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閉じた人間が理解しようとしてる『フリ』をしていた話。

■質問がない
「おおいえさんは質問しないからどこまでわかってるかわからないんです。みんな言ってます。」

ああ、まただ。

販売のパートをしていた頃、店長に言われた言葉だ。

私はよく、「話をちゃんと理解しているかわからない」と言われる。
あからさまに無視をしていたり、他の作業をしながら聞いている訳ではない。
相手の目を見て、時には頷きながら聞いている。本気で聞いているのだ、自分なりに。その時は。

頭の中では聞いた話を整理するのにいっぱいで、質問する事柄まで追い付かない。
聞くことが思い浮かばない=わからない事がない、ゆえに理解できていると思い、そのまま「わかりました」で話を終わらせてしまう。

相手が不信を感じるのはそのあっさりしたリアクションだと思う。
自分の言ってること、どこからどこまでが「わかりました」なのか。
理解の深度を疑われているんだと思う。

■その場しのぎ
実際に内容の表面しかわかっていない時、例えば一緒に出掛けている友人から「トイレに行ってくるから鞄を見ていて」と言われて、泥棒に鞄を持っていかれても黙って見ているだけのような(あくまでも例えです)、理解の深度が深ければ避けられたような事態を引き起こしてしまう。

その度に、同様の注意を受けへこむ。
「わかってないならその時に言って。」

どうしたらいいか。

理解の深度を高めればいいのか。

・・・どうやって?

結局、深度の深め方がわからなかった私は、とにかくその場しのぎの愚行に出た。

説明のすぐ後に深度の浅い質問を返す。

言わば「これはペンですか?」くらいの浅い質問を。

取り敢えず質問がきたので相手は答えを返してくれる。
これを繰り返すうちにごくごくたまに的を得たスマッシュヒットを打つ事もあるが、たいていは不毛な時間が流れていく。
でも質問をしなきゃ。質問をしないとまた理解してないと思われる。

もはや“相手の言うことを理解したい思い”より“理解できてないと見限られる恐怖”の方が勝っており、本来の目的を見失っている。

そのうち行き当たりばったりだと何も浮かんで来なくなるので、当たり障りなくそれっぽく、なおかつ大体のケースで使えるような返答をテレビのトーク番組などで拾っては頭の中でストックしておくようになった。

ストックに入った適当な言葉をランダムに出せばやり取りは続くが、話の本質を理解するのとは程遠い。

理解の深度は相変わらず浅いので、できる仕事のレベルも全く上がらなかったが、話を聞いている体が繕えているので咎められにくくなり安心した。

このまま本質に触れずに過ごせば今も同じ職場にいたと思う。

神様は怠惰な人間を許さなかった。

■真逆の人
仕事に慣れてきた頃、少し年下の、でも自分と同じ主婦で同じ年頃の子供がいる女性がパートで入ってきた。
入社当初から彼女のやる気は私のそれを大きく上回っていて、店で売られていた何万円もする商品を勉強のため購入したり、積極的に社員さんを捕まえては作業に加わっていった。

もちろん、質問も数限りなかった。

その数限りない質問に、私がしたような薄っぺらい浅さなど見当たらない。
次の展開に結び付くような、深さのある、意味のある質問だった。

彼女と私で決定的に違っていたものは何か。

熱意だ。

この仕事がしたい、ここで働きたい情熱だった。

私が持たなかった物だ。
タイムカードを押した瞬間から「退社まであと○時間」とカウントダウン始める自分にあるわけがない。
取り敢えずどこかに所属して時間を潰していれば給料もらえると目論んでいる人間が持ち得るものではない。

だって興味ないもの、仕事に。

40年以上生きててこんなに差があるのを目の当たりにして何だか惨めになり、スタッフの誰とも連絡先を交わせない、人間性を知られるのが嫌でプライベートな話は一切しない自分とは違いどんどん距離を縮めていく彼女を横目で眺めつつ、今までと誰も何も変わらないけど居場所がないように感じて、忙しくない時期を見計らって早々に引き継ぎをし、店を辞めた。

彼女が熱意を持てて私が持てなかった理由。
恐らく彼女は“開いて”いて、私は“閉じて”いるのだと思う。

■開いてる人間、閉じてる人間
開いた心は人が出入りする。
閉じた心に訪れる人はいない。

開いた心は風通しがよい。周りもよく見えるので気づく事も考える事もたくさんある。
ふいに入ってきた誰かから傷つけられたとしても逃げ場は作れるしそもそも出入りが激しいので一人に固執する必要もない。外に向かって循環しているので膿を溜め込む事もなく痛みも発散できる。

閉じた心には自分しかないので気づきも少なく、考えるネタも少ないので思考も変化しない。
一見壁に守られてて強そうだけど、一度外部から侵入されれば逃げ場がないからズダボロにされるし、循環が悪いので膿も溜まりやすい。刺激を受ける材料も少ないからいつまでも古い出来事に固執しやすい。

気づかなければ問題なく今も同じ所に勤めていたと思う。
事実、今までもそんな機会はたくさんあったろうに全く気に留めなかった。
でも今回は気づいてしまった。惨めな自分を見られたくなくて辞めてしまった。
自分の思う自分を守るために、壁の中に引っ込んでしまったのだ。

42年間築き上げてきた壁がそう簡単に崩れるものではない。
今すぐ彼女と同じように生きられる気もしない。

今までと違う変化は一つ。
安心だと思っていた生き方が万能ではなかった事。

気づいたところで何も変わらないかもしれないが、衝撃とダメージを受けているので書いて覚えておこうと思う。