私たちは何のために表現するのか?
「表現する」という選択肢を手放し、「表現」という存在を客観的に見つめてみたときに、私が気づいたことを述べていきます。
表現にはさまざまな方法があります。言葉、外見、そして創造物。私たちは日々、これらを通じて自己を表現し、他者の表現を楽しみながら生きています。言葉であれば、話すことや書くこと。外見では、身体や装飾品。創造物は、事業、絵、音楽、映画など、数え切れないほどの形があります。
今回は、「言葉」という表現に焦点を当て、特に初対面や仲が深まる前の状況においての「言葉」というものの表現について考えてみました。
私は、言葉を通して人と深い関係を築きたいと思っています。仲良くなれる人とは、より親密になりたい。
それは、たくさんの友達が欲しいという意味ではなく、心から仲の良い友達と出会えることが何よりも素晴らしいと感じているからです。
だからこそ、もっとあなたのことを知りたいし、私のことも知ってほしいと思います。あなたのことを知りたいからこそ、私は素直に自己開示をします。
私は、人と話す時、「自分のことを話して表現する」よりも「相手の話を聞いて未知の世界と出会う」ことが楽しいと思う派です。
直近この思いが強すぎて、「自分のことを話すという表現」を手放し、「人が話すという表現」をよく見てきました。
しかし、話を聞き続けていると、相手もいずれ「聞く」という選択肢を選びたくなります。
そこで、私は一つのことに気づきました。
多くの人が私に聞きたいことは、実はほとんど同じだということです。
具体的には以下のような質問です。
なぜ起業したのか
起業に対する恐怖はなかったのか
どんなサービス展開を目指しているのか
趣味は何か
過去の略歴はどうか
現在の人格を形成した経験は何か
どんな子供時代を過ごしたのか
周囲の人が私に聞きたいことがほとんど同じなのであれば、多くの人が聞きたがる内容をコンテンツとして事前に公開しておくことで、私のことをいつでも誰でも好きなだけ知ることができるなと考えました。
そうすることで、私に興味を持つ人が増える可能性や知ってくれてる人がもっと興味を持ってくれる可能性があります。
その結果、より深い話が序盤から展開でき、相手の話を聞く時間を多く確保することもできます。
(これは、仕事で事前に概要資料やアジェンダを送る行為と同じ効果を生むでしょう)
まとめると、自身をコンテンツとして公開する、つまり表現するメリットは、以下の3つが考えられます。
仲の良い人が、さらに深く自分を知ることができる。
知り合いレベルの人が、もっと深く関係を築きたいと思ってくれる可能性がある。
知らない人が興味を持ってくれる可能性がある。
事前に自分を知ってもらえることで、実際に会った際には、その分相手の話を聞くことに多くの時間を割けます。
多くの人は、作ったコンテンツを見ないかもしれません。
しかし、たとえ1人でも見てくれたら、その分その人とは仲良くなれるでしょう。
このように、言葉で自分自身をコンテンツとして表現しておくことは、仲良くなる質を高め、仲良くなれる人の数を増やしてくれる一助になるはずです。
だから私は、言葉を使ってSNSなどで私自身のことや考えを発信していきます。
自分の好きなように、自分の好きなペースで。