ニャンニャンニャン

今日は仕事が8時15分に終わって
明日お休みになりました。

オーストラリアでワーホリをしていて色んな
バックグラウンドを持つ人に会ってきました。

ブラジル、チリ、アルゼンチン、メキシコ、コロンビア、
アメリカ、カナダ、サウスアフリカ、エジプト、ケニア、
スペイン、フランス、イタリア、イギリス、ギリシャ、
アイルランド、デンマーク、ノルウェー、スェーデン、フィンランド
ロシア、レバノン、シリア、パキスタン、
バングラディッシュ、アフガニスタン、モルディブ、
ベトナム、タイ、フィリピン、インドネシア、マレーシア、
インド、ネパール、中国、台湾、香港、韓国、モンゴル、チベット
ソロモン、パプアニューギニア、ソマリア、フィジー、オーストラリア、ニューランド。etc….

こうやって列挙していくとなんだか不思議。

世界には色んなバックグラウンドを持つ人がもちろんいて、
みんなそれぞれの状況がある。

羨ましいオーストラリアに移住しやすい
イギリスやニュージーランド人。
パスポート2枚持ちの人。
ワーホリのビザ申請に色んな骨の折れる審査をクリアしないといけない
インドネシア、中国などの人たち。
そもそもワーホリの制度のない国。
オーストラリアで稼ぎながら
経済的に苦しい母国の人たちを
さまざまな面で援助するフィリピン人。
難民として逃げてきて、
母国に身柄が送還されたら、
逮捕されて命の補償すらないイラン人。
難民としてオーストラリアに来て、
30年間一度も母国に帰れず、
両親や故郷と生き別れてきた人。

色んな状況の人たちに出会ってきました。

年齢制限があるが日本人はワーホリのビザが取りやすい。
500ドルくらい払えば簡単にオーストラリアに来れる。
しかも日本のパスポートがあれば、
割と簡単に海外のあちこちに飛べる。
日本という国は色々苦しい面もあるし、
もちろん全員には当てはまらないが、
まだ先進国として、個人が少し間口広げれば、
ほとんどの国民には色んなチャンスがある。

でもぼく自身は、そんな日本での生活が息苦しく感じる時期があり、
色々悩んでいる時にオーストラリアに来ることを決意した。
その決断は勇気のいるものだった。
ここにきてからも色んな難しいこともあった。
海外の言語も文化も違う場所で生きていくのって、
本当に簡単じゃなくて、
経験した人にしか分からない困難もたくさんある。

それでも、
日本人はほとんど難なくビザが取れて
簡単にオーストラリア行きのチケットを、
手に入れてしまえるのも事実。

オーストラリアは物価は若干高いが、
賃金もとても高い。
海外が初めてでも比較的住みやすい国に、
三十歳以下であれば学力や経済力などの審査もほぼなくて、
簡単にこれてしまう。
三十歳以上であっても、比較的学生ビザも取りやすい。
もし自分のライフスタイルに合わなければ、
日本に帰ることだってできる。
犯罪さえ犯してなければ
オーストラリアにいたからって逮捕されることもない。

他の国の人の状況を色々と聞いてきて、
日本はまだまだ色んな特権を持った国なんだと、
実感することが多々あった。

海外を挑戦するという決断はとても勇気のいることではあるが、
いくら勇気があっても、
ある国々にあてはまるように、
その環境が整えられていなければ、
自国を簡単に離れることさえできない。
だから挑戦するということは
自分だけの力によって実現された行為ではないということを、
考慮して世界を見る必要があるのではと思うことがある。
地盤はいつも他の何かの恩恵によって
固められているということを覚えておきたい。

例えばここ(オーストラリア)で得た財産や経験を、
利己的な目的だけに使うことで世界はどうなるだろう。

ワーホリを経験した日本人がオーストラリアで得た知見や経験、
財産などは、
何にも変え難さがあるはずだ。
そんな経験を個人の内側だけに囲い込んだり、
日本にだけ持ち込み、日本にだけ貢献するような
振る舞いをした時に、
例えばフィリピンのスラムで育ち、稼ぎ手もなく、
他国に出稼ぎに行けるようなチャンスのない者たちが、
それを目の当たりにしたら、
彼らはどういうふうに感じるだろうか。

なんだかそういった類のことに思考を巡らすと
世界の今の流れがなんだか奇妙に思える。

持てるものは持つことができ、
持たざる者は持てない。
それがずっと連鎖されていく。

簡単にここに来れて、
働いてパーティーして飲んで観光して、
色んな人と出会って自国ではできない経験たくさんして、
人間がタフになって、
成長した自分に満足しているだけで本当にいいのだろうか。
自己実現に邁進して周りの状況が見えなくなっているようで
本当にいいのだろうか。

多くの文化人種が交わるオーストラリアという国に来て
日本ではなかなか出会えない感情を味わったはずだ。

だからこそ自分の行動を振り返ると言う思考に
改めて余地を与えることができるのではないか。

ぼく自身はオーストラリアに今まで4年間暮らしてきて、
色んな人の状況を聞いてきて、
他人が自分の身勝手を許したとしても、
自分自身がそれを許せないよなって思ってしまった。

"特権(Privilege)"について話し合えたらいいなあなんて思ってる。
特権ていうのは、自分が努力して獲得する必要のなかった
特別なアドバンテージというか優位性、既得権益のこと。

特権は当たり前のようにそれが特定の人や人種に備わっていて、
その人の周りの人間にも同じ権利が備わっていることが多いかがら、
相対化や比較できずに自分に特権があるということに
気が付き辛い傾向がある。

側から見て誰かが自分勝手な振る舞いなんてしていたって、
その人が悪いわけじゃ実はないんだ。

しかもみんなそれぞれ何か辛い状況に置かれてたりして、
日々のタスクに忙殺されててそんなこと考える暇なんてなかったりする。

しかし、SNSなんかで自分は海外に来てこんなでっかいことしてるぜ。
なんて投稿をしてる人たちもちらほらいる。
何度も同じようなことを言うと、
誰かが何かを成し遂げたことの素因は
その人たちの属人性によるものだけではないのだ。

けれど、実際彼らがそう言うふうに
自分の能力や勇気を誰かに認めてもらいたいことも
なんだかんだ推し量れる部分もあるわけで、
結局自分が本当にやりたいことは誰かを咎めることではない。

そもそもみんな自分勝手な生き物なんだ。

グローバル化ってのに拍車がかかって
世界が相対的に小さくなりつつある今。
各国で混乱が連鎖して
持てるものと持てないものの格差が広がり続けている今。

そんなことを考えて
まだ頭の中でまとまらない思考を
文字化させてもらったのだが、
みんなはどう思う?




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