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悪夢の中にいる

きっかけはいつだって些細だ。たった一回の失敗が自分の脳裏にそれへの恐怖心を焼き付ける。同じような状況に直面すると、失敗するんじゃないのかっていう強迫観念が私の足を竦ませる。
「ああ、私には無理かもしれない」
そうつぶやいてやめてしまったことはいくつもある。そして、私は後悔をする。その証拠にそれを反復するように、思い出して時にそれを夢にも見る。私は覚めない悪夢の中にいる。

別に自分の失敗じゃなくたっていい。他人の失敗を見ただけでもそれについての恐怖心を抱くことになる。自己肯定感の低さも相まって、自分よりも優れるあの人に不可能なことが出来るはずがないと思う。
「ああ、私なんかには届かないんだ」
そう考えてやめてしまったことはいくつもある。そして、私は後悔する。その証拠にそれを反復するように、思い出して時にそれを夢にも見る。私は覚めない悪夢の中にいる。

やらなかったら後悔しないなんてこともない。誰かの成功を自分にもできるんじゃないかって思ってしまった時点で進まなかった自分に後悔する。何かをしたいと思った時点でそこには後悔はあるのだろう。
「ああ、私はなんでやらなかったんだろうか」
そう思い返してしまうことはいくつもある。そして、私は後悔する。その証拠にそれを反復するように、思い出して時にそれを夢にも見る。私は覚めない悪夢の中にいる。


少しも後悔のない人生を歩みたいって思ってる。でも、いつだって私の人生には後悔だらけだ。そして、そこには反省が存在する。反省があれば、そこには自分への𠮟責の念がある。
山よりも高く積もった自分への負の感情は、自己肯定感を海溝のように落ち込んだ自己肯定感を私に抱かせる。

死ぬ勇気もないので、ただただこの負のスパイラルに巻き込まれて落ち込んでいく。そんな自分を主観的に感情的に嘆く私がいる。そんな自分を客観的に漫然にただ見ている私もいる。

ああ私は私なのだろうか? こんなにも苦しい悪夢のような日々を送る私は本当に私なのだろうか? 私はどこかのネガティブな人間が作り出した創作物の不遇な誰かなんじゃないのか?
そんな現実逃避が私の中に小さく芽吹く。だが、それを踏みにじって私を現実に戻すのは、確かに苦しいと感じる私の感情だ。


私はいつかこの悪夢から覚めることを夢見ている。皮肉にも悪夢の中で夢を見ようとする矛盾のような……入れ子構造がここにある。でも、それが生きるということの本質のような気がする。

苦しんだ分だけ生きていると感じるんだ。悪夢だと思えば思うほどに生きているということなんだ。死んだら楽になってしまう。だから、生きている間ぐらいは苦労しよう。悪夢とさえ思える今を生きよう。
それが私の生きる意味だ。



ビートたけしさんー「人生に幸せを求めること自体勘違いなんだよ。世間じゃよくどうせ死ぬんだから楽しく生きようなんていうけどオイラは逆でどうせ後で死んで身軽になるんだから生きてるうちはにヒドイ目に会おう辛く生きようと思ってる。幸せになろうなんて考えてないね」
を曲解してみた。

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