フェミニズムのその先へ。李琴峰『彼岸花が咲く島』感想

「幸せそうな女性を見て殺してやりたいと思った」という理由で、なんの罪もない若い女性が電車で男に刺されるという痛ましい事件が起きた。

もちろんこうした犯罪を犯す男はごくごく一部であることはわかっている。けれど多くの女性は「知らない男性」に対して潜在的な恐怖心を持っている。たとえば電車で、体格のいい男性や声の大きい男性が近くに乗ってくると、一瞬身構えてしまう。彼らが悪い人間ではなかったとしても、なんとなく怖さを感じるのだ。それは動物的本能であると同時に、この世界が「男性社会」であり、男性のほうが女性より上、という価値観を男性も女性も知らず知らずのうちに持っているから、ということも大きいと思う。

それに対し、『彼岸花が咲く島』で描かれる架空の<島>は、女性が治めている。「ノロ」という職業に就く女性たちが神事を執り行い、政治的な役割も果たし、社会を回している。ノロになるためには「女語」という古語を習得しなければならず、男性は女語を学ぶこともノロになることも禁じられている。ノロになった者だけが島の歴史を知ることができる。つまりノロ以外の大多数の島民は、島の歴史を知らないわけだ。

島では家族制度はなく、成人したら一人でも異性とでも同性とでも暮らし、自由に恋愛することができる。子供が生まれたらそれは「島の子供」となり、血のつながりに関係なく「オヤ」のもとで育てられる。島民はある意味閉鎖された島のなかで、平和に幸せに暮らしている。この島は「ユートピア」であるといっていいだろう。島民は、この島の外にも世界があることを知らない。「ニライカナイ」という「神の国」から様々な恩恵を受けて暮らしていると信じている。

この小説の主人公・宇実は、記憶をなくし、ある日島に流れ着いた。宇実を救った游娜とともにノロになるべく女語を習い、島の風習にも慣れ親しんでいく。游娜の幼馴染である拓慈は男性だが女語をひそかに学び、ノロになりたいと考えている。なぜなら彼は単純に「島の外がどうなっているかを知りたい」から。ノロにならなければ知ることができない。が、拓慈は男性だからノロになることができない。そこで、游娜と宇実がノロになったら、島の歴史を教えてほしい、と頼む。游娜は、「自分がノロになり、男性もノロになれるよう、規則を変える」と頼もしいことを言う。

終盤、宇実と游娜がノロになったとたんに島のカラクリが明らかになる展開がすごい。それまで島の歴史も外の世界もなにも知らなかったところに、いきなり他国の名前とかがなだれ込んでくる。そして「知ってしまった」二人は、拓慈に島の歴史について教えることを躊躇う。なぜなら島の歴史は、男たちによる迫害の歴史だったからだ。

けれども、だからといって男を排除し、女だけが治める社会であり続ける、というのは、女を排除した男社会と一緒であり、健全ではない。二人はそのことに気付き、拓慈を信じて歴史を教えようと決意する。二人が明るい未来を語るところでこの小説は終わっている。三年後には游娜と宇実と拓慈は仲良く一緒に暮らしており、子供を引き取って育て、游娜と宇実はノロとしての仕事をしっかりやり、島の人たちは今と変わらない平穏な生活を送っている、という未来だ。本当にそうなってほしい、と願う一方で、それはそんなに簡単なことではない、とも思う。

そう考えると、この小説はまだ序章でしかないのではないだろうか。游娜と宇実が拓慈に島の歴史を教えることで、どんなことが起こるか。三人が一緒に暮らすことで、どんな亀裂が生じるか（この小説のなかでは游娜と宇実が互いに惹かれ合っていること、拓慈が游娜のことを好きであることが明らかになっている）。また、この小説には書かれていないことが多い。これまで、島からの逃走を試みた者はいなかったのか。男女間のセックスは島ではどういう意味合いなのか。性別問わず自由に恋愛しているというが、具体的にどんなものなのか。おそらくは作者の頭のなかにはこれらに関する明確な図があるだろう。誌面の都合でカットせざるを得なかった部分も多いはずだ。

また、「彼岸花」が島民の生活を支えるキーになる存在であることが終盤わかるが、それが原因で戦争に発展したりすることはないのか。外の世界を知らない島民たちは、本当に幸せだといえるのか。拓慈のように「知りたい」と思った島民はどうなるのか。游娜と宇実がノロになって、本当に「男子禁制」の規則を変えられるのか。男性のノロが現れたとき、島の政治はどう変わるのか。

李琴峰が次の「彼岸花」シリーズで、これらの疑問に答えてくれることを願うばかりだ。そしてなにより游娜と宇実の恋の行方が気になる。今回は架空の島を舞台にジェンダーや政治について描いた大作であり、そのぶん百合要素はかなり控えめだったが、この島で思う存分恋愛をする女性同士の話を読みたい。なにしろ「彼岸花」は「ビアンバナー」なのだから。

彼岸花が咲く島