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佐藤寿保「火だるま槐多よ」

新宿ケイズシネマで、佐藤寿保「火だるま槐多よ」 脚本は夢野史郎。

五臓六腑に脳細胞を遍在させた天才画家・村山槐多の「尿する裸僧」に魅せられた女(佐藤里穂)が、カイタを名乗る音響研究家の男(遊屋慎太郎)と出会い超能力集団「毒刃社」の若者たちも呼応して槐多探しの旅に出た。アバンギャルドな槐多を解釈するアート好編。

寿保監督の作品で年齢指定なしって実はスゴイことじゃない?小学生でも観られるんですよ、これ!ちゃんと里穂さんのおっぱい丸出しヌードシーンが2回あって、まあエロいというよりアーティスティックな訳ですけれどwエロチックな寿保ワールドはちゃんと担保されてます。

里穂さんヌードその1は、本人の脳内イメージで尿する裸僧を目の前に裸の自分が立ってる。つまりチンコを丸見せして裸で立ちションする僧は全てを曝け出した男であり、女としてはここに性的な妄想を抱くという訳なんだよね。禁欲的なはずの僧のあられもない姿に反応する。

里穂さんヌードその2はシルエットで遊屋と全裸で抱き着き絡み合う官能的な場面だけどシルエットじゃなくてちゃんと映せやゴラァ!と思った瞬間に内側に回り込んで裸をちゃんと映したのびっくり!これも父親の虐待でインポの遊屋との脳内イメージでのFUCKなんだよね。

公開に先立ってネオ書房で開催されたトークショーで、槐多作品収集家の窪島誠一郎氏のお話を事前に伺うことが出来て良かったと思う。絵画自体も素晴らしいものだがそれよりも22歳で夭折した槐多という人物の破天荒な魅力である。それを知ってから本作を観ると一層滋味がある。

本作には盛りだくさんのテーマが詰め込まれていて佐藤寿保&夢野史郎のコンビによる一連の作品群のまさに集大成と言えるのではないか。ピンク映画ならではの制約だった濡れ場を多く挿入するという束縛から離れ純然と描きたいことを描いたらこうなったのか!という感じ。

ザックリ言えば物語は無いんだよね(笑)槐多に魅せられた若者たちがその影を追い求めてどんどん自然に帰っていくロードムービーだから、観客もまた自分の中の槐多を探し始める。そして一通りの探求が終わった後、最後に私たちが目にするものが一気に感動の嵐を呼ぶのだ。

最後に提示されるのは槐多が描いた素晴らしい絵画の紹介「尿する裸僧」は勿論のこと「田端風景」「庭園の少女」「裸婦」更には数多くの「自画像」を映し出した後に高村光太郎の詠んだ槐多に対する哀悼の詩を以て観客は槐多の残した熱情溢れる生涯を自らの創作力に変える。

本作に物語は無いが目指すベクトルはちゃんとある。それは「AGHARTAアガルタ」地球空洞説に基づくものであり、大胆な仮説は神州の森の槐の樹の下に空洞があって「AGHARTA」と繋がっている。私たちはこの画一的な人格を強要される終末的な世界から「AGHARTA」へ解き放たれる時が来た。

登場人物に関しては佐藤里穂の演じる「尿する裸僧」に魂を奪われ槐多探し求める女、そして遊屋慎太郎の演じる父親にサイバーウェーブの実験台にされ槐多の声が聞こえるようになった男、出会うべくして出会った大人の男女の物語に4人の男女パフォーマンス集団が絡む。

多分、映画として本作に厚みを加えているのはイマドキの4人の若者たち。でも一筋縄ではいかないのは彼らが超能力を持っていること。なのに世間はサイキックドライビング療法で彼らをフツーの人間に改造しようとする、彼らは異端視されることを恐れ逃亡する者たちなのだ。

予知能力の工藤景、透視能力の涼田麗乃、念写能力の八田拳、念動能力の佐月絵美の4人は個性がリーダーシップ、冷静な判断力、甘えん坊のひらめき、奔放なフリーダムと、長男、長女、次男、次女の役割そのままに4兄妹。まるで家族のような一つの宇宙がここにあるのだ。

佐野史郎が演じる自動車解体工場の男は謎めいていて、遊屋演じるカイタを父親による人体実験の魔の手から救い出し、怒りを封じ込めるためにデスマスクを製作、これによって自然の音を拾い調和させ解放、音によって心の安らぎを持つカイタは槐多の生まれ変わりなのだろうか?

