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恫喝する人から時代が逃げていく

フィールドを毎瞬、色とりどりにクリエイトする皆さま、こんにちは。

今回は、恫喝する人にはもう、きっと時代の方がその人から離れていく、というお話です。

先日、好きなアニメをやっていて、久しぶりに観てみたら面白くて、そのままつけていたら、大御所アニメ監督の特番の再放送が始まりました。

何となく観ていましたが、監督が大御所過ぎて誰も何も言えない環境にも関わらず、

監督は、周りを恫喝していました。


テレビを消しました(^◇^;)


そのテレビ番組の中で、監督は

「俺には時間がないんだよ!」と怒っていました。


え、じゃあ、辞めたら、と思いました(^◇^;)



だって、他の若い人とその監督の時間て、
同じ価値ですよね。

一人でできなくて、みんなの力を借りるのに、

出来てない、と、若手を恫喝する?!


その方は一人で、10人、100人、1000人分程の才能が実際あるのだと思います。


世の中の多くが、その方に楽しませてもらってきたことは時代が証明しています。



わたしもその監督の作品は大好きで、
何百回も観てきました。


でも、もう、世の中は変わった。

圧倒的なパワーを持つ一人の存在が、
恫喝して、周りを引っ張って行く時代は、

終わったと思いました。

どんな立派な理由があってもです。


随分前に、その監督の元で長年働いて、
背景画の多くを描いてこられた方の個展に行ったことがあります。


その方は、何日も寝ずに絵を仕上げ、
ありがとうもなくその監督に恫喝されて、
大金のボーナスか何かをもらう直前で、

もう嫌だ、と辞め、
奥さんにえらく叱られた話を見たか、聞いたかしたと思います。


大変だなあ、、、それは、、、

と、思ったことでした。


大物って、細かいことに気を使わないで英断することができるから大物だ、と言われると昔の人は言いましたが、

もう、これからの世の中は、誰もついていかなくなるんじゃないでしょうか。


そして、飴と鞭(アメとムチ)

恫喝と、ご機嫌取りを使う人からは、

逆に、こちらから離れていかないと、
洗脳や、虐待されてしまいます。

真剣に気がつかないといけない時代ですね。

昔から、作品と人格に関係はある、ない、で、

いろいろ議論は尽きません。


でも、これからは、

それでも好きか、嫌いかは自由だ、

から、

才能があるから、
パワーがあるから、

恫喝してもいい、は終わり、

尊敬しているから、
好きだから、

恫喝されても、言うことを聞く、
従う、

も、

もう終わり。


なぜならそれは、自分を大事にしていないことになるから。



結局、自分を大事にしていなくて、
好きだから、尊敬しているから、学べるから、と

嫌なことを毎日甘んじて受けていたら、

他の人に意地悪したくなるんです。

人は。

自分より、弱くて優しい人に。



水が、下に流れるように、
意地悪された人は、

そのストレスを、必ずどこかにぶつけます。

それも、弱くて優しい存在に。


家族でも、友人でも、同僚でも、
子どもでも、動物にでも。


なので、周り回って、
みんなで意地悪スパイラルを作って、

世の中が意地悪になるのです。


楽しくて、ルンルンの人に、一人一人がならないと、
恫喝してもいい、
それをされても仕方ない、

という、変なことになります。


今の若い人たちは、
お金もかけず、めちゃくちゃおかしいことや、
面白いことをやって、

それが、何十万人、何百万人に楽しまれています。


過日、子どもから、

「これ、めっちゃウケる。観て!」

と、回ってきた動画がありました。


ステイホーム中のことで、外にも出られないし、
行きたいテーマパークに行けないということで、

そのテーマパークのアトラクションを、段ボールや、ハンガーや、ビニール袋や、電球を使って、家の中で作り、

そのアトラクションの、全てをチープに、しかし、もれなく再現していました(笑笑)

大爆笑しました。

ものすごい再生数を更新していて、
大人気です。



これらの世相から見ても

「いいものさえ作れば、人は納得するし、
喜ぶもんだ」

というのは、終わったのかなと、思いました。


伝わりますしね、
現場の意地悪な雰囲気も
逆に、楽しさも。


嬉々として作られた楽しい作品の勢いって、観る側に、何年たっても鮮やかに伝わります。


今特に、感覚の鋭い人が増えていますから、
どちらも余計、伝わると思います。



恫喝されて作ったものは、作った側はそれでも
努力の後の充実感もあるかもしれませんが、

そこが見えちゃうと、見てる方は
冷めてしまいますしね。。。



人ができないことができる人は、

その才能を、

人を恫喝するために
才能を持って生まれたわけではなく、


本当は、楽しくできる効果的なやり方があることを教えるために、
才能を与えられたと思います。


もちろん、甘やかして、ほめちぎって、ご機嫌を取ることとは違います。

恫喝=自分はここまで頑張らないと認めてもらえないんだ、
尊敬されないんだ

という、劣等感の裏返しです。



剣の師匠でも、
ほんとに強い人は、

これだけ、がんばったんだぞ、とか、

これ、お前に出来ないだろ?バカ、とか


絶対に、言いません^_^



黙って、ただ強い!

そして、目をちゃんと配っていて、
サッと、教えに入る。

それが、また的確!


なので人は、黙っていても皆、先生を尊敬するので、

その人を敬愛しながら、腕を磨く。



引越しの為、学べたのは短期間だけでしたが、
わたしの剣のお師匠さんが、そんな方でした。
(もちろん、まだまだ、ご健在^_^)



これからの時代は、

みんなを心地よく楽しませたり、

風が抜けるような心持ちにさせてくれたり、

あたたかい気持ちにさせてくれる人のところに、

人が集まる時代になると思います。


品がないことや、
人をいじめて笑って楽しんだりすることも、

もう、みんな嫌気がさしているので、

淘汰されていくでしょう。


誰も、完璧を求めているのでも、

求められているのではなく、

ただ、自分の大事な時間やスペースを、
大事に自由に楽しく

自分が、自分のために使いたい、

それが、当たり前ベースになっていく、ということなのです。



いい時代になってきましたね。


恫喝してなんとかなる時代は、終わるいい時代、というお話でした。



皆さまも、楽しい時間をクリエイトされ、
楽しい時間を過ごされますように。



ありがとうございました。



戸張碧月



























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