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汝、人間であるが故に

 中島に彼女ができたと城山が知ったのは、退院して一ヶ月を過ぎた頃だった。
 彼女である望とは、マッチングアプリで出会ったらしい。
「…よくそんな得体の知れない人間と付き合えるな」
 意気揚々と望について話す中島に、やはりどうしても城山は苦言を呈さずにはいられなかった。
「城山、男の嫉妬ほど見苦しいものはないぞ」
「嫉妬なわけあるか。心配してるんだよ」
 現に、城山の心には、嫉妬の「し」の字もなかった。二十年間、この男には異性へ対する憧れはなかったのだから(同性愛者でもない。ただ、恋愛というものに無縁な生物なのだ)。
「お前、知らないのか? 過去に、マッチングアプリ利用者がどんな目に合ったのか」
「知ってるさ、それぐらい。でも、あれは――」
「あれは、旧時代の出来事だから、現代ではもう起こらない――そう言いたいんだろう?」
 城山に、途中で言葉を遮られた中島は口ごもりながら、反撃する。
「あ、ああ! そうだよ! もうそれは、半世紀以上前の話じゃないか。旧時代に流行ったアプリなんて、今はどれも配信停止してる。今のアプリは、旧時代のものとは比べものにならないほど安全なんだ」
 そう早口でまくしたてる中島に、城山はため息を吐く。
 このような無知な若者がいるせいで、結局、歴史はいつの時代も繰り返してしまうのか。
 今から約八十年前、世界中で、あるカルト教団の信者数が爆発的に増加した。世界中的に見ても、そこまで――というよりむしろ、特定の国でしか信仰されていなかったとある教団。その教団の信者がなぜ、いきなり増加したのか。
 時の歌姫やアスリートが入団していたわけではない。突拍子もない願い事が叶ったという事例が挙がったわけでもない。
 では、何が起因したのか。
 学者や専門家、ジャーナリストから、果てはネット上の2ちゃんねらーに至るまで、ありとあらゆる者の間で日夜考察が繰り広げられた。日本を、世界を大きく騒がせた論争の末に、ある一つの共通点が見つけられた。
 それは、そのカルト教団に新規で入団する者の約七割が、当時世界で大流行していたマッチングアプリ「バタフライ」の利用者であるということだった。
 そして、最も有力な通俗はこうだ。
 八十年前、そのカルト教団(仮に、名前をN教団としよう)は、信者たちに人を意のままに操ることができる何か特殊な能力(この能力というものがどのように生成されたのか、現代でも解明されていない)を与えた。能力を与えられた信者たちは、教団を更に大きくするべく、自国から信者を増やし始めた。しかし、小国に拠点を置くN教団には、増やせる信者数に限度があった。
 そこで登場したのが、マッチングアプリ「バタフライ」である。全世界で五百万人以上のユーザー数を誇るそのアプリを駆使し、信者はあらゆる国の人々と繋がっていったのだ。信者から新たな信者へ能力は受け継がれていき、ネズミ講式に膨れ上がっていったN教団は、次第に強大な力を持ち、やがて一国にも対抗するほどその規模は大きくなっていた。
 「バタフライ」を初めとする世に出回っていたマッチングアプリが全て停止された時には既に遅く、N教団は一つの帝国を築き上げていた。
 そこから八十年、N教団と世界各国との睨み合いは続いている。そして、そのような出来事が起きたにも関わらず、マッチングアプリの再開発が認められ、再び普及し始めたのは、やはりどんな時代であっても人間は常に出会いを求める生物なのだからだろう。
「とにかく、俺と望ちゃんは健全な付き合いをしてるんだ。わかったか?」
 中島の言う通り、これ以上彼にとやかく言ったところで何の意味もなさないのは、目に見えている。城山は観念し、「わかったよ」と一言だけ告げた。
「…今日は、珍しく聞き分けがいいな」
「お前と言い争っている暇はないんだよ」
「これから、診察?」
「ああ」
「……それは――失った記憶は、思い出せそうなのか?」
「いや」
「そう……か」
 少し物悲しそうな表情をした中島を背に向け、城山は大学を後にする。ちゃらんぽらんな奴だが、心配してくれていることが嬉しかった。
 交通事故に遭ったのが今から一カ月前。その異常な回復力の速さに医者が驚いていた日々が遠い昔の出来事のように思い出されていく。身体は無事だった。が、脳に負ったダメージは未だ尾を引いている。記憶障害、とまではいかないが城山は記憶の一部分を失ってしまったのだ。
 城山には家族もいないため、一切の手がかりもない。友人も、中島以外はいなかった。今も支障なく生活はできている時点で、大したものではないのかもしれない。それでも、どこか腑に落ちない思いがあった。
 何を失ってしまったのか。
 今日も首を傾げながら、病院へと向かう。そこであることにふと気づく。
 ポケットに入っていたはずのスマホがない。
 身体中からトートバッグの中まで隈なく探すが、どこにもない。大学から病院に向かう道中で落としてしまったのか。いや、落としたなら気づかないわけがない。城山の耳は常人の耳より遥かに良いのだから。
 ならば、大学に置き忘れてしまったのか。考えられる線はそれしかなかった。一応、道中目線を地面に落としつつ、足早に大学を目指す。早々に回収しなければ、診察時間に間に合わなくなってしまう。
 焦る気持ちを押さえながら信号を待っていると、反対側の歩道に中島の姿を見た。隣には、彼と同じ年齢くらいの女性。
 城山は立ち止まり、自分とは反対方向に歩いていく二人を目で追う。隣にいる女が、つい数十分前に中島が話していた望という彼女なのだろう。見た目は、いかにも今風といった感じで、清楚という言葉がよく似合う。側から見ても、二人は普通の恋人同士に見えるかもしれない。しかし、城山には言い表せない違和感があった。
 どこか人間らしくない――いや、人間らし過ぎる。
 まるで、造られた人間のように、彼女には人が持つ生気というものがなかった。生きているはずなのに、死んだ目をした女。
 直感的に思う。この女は、危険だ。やはり、マッチングアプリを利用する者は、得体が知れない。もしかしたら、N教団の手先だって可能性もある。すぐに、中島に伝えなければ。早くその女から離れろ、と。
 城山はポケットに手を突っ込み、スマホを取ろうとして思い出す。今、手元にそれがないということに。このような時に限って、と嘆きたくなるのが人生の常である。どこにあるかもわからないスマホを見つけ出して中島に連絡を入れるより、このまま二人の後を追った方がよっぽど早い。
 中島には、突飛もない妄言を垂れ流す狂人だと思われるかもしれない。その果てに、縁を切られてしまうかもしれない。でも、それでもよかった。
 大切な友を守れるのなら。友を守るために、歩を逆方向に切り替えさない理由はなかった。真っ当な人間でありたかった。恥ずべき人間にはなりたくなかった。
 そして、二人の背中が狭い路地に消えようとしたとき、城山はようやく彼らの耳に声が届きそうな距離まで近づいていた。
「中島!」息を切らしながら、力の限り叫ぶ。しかし、中島も女も振り返らない。振り返らないまま、路地裏に消えていく。もう、城山に二人を追いかける体力は残っていなかった。それでも、気力が背中を押す。届かせなければ。その一心が、城山の鉛のような足を動かす。
 やっとの思いで路地に足を踏み入れると、眼前には果てしない闇が広がっていた。それは、何もかもを飲み込んでしまう深い洞窟のようだった。
「中島、いるのか? いるなら、返事をしてくれ」
 返事はない。ただ、その声は虚空に消えていくばかりだ。二人は一体、どこに消えてしまったのか。更に奥へ進もうとしたそのとき、一発の銃声とともに城山の体に衝撃が走った。痛い、と感じる間もなく、地面に崩れ落ちていく。
 薄れゆく意識の中、暗い路地とは不似合いな青空に手を伸ばす。空は、どこまでも青かった。この星に生きる者だけが許された最上級のスクリーン。なぜか、いつ見ても涙が溢れるほどに綺麗だった。
「なか…じ」
 銃声がもう一発響いたかと思えば、すぐに静まり返った。

