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見えないクレジット。

デザイナーになることを志したとき、なんとしても東京で就職したいと思いました。
CDジャケットや書籍装丁、雑誌デザインなど、いわゆるカルチャー系の仕事をしたいと思っていて、大手レコード会社や出版社のほとんどが東京に集中していたからです。

無事就職できた先は、東京・築地にある、印刷会社の下請けを主とする制作会社だったので、デザイン誌で紹介されるような派手な媒体広告を手がけることもなく、パンフレットやカタログなどの販促物を粛々と制作する日々でした。

独立してからは友人のツテや営業活動の成果もあり、音楽関係の仕事が増え、音楽雑誌のページデザインの仕事も来るようになりました。なによりの喜びはこれまでと違って、自分の名前(クレジット)がブックレットやページに掲載されるということでした。

そもそも音楽や出版仕事への憧れは、学生時代から買っていたCDジャケットに掲載されている著名デザイナーの名前。自分もこんなふうに名前が掲載されると嬉しいなと思っていました。

勿論、デザイナーの仕事でクレジットが入るのはごくわずかのケースです。CDや書籍は、アーティスト(ミュージシャン)や著者が存在している、著作表現の分野です。それに倣って慣習的にクレジットが入っているのだと考えられます。同じように映画やアニメーション、ゲームの世界など、クレジットが入る仕事というのは著作表現の程度が強いものに見られます。

クレジットが入る仕事は、自分の名前が対外的に示されるので、大きなやる気に繋がることは否定できません。
あるいはクレジットを見たお客さんからの批判の対象にもなり、気も抜けません。

ここから本題です。
「クレジット」という言葉の意味を考えてみましょう。
「クレジットカード」という言葉にもクレジットとありますが、共通点はなんでしょうか?
これら「credit」はどちらも「信用」という意味です。
この人にお金を貸していれば必ず返してくれるという信用。
この人が参加してくれていれば必ず良い作品になるという信用。

会社員時代にも多数つくっていた、そして今もたくさん引き受けている、名前が載らないカタログやパンフレットやチラシ。僕らデザイナーは制作者であることを対外的に言ってもらえないケースが多いです。しかしこれは逆に考えると「僕らデザイナーが矢面に立たされない」ということなのです。
矢面に立たされるのは誰でしょうか。そう、クライアントです。
間違いだらけのチラシや、見づらいデザインのパンフレットで、顧客に不信感を買うのは送り手であるクライアントなのです。だからクライアントはデザイナーの案を自分ごととして真剣に吟味するのです。

そういえば、先の音楽CDの仕事についても、子供のころはクレジットなど読まず「このCDジャケットはアーティストがデザインしているのだ」と思い込んでいた時期もありました(結構そう思っていた方もいませんでした?)。デザイナーが担当していると知った後でも、「センスの良いCDジャケットだからこのアーティストはセンスが良いのだ」という刷り込みも多くあるでしょう。

クライアントが矢面に立たされているとき、僕らのクレジットは無くなってしまったのか? もちろんそんなことはありません。クレジットが載らない仕事は、クレジットが無い(null)のではなく、クライアント(もしくは上司)から与えられた見えないクレジットがちゃんとあるのです。だからこそわざわざ指名で仕事を頼んでもらったのであり、僕らは仕事でこのクレジットを絶対裏切ってはいけません。

自分の名前を示して、たくさんの人から承認を得る仕事は快感かもしれません。今ではクライアントの理解を得られれば、SNSで自分のクレジットとともに自分の仕事を紹介することもできます。
しかし本質に目を向けるなら、デザイナーの本分は目の前の一人または数人の担当クライアントの信頼を獲得し、維持していくことにあると思います。

可視化されているクレジット、見えないクレジット、両者に貴賤はありません。
自分の仕事は名前が出せないからやりがいがない、もっと自分の名前を出して有名になっていきたい。友人は名前をバンバン出して個性的な仕事をやっていて悔しい。そういう思いがよぎることも無理はありません。

しかし、そんな思いががよぎったときには。あなたが誰かから獲得した大事な大事な信頼を見つめ直して、誇りをもって今の仕事をしてほしいと思います。

最後にクレジットについての印象深い台詞を紹介したいと思います。

三谷幸喜監督の「ラヂオの時間」から。
鈴木京香さん演じるラジオドラマの原作者が、たび重なる勝手な脚本改変に心を痛め、自分の名前を放送で呼ばないでほしいと、西村雅彦さん演じるプロデューサーに詰め寄ったとき、プロデューサーが彼女に放った長セリフです。

「あんた何もわかってない、われわれがいつも自分の名前が呼ばれるのを満足して聞いていると思ってるんですか。なにもあんただけじゃない。私だって名前を外してほしいと思うことがある。しかしそうしないのは、私には責任があるからだ。どんなにひどい番組でも作ったのは私だ。そこから逃げることはできない。満足いくもんなんてそう作れるもんじゃない。妥協して、妥協して、自分を殺して作品をつくりあげるんです。でもいいですか、われわれは信じている。いつかはそれでも満足いくものができるはずだ。その作品に関わったすべての人と、それを聴いたすべての人が満足できるものが。」

(映画「ラヂオの時間」より)


こちらはデザイナーではなく、著者としてのクレジットです。
けっこう矢面に立ってます。よろしければ。

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