生きること、学ぶこと


(問い)戦後日本の高等教育改革から学ぶ「高大接続」とは?


土持法一氏の『Higher Education Reform Policy in Postwar Japan(戦後日本の高等教育改革政策)』を読む。

「高大連携」は、何と78年前の戦後に戻ります。ハーヴァード•カレッジ(今もその伝統は守られている)は、「人間の謙虚さ、人間性、柔軟性、批判制、視野の広さ、倫理•道徳感」が、責任ある市民(Citizenship)になるために大切とカリキュラムの基本としました。同じくして、アメリカでは、「リベラルアーツ」から「ゼネラル•エデュケーション」の導入で燃えていました。シカゴ大学(ハッチンス学長)の「シカゴプラン」と呼びます。中等教育との連携の上での高等教育を企図しました。(小泉信三、南原繁、上原専禄、奥井復太郎等が支持)つまり、「ゼネラル•エデュケーション」は、考え方、コミュニケーションの習熟、双方向の思考や判断力を学ぶためでした。(これは、文科省、中教審が最近一貫して主張していることでもありますが。)
そこでシカゴ大学の教育革命は、「講義形式」は一方的に情報を提供するに過ぎない、判断力を築くことこそ重要と「討論形式」の授業にしました。半世紀以上前のことです。(今、アクティブラーニング、主体的学び—と言われていることです—驚きませんか)

中等教育、カレッジという圧倒的多数(四年制大学に比し)に対しての「一般教育」(ゼネラル•エデュケーション)が成り立ってのユニバーシティの存在があると欧米では半世紀ずっとその考えでやってきました。人がひとであることは、即ち個人としてのアイデンティティを持つことであることを修練してきたのですね。

寺崎昌男は「日本の学びの遺産は素読、読書、会話、聴講<17世紀―19世紀の江戸時代>それが20世紀になって欧米の学校システムが導入されて<成績評価>がはいった学びとなってしまった。今、「この瞬間に求められる授業」から「上級学校をうけるときに問われるかもしれない問いに応えるための学習」になってしまった。」と考える。

明治以前の日本の学びにこそ鍛えられた想像力があったことを学びます。大阪の懐徳堂を中心に学んだ知識人たち、山片蟠桃、貝原益軒、宮崎安貞、西川如見、五井蘭州、杉田玄白、三浦梅園、二宮尊徳、海保青陵らの想像力が日本の農学、天文学、解剖学、貨幣経済、貧困問題などの重要性を社会に提示した。やがて影響を受けた白石正一郎(高杉晋作の騎兵隊)、岩崎弥太郎(公益商社)、渋沢栄一(銀行)、五代友厚(商工会)などが日本産業を想起していく。しかし、その後、寺崎昌男が指摘する<評価>を意識した学びは想像力をスタートとした学びを忘れさせていくのです。
 
制度の問題の前に、もう一度人間としての原点に戻って、『教育』を考えることが我々には求められていると思う。

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