと⾒做されています[30]。ホモ・エレクトスはまずホモ・ハイデルベルゲンシスに進化し、そこからサピエンスとネアンデルターレンシスに分岐したわけです。
 つまり私たちの進化を⼤雑把にまとめるなら:①チンパンジーとの共通祖先である⼤型類⼈猿→②アウストラロピテクス→③ホモ・ハビリス→④ホモ・エレクトス→⑤ホモ・ハイデルベルゲンシス→⑥ネアンデルタール⼈と私たちホモ・サピエンス……というストーリーになります。

 ややこしくなるのはここからです(すでに充分ややこしいかもしれませんが)。

 まず、ネアンデルタール⼈を(私たちとは別種ではなく)ホモ・サピエンスの亜種だと⾒做す研究者がいます。また、ホモ・ハイデルベルゲンシスをホモ・エレクトスの亜種だと⾒做す研究者もいます。さらに、ホモ・エレクトスのうち(北京原⼈やジャワ原⼈とは違い)アフリカに残った集団を、ホモ・エルガステルという別種として扱う研究者もいます。
 このような学名・分類の混乱が⽣じるのは、化⽯の数が豊富で、なおかつそれぞれの解剖学的な差異が⼩さいからです。いわばグラデーションを描いているので、専⾨の研究者から⾒てもどこで「別種」の線引きをすればいいのか議論が分かれてしまうのです。もはや⼈類の進化に「失われた環(ミッシング・リンク) 」は存在しません[31]。
 ここまでの話を前提知識として、ようやく「私たちはいつから⽕を使っているのか?」という当初の疑問に答えることができます。

 ⽕を操ることは、かなり難しい技術です。
 今の⽇本に、⽊の棒を板にこすりつける「錐揉(きりも)み式」で着⽕できる⼈が何⼈いるでしょうか。冒頭で私が無⼈島に持っていくと述べた⾍眼鏡など論外です。ガラス製の凸レンズは近世以降の発明品であり、⼈類が進化した太古のアフリカには存在しませんでした。たとえ⽕打⽯を拾ったとしても、薪の上でどんなに⽕花を散らしても⽕は付きません。燃えやすい⽕⼝(ほくち)にまず着⽕して、それを少しずつ⼤きな燃料へと引⽕させて育てていくという技術を学ぶ必要があります。
 実際、着⽕技術はあまりにも難しく、それを失ってしまった狩猟採集⺠族もいました。アマンダン諸島の先住⺠族、アマゾンのシリオノ族、スマトラ島のアチェ族などは⾃⼒では⽕が起こせなくなったため、種⽕を絶やさないよう⼤切に燃やし続け、もしも嵐などで消えてしまったときには種⽕を維持している他の集団を探しに向かいました[32]。
 こうした事情から、⽕の利⽤は⼈類の知性の象徴のように⾒做されがちです。
 進化の物語の終盤近くで、具体的にはネアンデルタール⼈やホモ・サピエンスになってから使い始めたのだろうと考える研究者が珍しくなかったのです。たしかにネアンデルタール⼈や、⾏動が現代化しつつあった10万年前以降のホモ・サピエンスでは、⽕を利⽤していた明⽩な考古学的証拠が多数⾒つかっています[33]。
 ところが――。
「⽕の管理」は難しくても、「⽕の利⽤」にはさほど⾼い知能は必要ないようです。
 オーストラリア・ノーザンテリトリーのアボリジニの間では、古くから「⽕を使う⿃」の伝承がありました。湿気の多い⽇本に暮らしていると想像しづらいのですが、乾燥したオーストラリア北部ではしばしば⾃然発⽕により⼭⽕事が起きます。少なくとも3種類のトビの仲間が、燃えさしを嘴や⾜で運んで、意図的に⼭⽕事を広げることが確認されているのです。これはエサとなる⼩動物を炙(あぶ)り出すためだと考えられています[34]。
 また、「調理済みの⾷べ物を好む」という性質を、⼈類は⽕を使い始める以前から持っていた可能性があります。
 あなたがヴィーガンでなければ、⾁や⿂の焼ける匂いだけで⾷欲が増し、空腹を覚えるでしょう。暖かな炭⽕の上で焼かれる⾁を想像してください。表⾯にはぷくぷくと油の⼩さな泡が浮かび、⾁汁がしたたり落ちるたびに、ジュワッと軽やかな⾳が鳴る――。そんな光景を思い浮かべるだけで、私はよだれが溢れてきます。あるいは野菜でも、⽕を通したほうが美味しくなるものは多いでしょう。トマトが苦⼿だという⼈でも、⽣のサラダは無理でも⽕を通したものであれば⾷べられるという⼈をしばしばお⾒掛けします。
 このような「調理済みの⾷べ物を好む」という特徴は、ヒトが⽕を使うようになったことで⾝に着けた性質だろうと私は考えていました。ところが、そのはるか以前から私たちは焼⾁が好きだった可能性があるのです。
 ⽕を通すとデンプン質もタンパク質も吸収されやすくなります。あらゆる⾷材が柔らかくなり消化が容易になります。⽕を通したエサを与えると、⽜や⽺などの家畜は成⻑が早くなります。⽝や猫などのペットは太りやすくなります。昆⾍ですら、調理済みのエサを与えたほうが盛んに繁殖します[35]。
 ⽕を通した⾷べ物のほうが効率よく栄養を摂取できるというのは、多くの動物に当てはまる共通の法則らしいのです。
 野⽣の類⼈猿を対象とした調査でも、⽣のエサよりも調理済みのエサのほうが好まれたという報告があります。この調査で注⽬すべきはチンポウンガのチンパンジーたちで、それまで⾁⾷するところが⽬撃されていませんでした。(記録上は)初めて⾁を⾷べた彼らは、はっきりと⽣⾁よりも調理済みの⾁を好んだというのです[36]。
 要するに私たちはアウストラロピテクスだった頃から、⼭⽕事などで焼けた芋や⾁を⾒つけたら、喜んでそれを⾷べていた可能性があるのです。⽕を管理する技術を覚える以前から、調理済みの⾷べ物を「美味しい」と感じるように前適応していたのかもしれません。