「もっと早くに、お前がこうしておけばよかったのだ」
 暗闇の中から現れた望――デザが拳銃から出た薬莢を憂鬱そうに拾う。地球でよく見かける拳銃と、デザの惑星のそれは瓜二つだが性能の良さは段違いだ。撃てば、必ず急所に命中する。そうであるのにも関わらず、二度、城山に発砲したのは、彼が屈強な肉体を有したソルジャーだったからだ。一発では死なない。無論、自動車に轢かれた程度でも。
「致し方ない、本部からの命令だ。一カ月待って、キャスルの記憶が戻らなかったら、始末しろというな。今回は非常事態だった。事故に遭った衝撃で、偽りの自分が本当の自分になってしまうなんて、お前には予想できたか?」
「知るか、そんなこと。全く余計な仕事を増やさせやがって。何で、私が始末せねばならんのだ。この星の設定上では、アイル、お前の友人だろう」
 デザは、中島――アイルに表情を変えずに毒吐く。確かにアイルの言うように、これは予想外の事態と言わざる得なかった。共に地球にやって来た隊員の一人が不慮の交通事故に巻き込まれ、目覚めたら、この星で演じていた人間の性格に取って変わられていたのだから。
「でも、よくキャスルが私たちの後を追ってくるとわかったな」
「シロヤマは、そんな人間だったからな」
 アイルは、城山の亡骸の側に彼のスマホをそっと置く。
「……お前、この一カ月――いや、地球に来てから変わったな。そこら辺を歩いている『人間』とかいう生物と間抜けな表情がそっくりだ。まさか、情が湧いてきてるんじゃないだろうな?」
「…そんなわけあるか」
 デザやアイルが生きる星の生物はみな、いつも淡々とした表情だ。まるで、人型ロボットのように。
「それより、先程本部から連絡があった。やはり、この星の例の教団の持つ力は、八十年前、我々の宇宙船が不時着した時に盗まれたものと一致するそうだ。また、それをコピーする知能まで有している。九割方、星ごと滅ぼす道で決定だと。どうやら、相当危険視しているようだな」
 抑揚のないデザの声に、アイルは何も返事をしなかった。
 ただ、あらゆる者を包み込む青空に目を細めながら、宇宙から一つの温もりがなくなるそのときを想像していた。すると、自然に目から水が溢れてきた。アイルはそれを一滴、指に付けて匂いを嗅ぐ。
 この塩辛い雫の名前は、一体何だ。
 俺は、誇り高きソルジャーのはずではなかったのか。
 路地裏から去り行くデザが、アイルの頬を伝うそれに気がつくことは決してなかった。

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