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【新米職人の奏 #01】片耳難聴も耳鳴りも聴覚過敏も難病も、わかってもらえないのが当たり前。

こんにちは。小野寺です。

このnoteは片耳が聞こえない15才、
中学三年生の君へ贈るメッセージです。

今回は新米職人の奏さんに
お話を伺いました。

それでは、インタビューをどうぞ!

■片耳難聴は不便だった?


――― 奏さんはいつから片耳が聴こえないのでしょうか。


小学校に入学するときの検査で
右耳の難聴がわかりました。

ただその原因がおたふく風邪なのか、
生まれつきなのかはわかりませんでした。

小さいころの私の映像を見ると
よくわかるんですけど、

相手に聴こえる方の耳を向けて、
グッと目も向けるしぐさをいつもしていて。

当時はそれが睨んでいると勘違いされて
よく喧嘩になっちゃっていたみたいです。


――― 学生生活で不便に感じることはありましたか。


小・中の間は一番前の左端の席だったので
授業は問題なく受けられていましたし、

友だちとの会話も私が勝手に左側に行くので
みんなそこまで気にしてないようでした。

ただ、小学校五年生のときに
聴こえている方の耳が中耳炎になって、
両耳が聴こえなくなったんですね。

いまでもよく覚えているのが、そのとき
テレビのスピーカーに耳をあてても
全然聴こえなくて、パニックになりました。

病院で治療のために鼓膜を破って、
片耳の聴力はなんとか回復したんですけど
代わりに耳鳴りが激しくなって。

ちなみに私の耳鳴りの場合、
低音の「ボボボボボボボ」と、
別の低音の「ボーーーー」と、
高音の「キーーーーーン」の、
三パターンの爆音が鳴り響いています。


■どうしたら人にわかってもらえる?


――― 高校ではどうでしたか。


高校2年生と、高校3年生のときに
聴こえる方の聴力がガクンと落ちて、
隣同士の会話も難しくなりました。

それまでも日によって変動はしていたので、
一ヶ月我慢をしちゃったんですけど、

もうメンタルが限界になって病院に行ったら
即入院させられました。

もともと15dBぐらいだったのが、
退院のときにはに30dBぐらいになり、
さらに聴覚過敏になってしまったんです。

聴覚過敏になってからは、
カンカンという響く音はもちろんのこと、

ひどい日はトイレのファンの音すら
聴いていられないときもあります。

いま私は20歳になって、
さらに聴力が落ちてきていまして、

その原因はあとでわかったんですけど、
「遅発性内リンパ水腫」という
片耳難聴者がなる難病にかかっていました。

以前、インタビューでさーやさんが
言っていたものと同じです。


――― そこまで色々重なってくると、人に理解してもらうのが難しくないですか。


片耳難聴も耳鳴りも聴覚過敏も、
難病で聴こえる側の聴力が落ちていくのも、

他の人に全部を理解してもらえないのは
当たり前というか、仕方がないことだと
思っています。

目に見えなくてわかりにくいですし、
家族にすら100%理解はされません。

だから、周りの人たちに対して
「いつも気にかけて欲しい」とか、
「ずっと忘れないで欲しい」とか、
そういう気持ちはあまりないんです。

私の場合は、自分で聴こえる側に行くとか、
都度都度必要なタイミングで伝えるとか、

そうやって誰かに頼りながらも
まず「自分がどうするか」を
考えるようにしてきました。

幸い友だちや職場のひとにも恵まれたので、
そのおかげでなんとかやってこれたのかな
と思います。


(続きは明日公開!お楽しみに!)


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