 考古学的な証拠も、⽕の利⽤に⾼い知能や創意⼯夫が必要ないことを裏付けています。⽕を利⽤した痕跡は、ホモ・サピエンスの誕⽣よりもずっと古いのです[37]。
 たとえば約40万年前の遺跡では、イギリスのビーチズ・ピットやドイツのシューニンゲンのものが知られています。獲物を解体し、焼き⾁にしていた痕跡があります。発⾒されている中で最古のものはイスラエルのゲシャー・ベノット・ヤーコヴ遺跡で、約79万年前の囲炉裏や煤けた壁が⾒つかりました。ここまで読んできた皆さんならお分かりの通り、これらの遺跡はホモ・サピエンスの誕⽣よりもはるかに先んじています。これらの遺跡で⽕を使ったのはホモ・エレクトス(少なくともその近い仲間)だったはずです。
 さらにアフリカに⽬を向ければ約100万年〜150万年前の興味深い痕跡が⾒つかります。南アフリカのスワートクランズの焼けた⾻、ケニアのチェソワンジャの熱された⼟の塊、ケニアのコービ・フォラの変⾊した⼟壌などです。ただし、これらが⼈類の⼿による意図的な⽕の利⽤によるものなのか、⼭⽕事などの⾃然現象によるものなのか、議論が分かれています。

