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『ソロ戦争』#1 三姉妹の長女

自分の体験も交えながら女性の生き方について考え、結婚もせず子供も産まない「ソロ」としての生き方を模索するシリーズ。第0回『私の立場』では、私が現在置かれている立場について書きました。

今回は、だいぶ遡って、私の子供のころの話をします。

「跡取り」として育てられた

私は両親にとって最初の子供として産まれました。そのとき父は23歳、母は25歳でした。私は東北の田舎出身ですから、長男は「跡取り」として大切に育てられます。男の子がいない場合は長女が「跡取り」です。私のあとに産まれたのも2人続いて女の子でした。私は三姉妹の長女として、「跡取り」として、厳しく育てられました。

妹Yは私の3歳下、Fは4歳下でした。年子である妹同士は双子のように仲が良かったです。私は「お姉ちゃん」として、妹たちの面倒を見ました。母としては、一番上の私をしっかり育てれば、下の子供はそれを見て自動的にちゃんと育つ、と思っていたようです。そんなわけはないと思いますが、とにかく私は妹たちからも母からも「お姉ちゃん」と呼ばれ、お姉ちゃんとしてちゃんとしなきゃ、妹たちの面倒を見なきゃ、と思っていました。

小学生になって、私が友達の家に遊びに行くときでも、小さな妹2人はついてきました。3人でぞろぞろと友達の家をめぐりました。私が来るともれなく妹2人もついてくるのですから、友達の家のお母さんは大変だったと思います。

酒癖の悪い父

私の家は、父が働きに出て母が家事や育児をすべてやる、典型的な昭和の家庭でした。父は給料が出ると、給料袋ごと母に渡していました。そのなかからいくらかを「お小遣い」として父に渡すほかは、全部生活費として母がやりくりしていました。

父は酒飲みで、仕事帰りに飲んで帰ってくることも多かったです。酔っ払って店で潰れてしまい、母が車で迎えにいくということも数えきれないくらいありました。母は父が行きそうな店を何軒も探し、潰れている父を起こしてつれて帰ったといいます。

酔っ払って帰ってくると、父は、もう寝ている私たちの子供部屋へ入ってきて絡んできます。起こそうとしたり、アイスを食べさせようとしたり(父は酒を飲んだあとは必ずアイスを食べました)。酔った父の相手をするのは嫌でしたから、私は寝たふりをしていました。こちらが寝たふりをしていると、酔った父も子供部屋でガーガーいびきをかいて寝てしまいます。母はそんな父を引っ張って寝室へつれていきました。

積極的にやったお手伝い

私は、母が父によって苦労させられていること、家事や3人の子供の子育てが大変なことを理解していました。子供心に少しでも母の役に立ちたいと思い、積極的にお手伝いをしていました。

学校から家に帰ってきたら、家じゅうの部屋に掃除機をかけます。食事が終わったら全員分の食器を洗います。洗濯物を畳みます。日曜になると、外の水道で家族全員分の靴洗いをしました。ブラシに洗剤をつけ、ごしごし洗い、水で流します。父は建設業の現場で働いているので、靴はいつも泥だらけで、洗うのが大変でした。冬は水が冷たく、手がしもやけになりました。日曜に私が外で靴洗いをしているのは近所の人たちにも評判で、「ロミちゃんはお手伝いをちゃんとして偉いね」と褒められました。

一方、妹2人といえば、靴を並べるくらいのことしかしていませんでした。母は妹たちになにかを注意したり厳しくすることはありませんでした。母が注意をしたり厳しくするのは私に対してだけでした。私はそれを母の愛情だと思っていました。実際母は、「お姉ちゃんが一番大切。YとFはおまけのようなもの」とよく言っていました。

母の目覚めのためのピアノ

私は4歳からピアノを習っていました。母が、「ピアノの音で目を覚ましたい」と希望していたからです。私は熱心に練習し、かなりの腕前となりました。

母をピアノの音で起こすため、練習はいつも朝やっていました。朝6時、家族の誰よりも早く起きてピアノを弾き始めます。冬は寒く、起きてすぐにストーブに火をつけますが、部屋が暖まるのに時間がかかります。部屋が暖まるまでの間、震えながらピアノを弾きました。やっと部屋が暖まったころ、母が起きてきます。ピアノの音で目覚めると、母は機嫌がよかったです。私の朝のピアノは近所でも評判で、「ロミちゃんの素敵なピアノで目覚めると気分がいい」と褒められました。が、今思うと、いくら田舎で家と家の間隔が空いていたとはいえ、早朝からのピアノって迷惑だった人もいたんじゃないでしょうか。。。

妹2人もピアノを習ったのですが、続きませんでした。妹たちがピアノを習っているときは、ピアノレッスンに妹2人もつれていき、妹たちのレッスンが終わるのを待っていました。朝の練習には妹たちは起きてこないこともありましたが、起きてきたら練習を見てあげました。

三姉妹のなかで誰が一番かわいいか?

私はピアノを弾くことが好きでした。学校帰りでも夜でも気が向けばピアノを弾きました。が、父が、「ピアノがうるさくてテレビの音が聞こえない」と文句を言い、朝以外はピアノを弾くことを禁じられました。

それなのに、父の客が家にやってきたりすると、私を呼んでピアノを弾かせようとします。小さい私が上手にピアノを弾くさまを客に見せて自慢したかったのでしょう。父には見栄坊なところがありました。普段は「うるさい」と言われるピアノを、客の前で弾け、と言われる。そんなとき私は、あとで怒られるとわかっていましたが、わざとめちゃくちゃにピアノを弾いたりしました。

父の客が来て嫌だったことはほかにもありました。私と妹2人を並べられ、「三姉妹のなかで誰が一番かわいいか?」と父が聞くのです。決まって、真ん中のYが一番かわいい、と言われました。私たち三姉妹は、長女は頭がよく、次女は顔がよく、三女は気立てがよい、とよく言われました。言うまでもなく、「頭がいい」と言われるより「かわいい」と言われるほうが女の子はうれしいです。三姉妹のなかで自分は妹より下なんだ、かわいくないんだ、ということは、幼い私の傷になりました。が、実際のところは、私もFもかわいくないわけではなく、むしろ標準より上でした。でもそれよりさらにかわいいYがいたことで、評価が下がったわけです。ちなみにFの「気立てがよい」というのも、なんの取柄もない、と言われているようなものでしたが、末っ子でマイペースなFはなんにも気にしていないようでした。私はいつもひょうひょうとしているFを羨ましく思っていました。

自分の子供時代を思い返すと、そのいじらしさに心が痛みます。なにかにつけて「お姉ちゃん」「跡取り」と呼ばれ続けたことで、幼いなりにも刷り込まれ、そのように振る舞わなければ、と思い込んだのでしょう。

が、そんなことが全部ひっくり返る事態が起きました。なんと、私が10歳のとき、母が男の子を産んだのです。

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