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「春の熊くらい好きだよ」って言われてみたい #2 一人称単数

村上春樹作品に繰り返し現れる、作家の分身のようなあのひとが好きです。本作で、久しぶりに会えてうれしかったです。

《石のまくらに》
この短編の「僕」はあのひとだ。疑わずそう思って読みました。「彼女」はとても不器用な人のようで、あまり幸福そうでなく、「僕」に甘えてみせても、女性として魅力があるとは言い難い。
そんな彼女を特にジャッジせずに受け入れて、彼女の望むようにしてあげるところは、まさにあのひと。優しいな相変わらず、と思いました。
しかしこの展開が、アンチ村上春樹読者には不愉快だそう。意見を聞くと、この努力もせず女性をひきつけるところが、男性の全能感を見せつけるようで嫌だという。その場の女性のほとんどが同意見。
女性がひきつけられてしまうのは、あのひとだからだよ。問答無用だよ… と思っていたのは私だけのようでした。
そういうことをする男の人の気持ちは想像することしかできないけれど、どういうつもりかわからないことをいきなり言い出した、そんなに好きでもない女性を部屋に泊めてしまって、それなりに面倒だとしか思えない。後日談を含めて一貫して優しい、としかいまでも思えない。

《ウィズ・ザ・ビートルズ》
《謝肉祭》
《一人称単数》
どの作品にも、あのひとがいる。いろんな年代のあのひとに会える連作のようにも感じながら読みました。《ウィズ・ザ・ビートルズ》のサヨコさんは、《国境の南、太陽の西》のイズミさんを思い出させます。代わりのいないあのひとを、好きになってしまったからこそ味わう幸福と、別れたあとの不幸。そこが共通しているように思います。
《一人称単数》で、「私」がバーで隣り合わせたのは、そんな女性なのでしょうか。あのひとが自分の耳の奥の特別な鈴を鳴らしてくれなかったと感じた過去の彼女の友人かもしれない。鈴が鳴らせなくても大切にしてほしいと主張するのが女性らしいし、自分の判断は決して譲らないけれど、ごめんなさいと小さくなってみせるのは男性らしい。

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