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「バンクシーって誰?展」を見に行きましたーブログっぽい何か④

先日、天王洲アイル、寺田倉庫にて行われている「バンクシーって誰?展」を見に行かせていただいたので、そのレビューをしてみたいと思う。
と、言ってもずぶ素人であり芸術にはからっきしな私なので、この展示会の素晴らしさを芸術的に語ることは難しい。さすれば、私は素直な感想をここに記そうと思う。

そもそも今回に見に行こうと思ったのは、ちょっとした興味である。バンクシーと言えば、私のイメージではオークション会場で自身の絵をシュレッダーでかけた人っていうイメージであり、最近では病院に自身の絵を寄贈したことも記憶に新しかった。

今回の展示について書く前に、ちょっとバンクシーについて解説を思い出したり購入してきたパンフレットを見たりながら振り返ろう。

バンクシーはイギリスのブリストルで活動始めたストリートアーティストである。現在ではその活動の幅は同じイギリスであるロンドンだけでなく、アメリカのニューヨーク・パレスチナと世界中で活躍するアーティストである。技法は、主にステンシルアートと呼ばれ、予め用意された型紙にスプレー缶を主に用いて描いている。主に、ステンシルを用いることで、同じ絵をもう一度書きやすい点や簡便に短時間で描けることから警察に見つかりにくいと解説されていた。バンクシーの作品にはメッセージ性が強く、平和・平穏のために現状を皮肉ったような風刺画を多く描いている印象を私はうけた。

では展示について書こう。
展示は終始素晴らしかった。バンクシーの作品の素晴らしさは一度置いとき(あとで言及しますが)、展示の手法が素晴らしい。この言い方が正しいかはわからないが、いわゆる”体感型美術館”と言った感じである。

具体的に言えば、バンクシーの作品の描かれた路上の壁を再現したセットを実際の小物や写真によって表現し、出来るだけ忠実に現地の雰囲気を再現しようとしている点が素晴らしかった。特に、Giant Kittenというパレスチナに描かれた猫の絵を再現したセットやSpy Boothという電話ボックスを盗聴するスパイを描いた作品を再現したセットは、まさにそこにいるような感覚にもなれる展示であった。

また素晴らしいのは絵の周りのセットだけではない。セットとセットの間にも小道具が設置されており、作品を見た際にそれを補助する街並みなどのセットだけでなく、その後ろにも作品の世界観を感じれるような緻密な展示が私は体験したことがないタイプであり、美術に明るくない私にはすっごく新鮮で高鳴った。

さて、バンクシーの作品についても記したい。いや、それをメインにしろよという人もいるかと思うが、私はそれはどうなのだろうかと思っている。

それはネタバレになるから! とかではなく、バンクシーの作品をお金を出して見に行くことは、作者であるバンクシーにとって望ましいことなのか? と思わされる展示であったからだ。

私は芸術には明るくないが、芸術品とはあくまで観覧者に主体があり、作者の手元から離れた瞬間から絵も小説もどんなものであっても、それは見た人がどう感じるかが重要だ。その作品の背景やその作品の理解に必要な基礎知識を持ってほしいという考えはいっこうにかまわないが、それは作者や一部の専門家の横暴だと思っている。芸術は見たままに思うのが本質ではないかと思う。

しかし、その考えは変わっていないが、本展示はバンクシーの思いをどこまで汲んでいるのだろうかと思わせられた。理由はバンクシーがそういう部分に強く意見を述べているからである。特に展示の中に、オークション会場で高値で芸術品を取引する人間を愚かだ、と主張する風刺画があり、それはまさにそれだと思った。

数億で取引されてる自身の絵をオークション会場でシュレッダーにかけたのもシュレッダーにかけるところまでが芸術なのではなく、そういう現在の美術業界を皮肉ったものではないかと思わさられた。また、その証拠に有名になった未だに彼の活動の中心はストリートアートにある点もそれを裏付けるだろう。

ストリートアートとは確かに壁の取り壊しなどの消費期限があるかもしれないが、基本的には誰も現地に足を運べば楽しめ、また写真に乗りSNS上に現れれば遠方の人々でも楽しむことが出来る。理論上は、バンクシーの絵は旅費を除けばほぼすべてを無料で楽しむことが出来ることになる。

つまりは彼にとって展示をすることや自身の絵を売るということは、活動のための資金稼ぎでしかなく、そこに本質がないとも考えれた。

そうなると、この展示を楽しんでしまうことは、ある意味でバンクシーの意図を侵すものであり、バンクシーの軽蔑の対象になっているのでないか? という疑問を持つ自分と展示を楽しむ自分の間にジレンマを抱えることになる。

であるから、バンクシーの作品自体についての良し悪しや芸術的な感想を述べるのは避けたいのもある。

さて、とはいえど、ある程度私の感想を述べたい。そのためのnote投稿なので笑
私はこの展示を通して、展示名通り「バンクシーとはどういった人物なのか?」それを考えてみることにして、それを感想としたい。

まずは彼は本当に「芸術家」なのかと疑問に思った。そして、彼は「思想家」なのではないかと私は思う。
言わば、「作品に歴史的・社会的な意味を持たせる芸術家」なのか「芸術を用いて歴史的・社会的な問題提起をしている思想家」なのか、ということである。

一見、区別がつかないこの2つだが本質が大きく異なる。前者は自分の芸術を表現したいことが一番であり、社会的な意味などは題材に過ぎない。対して、後者は芸術は自分の思想を広げるためのツールに過ぎなく本質は問題提起にあるということである。

私も素人ではあるが、小説を書いている。私は自身の書いた小説をブログなどの公開媒体だけでなく、私用のPCにファイルで保存し、USBにバックアップをとり、場合によっては紙媒体にして保存する。それはやはり自身で生み出したものは可愛く、愛していてそれがこの世から消えてしまうことが嫌だからだ。

でも、バンクシーは自分の作品のきらめきがいつか失われるかもしれないことを承知で、時に自身でそのきらめきを消してしまう。これは作品に儚さなどの芸術性を孕ませたい可能性もあるが、それ以上にメッセージ性に重きを置いているからではないかと実感させられた。

ただここにはちょっとばかしの矛盾がある。芸術性よりもメッセージ性に重きを置いているならもっとわかりやすくするべきだと思うし、バンクシーの絵を娯楽として捉えただ「綺麗」と思ってしまう人にはメッセージが届かない。であるなら、バンクシーはやはり芸術に重きを置いてるのではとさえ思う。

しかし、同時に上手く喋れないから(スピーチが苦手だから)、考えを文章に書きとめよう。そしてその逆もいる。そのように王道と言えるメッセージの伝え方に精通していないまたはそれ以上に得意とする伝え方を持っている人は、王道じゃない方法を用いる方が効率がいい。バンクシーはそれなのかもしれない。

さて、質問に答えよう。
「バンクシーって誰?」

結論として、わかんないww 今回の展示を通して、私の中でのバンクシー像は、さらに見えなくなった笑 なので、今後は素人の自称・美術ちょっと興味ある人の立場から彼の活動をジンワリと追いかけたいと思う。

写真:umi

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