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小栗康平「死の棘」

2022年4月シネマハウス大塚で、小栗康平「死の棘」 原作は島尾敏雄。

結婚10年目の夫婦に訪れた修羅。夫(岸部一徳)の浮気が原因で精神に異常を来たした妻(松坂慶子)が、夫を激しく責めなじることで彼の精神も崩壊。出会った奄美の実家に子供を先にやり一緒に入院することでようやく開ける未来、安藤庄平の撮影が息を呑むほど美しい魂の傑作。

愛情とはエロスとタナトスのように簡単に二元化できるようなものではなくて、夫にとって妻から「あんた、なんで浮気なんてしたのよ」「私とあの人とどっちを愛してるのよ」激しく問い詰められることで「ああ、俺は愛されてるんだ」と実感、そんな性と生の表現もあったのだと驚く。

私は宮本輝の小説が大好きで、病んだ暗闇の部分とそこから人生の光を追い求める繊細なタッチに感銘を受けた。当然、映画化作品も大好きで小栗康平が撮った「泥の河」は大好きな作品なのだが、それ以上に好きなのが須川栄三の撮った「蛍川」これは私のオールタイムベストの中の1本。

この作品には「蛍川」のような、スクリーン一杯に蛍が舞うようなロマンチックな場面はほとんど登場せず終始、暗い画面が続く中で、慶子の実家であり、兵役で駐屯した岸部と出会った場所である奄美大島の青い海、大自然だけは物凄くロマンチックに描かれ、悪くない将来を予感させる。

島尾敏雄の原作は三島由紀夫が賞賛?したそうだが、金閣寺とか愛の処刑とか、エキセントリックな愛情表現の形が共通するものを感じる。慶子の夫に対する愛のパワーとは嫉妬の爆発で、それを受け止めることで初めて夫の岸部も生きる勇気が湧く、そんな変態夫婦を想像してしまうのだw

安藤庄平の撮影はロマンポルノで見慣れた以上に静物画的で、フレームの中で動く人物を追いかけるというよりも自然や建物の全景を映した中に人物がポツンとはまり込む、その表現方法が「死の棘」だと思うのです。登場人物に感情薄く、かと思えば急にキレる。常に死とギリギリの境目。

若い頃、独身時代にも観たのだが、この歳になって再見すると心に響き方が全然違う。夫にグチグチと文句ばかり呟く妻。その小言を全然聞かない聴こえない夫。これは全国の全家庭にあるステレオタイプの夫婦関係、むしろ上手く行ってる状態w岸部が浮気した、それだけが大問題なのだ。

序盤から岸部が木内みどりと浮気した過去について慶子が狂ったように責めるのは、まあ分かる。でもエキセントリックすぎて、やがて岸部の方が追い詰められて精神に異常を来たすあたりで「やりすぎじゃね?」と思うも、私は浮気したことがないから分からないのだ、そういう状況(笑)

ロマンポルノ的にはですね(←撮影が安藤庄平だからまあいいだろw)岸部が下着姿になって「俺、風邪ひく」に慶子が「ならパンイチになれよ」岸部がホントにパンイチになったら「私も」と上半身ハダカになって1億ドルおっぱいがモロだし。ちょっと垂れてる感じが逆にエロい(*'ω'*)

松坂慶子演じるヒロインは、大きく3つの顔を持っている。まずは夫・岸部の不貞をなじるサイコホラーかと思わせるようなど迫力。そして急に甘えたように夫に愛を語る恋人。そして3つ目は子供だけでなく夫をも大らかな愛で包み込む母親のような存在。それがまだらに現れ消えていく。

不倫を巡るドロドロのドラマでは珍しい、終始一貫して男性目線の映画で(笑)松坂慶子の演技はアカデミー賞ものの素晴らしさだが、同時に終始一貫性が無いw対して岸部は妻のコロコロと変わる愛憎表現を持て余し、それが心の病なのか自分への愛情表現なのか、小説家的に思い悩む。

慶子が小説家の夫と普通ではない夫婦関係に悩み、理想の夫婦関係の見本と思う、八百屋の夫婦と理髪店の夫婦。どっちも夫婦で共働きして生計を支える、そんな生活に慶子は憧れていたのだ。で、八百屋の奥さんが白川和子で理髪店の店主が浜村純。夫婦水入らず幸せ感を存分に出してるw

冒頭、真っ黒な背景に白抜きでおどろおどろしいタイトルインに「こ、これはホラー映画ですか!」とびっくりするも、更に上を行く、人生のお葬式をしているような夫婦の修羅な世界が延々と続く。国鉄小岩駅の時代考証をし尽くした素晴らしいロケセットである。

ここに降り立つ岸部&慶子夫妻と幼子2人、4人家族の光景は時に温かく時に肌寒い。子はかすがいと言う。夫婦が離婚しないのは子供たちのため?思うけど実は全然違う。妻は夫の愛が欲しい。夫は妻をもっと理解したい。

慶子の奇行の数々は、医者が診療すれば99.9%「躁うつ病(抑うつ状態)」原因は何か?と考えれば客観的には彼女が奄美ののどかな田舎から急に小岩のような東京の下町に出て来て夫は小説家で外で浮気もして、団地やマンションではないけど、家に閉じ込められた私どうすんの?状態。

慶子が狂ったように夫・岸部の不貞を罵詈雑言を浴びせて罵り続けるので「夫の浮気が躁うつの原因か?」と錯乱しがちですが、恐らく違います。仮に夫が浮気してももっと冷静に対処したはず。それが多重人格者のように感情の波が激しく浮き沈みするのはまぎれもなく躁うつの発症。

岸部は慶子からすれば「冷たい人」に映るのだが、彼女のことを冷静に観察している。岸部は慶子を躁うつ病と判断し、一旦は入院させるが「私は病気じゃない!」騒いで、こっそり帰宅までしてしまう慶子は、岸部の前で急に恋人のように甘えた。かと思えば、すぐに罵詈雑言の嵐に変身。

思い余った岸部は「しぇー!」奇声を上げて自らも躁うつ病に罹ってしまった。ここからは慶子と岸部の「どっちの病状がより重いか合戦」に変わって行きます。岸部がお金を落とした子供のように落ち込んでいると「よしよし」と慰めてくれる慶子は母親の顔。

両親の奇行に既に慣れっこになった長男と長女は驚くほどフツーに対処し、実は夫婦二人だけの問題であることを浮き彫りにする。そして、岸部が子供じみた「風邪ひいて死んでやる」からのパンイチになって首吊り自殺を試みると、慶子も負けじとおっぱいボヨヨーンと見せて首吊り自殺に参加。もしこのまま二人とも死ぬと幼子二人を残して夫婦無理心中というとんでもない結末だが、それは失敗で回避された。

そして、岸部の脳裏に蘇る美しい過去。奄美大島に駐屯した彼は美しい海、砂浜、青空、大自然に囲まれた村で、美しい慶子と出会った。そして大恋愛の末の結婚。終戦後、物書きとして上京した岸部だったが、妻をよそに木内みどりとアバンチュールの大罪を犯し慶子は発狂。でも、ホントに浮気だけが理由だったのか?俺たち、奄美に住んだ方が良かったんじゃないか。

「そうか!」(←そうか、じゃねーよw)慶子は病気なんかじゃない。東京の空気がいけないんだ。奄美に行けばきっと治る!確信した岸部は叔父叔母に幼子二人を託し、二人を先に奄美に行かせた。そして今、岸部はすっかり大人しくなった慶子と二人、仲良く精神病院のベッドにいる。主を失ったはずの自宅の縁側が、死より生を照らし出し始め、明るい。

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