見出し画像

毎日応援 58

もうダメだ、と思った時でも、ずっと愛と励ましのブレない言葉を発信してくれている人たちがいる。

それは、メッセージカードを作ってくれた人や存在達のこともあれば、ブログのこともあれば、活動のこともあるし、芸術や音楽の中にもある。


神戸の大震災や、東北の大震災他、いろんなことがあった。

それも、対峙したことがないようなことも沢山あった。

そんな時、「大丈夫」。

と、発信できた人はどれくらいいただろうか。


今のコロナもしかり。


やっぱり、叩かれることが多くなるし、批判も殺到するし、嫌がらせもある。


でも、そういう人はいた。


その人たちは、もう何十年も経つけれど、やっぱり、不測の事態の時に、同じ発信をしていた。


あなたたちは、本質では光で、
愛で、
素晴らしいものだから、
何が起きても、あなたの本質が失われることはない。
大丈夫。


という、内容。


話は飛ぶけれど、、、。



昔のこと。子どもと日がな手毬をしながら、ただ子どものように無邪気に無心に子どもと遊んでいながらも、その子どもたちが明日、売られていくことを知りながら、ただ優しく受け入れ、送り出し、愛していた、そんな
お坊さんでも、書家でもあった良寛さんが、送った言葉がある。

災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
死ぬ時節には死ぬがよく候
これはこれ災難をのがるる妙法にて候

子どもを亡くし、悲しみにくれる知人に向けての手紙だ。


災難に会う時はあえばいい
死ぬ時には死ぬことが最善だ
これこそが、災難から、本当の意味で逃れることができる最善の方法である


みたいな意味^ ^


この言葉は、普通の人が、子どもを震災で亡くした人に送れば、

ふざけんな、
縁切りじゃ、


と、なるかもしれない(ーー;)


でも、世の中の悲哀を誰よりも知り、

幼い頃から遊んできた子どもたちがケラケラと笑い、手毬をついているけれど、明日女郎として売られていくその子達のこれからの悲しい運命まるごと、笑顔で包み、愛して、悲しみに寄り添い、送り出していた良寛さん。

ボロボロの東屋で、糞尿にまみれながら死んでいった、世捨て人の僧の良寛さん、そんな人の言葉だからこそ、

その言葉の意味も深く受け止めることができるんだろう。。。


そんな良寛さんの言葉の言い方とは違うけれど、
どんな時も、愛と励ましの発信をしてくれている存在の言葉は、

あなたがたの素晴らしい愛の本質が失われることは、ない。
だから、何があっても大丈夫。

という、言葉になるんだろうし、

同じ意味を、現代版で言っている感じがする。


そういう発信をしている人に、助けられてきた。

でも、その人たちの言葉は、
いつも同じ、安心、とか、大丈夫、だから、

自分の暮らしが、わりとスムーズにいっている時は、スルーしてしまうことがある。


でも、ほんとにありがたい。。。



わたしは、未熟者なので、何度もくじけそうになったり、転んできて、その都度、
そんな、発信に助けられてきた。


その人たちが、世間から叩かれていたのも見た。

でも、その人たちは、
その発信は、太陽みたいだった。


ただ、分け隔てなく降り注いでいて、
でも、日陰に入って、拒否することもできる。


そして、どんな雨や嵐でも、
ちゃんとやっぱり、その上では照らし続けている、そんな太陽のよう。


そんな人たち、存在もいるんだね^ ^


わたしもみんなも、いつも応援されている!


そして、あなたの本も絵も、笑顔もブログも、挨拶も、
居てくれることも、
きっと誰かを太陽のように、あたためている!




ありがとうございます。


今日も楽しい一日でありますように。




戸張碧月

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?