火こそがヒトをヒトたらしめた

 これらの知⾒に基づき、霊⻑類学者・⼈類学者のリチャード・ランガムは⼤胆な仮説を提唱しています。⼈類が⽕の利⽤を開始したのは、アウストラロピテクスからホモ・エレクトスに⾄る過程のどこかの時点――ホモ・ハビリスの頃だったというのです。発⾒されている最古の囲炉裏が約79万年前のものであるにもかかわらず、⼈類は約200万年前から⽕を使っていたはずだとランガムは主張しています。
 思い出していただきたいのですが、アウストラロピテクスと私たちは肋⾻の形が違います。アウストラロピテクスは内臓が⼤きく、逆さにしたプリンカップのように裾の広がった胸郭を持っていました。⼀⽅、私たちの胸郭はホモ・エレクトスの時代から樽型です。これは、ホモ・エレクトスの時代にはすでに胃腸がコンパクトになっていたことを⽰しています。さらに、アウストラロピテクスは頑丈な顎と⼤きな⾅⻭を持っていました。⼀⽅、ホモ・エレクトスではこれが⼤幅に⼩型化しています。これは加熱調理した柔らかい⾷事を摂るようになったからではないかと、ランガムは指摘しています。
 作業仮説はこうです。
 アウストラロピテクスから少し進化して、道具の⼆次制作ができるようになった私たちの祖先――ホモ・ハビリスは、⽇常的に石器を制作していました。その過程で、偶然にも⽕打⽯を叩いてしまうこともあったでしょう。⾶び散った⽕花が、枯れ葉や動物の抜け⽑に燃え移ることもあったでしょう。最初こそ、彼らも他の獣と同様に⽕を恐れたはずです。しかし、やがて(現在のオーストラリアのトビのように)⽕に近づきすぎなければ安全だ、燃えさしであれば持ち運んでも安全だと気づき、学習する個体が現れたかもしれません。
 ⽕を恐れなくなると、それだけで⽣存競争で⼤幅に有利になることが予想できます。
 ⽕のそばに放置しておけば、芋や球根はホクホクに焼けたことでしょう。野⽣のチンパンジーは1⽇の⼤半を咀嚼に費やしますが、柔らかな焼き芋を⾷べれば無駄な時間を節約できます。さらなる餌の探索や、異性への求愛、縄張りのパトロールなどに時間を使えるようになります。
 猿⼈たちは⽕があれば冷え込む夜にも体温を維持できると気づいたでしょう。焚⽕のそばでは⾁⾷獣を遠ざけることも容易になったでしょう。もはや毎晩樹上の寝床に登る必要はなく、地上で横になれるようになったかもしれません。⽊がない場所でも夜を越せるようになったとすれば、それはサバンナ全域に⾏動範囲が広がることを意味します。種⽕さえ持ち運べば、どこでも野営できるようになるからです。
 こうして「⽕の利⽤」を覚えた個体・集団は⽣存競争で有利になり、やがて調理した⾷物に適応したホモ・エレクトスへと進化した――。これがランガムの仮説です。
 この仮説の弱点は考古学的な証拠が⼀切ないことです。正しい仮説だと頭から信じるわけにはいきません。その⼀⽅で、ホモ・エレクトスの登場時期と解剖学的特徴という状況証拠は揃っています。荒唐無稽な妄想にすぎないと⼀笑に付すこともできない説得⼒があると私は感じます。

 ⽕の利⽤が⼈類の進化にもたらした恩恵は「脳の巨⼤化を可能」にしたことでした。
 ⽕の利⽤には⾼い知能が必要なので脳が⼤きく進化した、というわけではありません。繰り返しになりますが(⽕の管理は難しくても)⽕を利⽤するだけなら、さほど⾼い知能は必要ないからです。問題は栄養学――消費カロリーと脳の燃費にあります。
 脳は、極めて燃費の悪い臓器です。
 体重のわずか2%しかない私たちの脳は、1⽇に消費するエネルギーの約20%を消費します。さらに筋⾁や消化器官とは違い、脳をあまり使っていないときでも消費エネルギーがほとんど変わりません。眠っているときですら、ずっとカロリーを要求し続けるのです。
 私たち⼈類は、霊⻑類で最も体脂肪率の⾼い動物です。これは脳の燃費の悪さによるものかもしれません。⾷糧不⾜で⾝動きが取れないときでも、脳にはエネルギーが必要です。ただ横になって眠っているだけでもカロリーを消費してしまうのです。私たちの⾁体は、飢饉に備えて、飽⾷のときには可能な限りカロリーを蓄えるよう進化したのかもしれません。
 要するに脳は、偶然や奇跡で巨⼤化するような器官ではないのです。ある動物の脳が⼤きく進化していたら、そこには何かしらの理由があるはずなのです。
 ヒトの脳が巨⼤化した要因として有⼒視されているのは「マキャベリ知性仮説」です。ひとことで⾔えば、賢くなるほど群れの中の「政治」で有利になるから脳が⼤きくなったという仮説です。
 たとえばあなたがサルだとして、1匹の友達と⼀緒に暮らしていたとしましょう。覚えておくべき⼈間関係(サル関係)は1ペアだけ。その友達と仲がいいかどうか、過去に恩や仇があるかどうかだけです。
 ところが、群れのサイズが⼤きくなると、覚えておくべき関係は指数関数的に増えていきます。3匹の群れなら3ペア。4匹の群れなら6ペア。5匹の群れなら10ペアです。さらに「この3匹は仲がいい」のような組み合わせを覚える必要もあるでしょう。群れのサイズが⼤きくなるほど、把握すべき関係性は複雑化し、⾼い知能が必要になります。
 このことを証明するかのように、私たちが学校の教室やランチタイムのカフェで交わす会話の⼤半は「知り合いの誰か」の噂話です。電⾞の中吊り広告を⾒れば、週刊誌には著名⼈のスキャンダルが満載です。
 さらに、賢くなるほど噓をついて仲間を騙し、利益をせしめることも容易になります。ここには1種の軍拡競争が存在します。噓で利益を得る者が集団内に増えるほど、その噓を⾒抜く能⼒に⻑けた個体が有利になります。嘘をつく能⼒とそれを⾒抜く能⼒の間で「正のフィードバック・ループ」が成⽴し、嘘をつくこともそれを⾒抜くことも世代を経るごとにどんどん得意になっていくはずなのです。
 マキャベリ知性仮説に基づけば、⼤型霊⻑類にとって「⼤きな脳を持つこと」の利益は計り知れません。もしもカロリーを極端に浪費するという⽋点さえなければ、ゴリラやチンパンジー、オランウータンなどのすべての霊⻑類が⼈類並みに脳を肥⼤化させていてもおかしくないのです。
 ⽕の利⽤は、この消費カロリーの⾜枷を取り払った――。と、ランガムは主張しています。