そう、デスマスクです!ここから私の感想は映像観たまま聴いたまま拾って行きますよお。槐多が亡くなった時に友人の画家が制作したと言われるデスマスク。遊屋カイタのデスマスクは槐多のデスマスクと瓜二つ、里穂が遊屋にのめり込むきっかけはデスマスクの表情なんだよね。

遊屋カイタのデスマスクは全ての熱情を発散し終えて穏やかな表情をしていて、それが里穂の心を奪う。カイタって槐多の生まれ変わりじゃないの?カイタ本人は槐多のことを分身と呼んでいるけど、それは槐多の声を聞いたから。サイバーウェーブの影響ではあるんだけど。

で、槐多と言えばやっぱり「ガランス」茜色というかやや沈んだ赤色の使い方は独特なもので、三原色には緑も青もあるけど、パッションの赤なんだよね。遊屋と里穂が槐多探しの中で何度もガランスに染まる。全裸で抱き合う二人に血のりが落ちて里穂の目の前はガランス。

槐多を探す旅は遊屋によって「AGHATHA」に固定され、神州の大自然の中で「洞窟」「海」そして「槐の樹」へと向かう。この三つの場所はいずれも神々しいまでに大自然で槐多の魂が宿ってるんじゃないかと思う位に幽玄で霊的なインスピレーションを掻き立てるんだよね。

遊屋は洞窟をシネマに見立てて槐多の画を映写したり、里穂は槐多が好きだったという房総の海を希求する。それはパフォーマンス集団の若者4人を槐多好きにのめりこませるきっかけにはなるんだけど「AGHATHA」じゃない。大事なのは槐多の魂が眠る場所を発見することなのだ。

江戸川乱歩も嫉妬したという槐多による短編怪奇小説「悪魔の舌」もモチーフとなる。ザラザラした人間の器官としての舌。里穂は街頭で人々の舌をカメラで撮影し本質に迫ろうとする。口の中に発光する物体を挿入して口から火を噴いてるようなパフォーマンスも試みたりする。

でもね、遊屋カイタが本家の槐多もびっくり仰天するような妄想を開陳。俺は母親をこの舌で食べてしまいたい。そうすれば俺はこの世に生まれて来なくて済んだ。これを聞いた里穂は、本気でカイタを悪魔の舌で食べてしまいたいと思う。これ、小説の悪魔の舌よりも数倍怖いw

カニバリズムは幸いにして実行に移されることはなく(笑)その代わりにお面収集が始まります。メンバーそれぞれが収集したお面をデスマスクのように被ってたら、取れなくなっちゃうのよねwこれ、槐多の呪い?で、房総の海にドーンと上るのキノコ雲。「AGHATHA」は何処へ?

「AGHARTA」は洞窟でも海でもなかった。性別はないけど樹々が愛し合って会話する神聖なる森の中に槐の樹があった。その下には穴があり、恐らくここがAGHTHAなのであろう。6人が手を繋いで輪になってAGHTHAへと旅立つ。集団をバイクに乗って双眼鏡で窃視し続けていた謎の男の眼の前で。

と、槐多を解釈したフィクションが終わり登場する槐多が書き残した名画の数々、私は感涙にむせぶ。自分だけの槐多を発見したんだよね。内なる槐多。高村光太郎の哀悼詩が重なる「五臓六腑に脳細胞を遍在させた槐多。強くて悲しい火だるま槐多。無限に渇したインポテンツ。」

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