アダルトチルドレンの過去の記憶
小さい頃のこと記憶にないんだよね~
というセリフ、アダルトチルドレン界隈でよく耳にします。
そんな何十年も前のこと、覚えていないの当たり前じゃない?
と思う気持ちも分からなくもないですが
実際、満たされて大人になった健康的な心の人たちは、しっかりと過去の記憶があります。
事細かに描写を表現し、目の前に映像が見えているかのように
その時おきたこと、風景、一緒にいた人々、笑い合ったこと、泣いて騒いだこと、などなど話すことができます。
彼らは、何度も同じ話をします。話すごとにより思い出すようで
そういえばあんなこともあった、こんなこともあった
と記憶の深みと幅を広げていきます。
記憶の不確かな私達アダルトチルドレンは、過去の思い出話に共感することよりも、同じことを何度も話すことの方に不快が入り
また同じこと言ってるよ…
とそっちに気持ちが行ってしまいがちです。
私自身、小さい頃の思い出話を身内にすると
もうそれ聞いたよと言われショボーンとなり心の奥に引っ込めることをしてきました。
そして自分の子どもが生まれ、我が子が繰り返し楽しかったことを話そうとすると
もう○回めだから!と強く遮ることをしてきました。
自分がされたように子どもにも同じことをしてきてしまいました。仕方ないと言えばそれまでですが、自分がされて嫌だったことをしてしまうのはできれば避けたいこと。
ではどうして記憶がないのか。
無理に思い出そうとして思い出せるものでもないし、お金を払えば買えるというものでもないのが記憶。
覚えているということは、実際にその出来事を肌で感じているかどうかだと思うのです。
例えば、嫌いな授業だったら、その場にいて先生の言葉が耳には入ってくるけど、授業内容は記憶に残りません。
その時間、何をしていたかと言えば、落書きしていたりマンガを読んだり、スマホを見たり、友人と話していたり
もしくは受験勉強の為に他の勉強をしていたかもしれませんね。
その場に居て、表面上はあたかも同じ空気を吸っていたとしても
でも心はまったく別のところにいれば授業内容は記憶に残らなくて当たり前。むしろ聞きたくないっていう方が近いように思います。
アダルトチルドレンの多くは機能不全家庭で育っています。
現実を受け入れがたい家庭をどうして記憶にとどめておきたいと思うでしょうか。
何か別のことに没頭したり、自分だけの空想の世界に入り込んだり、または親の世話に夢中になることで自分の感情を殺したりすれば、現実を見なくて済むのですから。
むしろ現実を見ないということで自分を守っていたのです。
現実を記憶することが、とても辛いこと、避けたいことであれば、辛さを感じないためにする方向を選ぶしかなかったのです。
時には楽しい記憶もあったでしょう。
1年に1回来るいとこと遊んだこと、親に隠れていたずらしたこと
子どもらしい楽しい出来事もあったかもしれませんね。
でもそれらの前後に辛い記憶がちりばめられていたら……時系列で記憶をつなげていく事は難しいのではないでしょうか。
記憶がないということは、自分を守るために嫌だった記憶を忘れるという良さではあるのですが
楽しかった記憶を心の奥に埋め込んでしまうという悲しさもあります。
ゆえに私達アダルトチルドレンは、記憶がない…という風に思ってしまうのです。本当は良い記憶もあるのです。たとえ1%だとしても。
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