 加熱調理したエサは、栄養の吸収効率が高まります。咀嚼の回数が減ったことや両⼿が⾃由になったことは、さらなる⾷糧探索・収集を可能にし、⾷事の回数すら増やすことができたかもしれません。⽕の利⽤によりカロリーの摂取効率が⾼まったからこそ、私たちは燃費の悪い臓器・脳を巨⼤化させることが可能になったのかもしれません。その脳を使って焚⽕を囲みながら⼀族の神話を語り継いだり、マンガ『寄⽣獣』を楽しめるようになったのかもしれません。
 ランガムの仮説が正しいとすれば、⽕の利⽤は⼈類の運命を変えました。
 森の中⼼部から追い出された「弱い集団」が、出アフリカを何度も繰り返すほど成功した動物へと進化し、やがて⾃分⾃⾝よりも(少なくとも特定分野では)賢いAIを開発できるまでになったのです。

(次回、「言語」編に続く。)
(本記事は、シリーズ『AIは敵か?』の第3回です)

★お知らせ★
この連載が書籍化されます!6月4日(火)発売!

※※※参考文献※※※
[15] リーバーマン(2015年)上巻P.201
[16] E.フラー・トリー『神は、脳がつくった 200万年の人類史と脳科学で解読する神と宗教の起源』(ダイヤモンド社、2018年)P.73
[17] リーバーマン(2015年)上巻P.164
[18] リーバーマン(2015年)上巻P.161、『神は、脳がつくった』P.73
[19] トリー(2018年) P.135、P.162
[20] フィンレイソン(2013年)P.162
[21] トリー(2018年)P.76-77
[22] National Geographic「【解説】世界最古の洞窟壁画、なぜ衝撃的なのか」(https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/022600087/)
[23] トリー(2018年)P.99-100
[24] トリー(2018年)P.150-151
[25] フィンレイソン(2013年)P.139
[26] National Geographic「古代の超巨大噴火、人類はこうして生き延びた」(https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/031400115/)
[27] トリー(2018年)P.75
[28] フィンレイソン(2013年)P.165
[29] リーバーマン(2015年)上巻P.218-223
[30] D.C.ギアリー『心の起源 脳・認知・一般知能の進化』(培風館、2007年)P.48-50など
[31] ドーキンス(2009年)P.286-298の議論を参照
[32] ジョセフ・ヘンリック(2019年)P.106-107
[33] ランガム(2010年)P.85-86
[34] Gigazine「火を使って狩りをする鳥の存在が確認される」(https://gigazine.net/news/20180122-australian-bird-use-fire/)
[35] ランガム(2010年)P.41-43
[36] ランガム(2010年)P.91
[37] ランガム(2010年)P.87-89

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