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『職業遍歴。』 #2 親にナイショの弁当屋

現在無職である私が過去に経験した仕事(バイト含め)を振り返るシリーズ第二弾は、高校生のとき親にナイショでやっていたお弁当屋さんのバイトについてです。

2.ほっかほっか亭店員

中学~高校まで日曜のみ朝刊の新聞配達をやっていたという記事をこちらに書いた。そこそこPVもあったので、バイトの話をシリーズ化して書こうかと。

さて、高校生ともなるとなにかと出費も増えてくる。友達と出かけたり、映画を観に行ったり、本も欲しいしCDも欲しいし・・・。お金を貯めてビデオデッキもほしい(家にはビデオデッキがなかった)。お小遣いと新聞配達のバイト代だけでは足りないなあ、と思っていたころ、友達がやっているお弁当屋で一緒にバイトしないかと誘われた。その友達はもうすぐバイトを辞める予定で、引き継いでくれる人がほしい、とのこと。うちの高校はバイト禁止だったが、もちろんバレなければOKなわけで。友達から話を聞いた私は、すぐに「やる!」と答えた。

ちなみに、親には内緒だった。うちの親は厳しく、新聞配達みたいなバイトならともかく、こういう普通のバイトなんて許してもらえない。弁当屋のバイトは土日の昼のみだったので、親に内緒にしていてもできるだろうと思った。土日の昼に「友達と会うから」などと家を空けても別に不審には思われない。

最初のうちは、辞める予定の友達も一緒にバイトに入り、いろいろ教えてくれた。その友達は学校ではクールでアンニュイな感じを醸し出しているかっこいい人だったが、バイト先では別人のようにハキハキと働いているのが印象的だった。弁当屋のバイトはやることがいろいろある。調理は別の人の担当だったが、調理したものを容器に詰めたり、レジをやったり、その他細かい雑用もいろいろ。時給は550円。低すぎる!と驚かれるかもしれないが、30年前の地方の高校生のバイトの時給って、そんなものだったのだ。

ほかのバイトの人たちも、高校生や大学生が多く、みんなで和気あいあいと働いていた。店長は、20代後半~30歳くらいの男性。店長が姿を見せるのは夕方ころからだったので、一緒に働いたことはあまりなかったが、特別厳しいわけでも甘いわけでもない、ごく普通の人だった。

昼時になると結構混んで、外にお客さんが並ぶことも。電話でまとまった注文が入ることも多く、いつもそれなりに忙しかった。お客さんの少なくなった頃を見計らって、みんなでお昼にする。ごはんをよそい、自分の好きなおかずを好きなだけとって食べる。食べている間にお客さんが来たら、対応する。「休憩時間」というものはなく、食べている間も時給は発生しているので、いたしかたなかった。

その頃私は、家や学校での自分の立ち位置というものに悩んでいた。自分が他人からどう見えるか?と悩み、自分なりのアイデンティティを確立しなければともがいていた。そんな私にとって、家でも学校でもない「第三の場所」であるバイト先は、とても居心地がよかった。バイト先で出会った人たちは、基本的には自分の今後の人生には関係のない、その場だけの付き合いの人たちである。そういう人たちと気楽な会話を交わすことが、私は楽しかった。

しかし、このバイトもやがて母親にバレることになる。仙台市内の大通りに面したところにバイト先はあった。そこのレジで顔出しで働いていた私は、気づかぬうちに客として来ていたらしい親戚の人に顔を見られていたのだ。田舎は狭い。

意外にも、母親は私をすぐに辞めさせるようなことはしなかった。まあ、土日に弁当屋で働いているだけで、学校に行かなくなったわけでもなく、なんの支障もないのだから、当然だが。私は、母親はただいろんなことをダメだと言っているだけで、それがなぜダメなのか母自身もよくわかっていないのでは、と思った。そして、別にダメでもなんでもないことなんだから、親に内緒でやってしまえば、結局バレても大事になるわけではないのだ、と当たり前のことに気付いた。親の考えなしの「ダメだ」という言葉に素直に従っていた私は、本当に優等生だった。

親にバレてしまったことで、一つだけ残念だったことがある。それは、バイト先の忘年会に参加させてもらえなかったことだ。

その日はみんなで大掃除して、その後忘年会として、バイト先の人が全員集まり、カラオケに行くことになっていた。私はこういう「忘年会」って初めてだったので、楽しみにしていた。ところが母が「絶対に行くな」と言ったのである。その理由としては、「大勢でカラオケなどに行ったら、みんなお酒を飲む」というのだ。私は驚いて「高校生が多いし、お酒なんて」と反論した。母は「でも店長は大人なんでしょ?」と言う。私は店長の正確な年齢は知らなかったが、大人なことは確かだ。「だったらその店長がお酒飲むかもしれないでしょ?」と母は言うのだ。

店長がお酒を飲んだとしても、別に私が飲むわけでもないのに、なにが問題なのかよくわからなかった。そもそも、「大勢でカラオケ=お酒=不良」みたいに母のなかでなっているのがよくわからない。納得できなかったが、忘年会に参加したら帰りが遅くなってバレるし、結局参加は諦めた。

たいへんな思いをしながら大掃除をして、でもそのご褒美としての忘年会には参加できない。「路実ちゃん、行かないの?」とみんなに不思議がられた。そうだよね。大掃除には出てるのに、忘年会に出ないってなんで?と思うよね。親に反対されて、とは言えなかった。恥ずかしかったのだ。楽しそうに出かけるみんなを後目に、私はまっすぐ家に帰った。ああ、忘年会だなんて正直に言わなければよかった。忘年会に出るなと言われるなんて思いもしなかったから、私は無邪気にバイト先の忘年会があることを母に告げたのだった。なにも言わずに参加していれば。「バイトの時間がちょっと伸びた」とでも言っておけばよかったのに。

このことで私が学んだのは、自分がやりたいことをするには、親には極力黙っていたほうがいい、ということだった。弁当屋のバイトだって、やる前に親に言っていたら、反対されてできなかったに決まっている。

この弁当屋のバイトの後は、別のバイトをすることになる。もちろん親には内緒だ。親に正直に言ってよかったことなんてなにもない。そして私は、高校生でありながらタロット占い師となったのだった。それは次の話。


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