まさかり

27歳 小説を書いたり、エッセイを書いたりします。読んでいただいた方全員がブラザー。ソ…

まさかり

27歳 小説を書いたり、エッセイを書いたりします。読んでいただいた方全員がブラザー。ソウルメイト。幸あれマジで。 夢は小説家になって市民プールへ入水未遂。 青鯖を空に浮かべてここは雪国。 どこまで正気か無用な憶測はせぬがよい。

最近の記事

春を待つ植物と私

最近すこしばかりSNSから離れていた。SNSが駄目とかではなくて、どうしても見過ぎて時間が取られてしまうから避けるようにしていた。人と人が揉めてるのは面白いからね。さかのぼってでも覗きに行きたくなってしまう。 そんなわけでSNSから離れて、私は植物を無闇に育てていた。 植物を買うのは町の花屋さんとか専門のグリーンショップであることも多いのだけど、私はあえて百均で買うことも多い。DAISOとかキャンドゥではプラスチックトレーに小さな植物が大量に並べられている。案外種類も多くて

    • あの頃は両手サイズの映画館があったんだ

      初めての映画体験は映画館のふかふかのシートの上ではなくて、VHSを差し込んだビデオデッキと長方形のブラウン管の前、父のやかましい解説付きというものであった。しかもそれもまだまだ幼い、たしか四歳ぐらいの頃だっただろうか、父が好きで持っていた「うる星やつら劇場版2 ビューティフルドリーマー」であったので、私の屈折したサブカル好きは類まれなる環境で育まれたと言っても差し支えはないだろう。 中学二年生の頃、身の丈に合わぬ私立中学校などというものに自ら望んで進学した私は、あまり愉快で

      • お笑い芸人になれなかった私たち

        少年のぼくにとって、友達を『笑かす』ことは、それはそれはもう笑いごとではなく、命がけになって相手を笑かしにかかったものだ。 テレビで流行ってたギャグ、校長先生の真似、クラスメートの癖、校長先生の真似、親から伝授された小ボケ、校長先生の真似、あの手この手を尽くして笑かしにいったものだ。大阪という土壌ゆえだろうか。笑かしのライバルは多かった。ぼくはあまり体の動きで笑いをとれるタイプではなかった。むしろ人の体の動きを例える方が向いていた。社会の教科書の端の方に載っていたのを思い出し

        • 大掃除は延長戦。徒歩三秒の三年前。

          住所というのは思っている以上にわかりづらい。似たような名前のマンションが乱立していたり、高架を挟んで番地が飛ぶこともあったり、番地が同じ一軒家が何軒も連なっているなんてことまである。更には今どき、ほとんどみんな表札に名前なんて書かないものだから個人の特定が難しい。 住所の代わりにもっと柔らかい表記がもうひとつあればいいのにと思う。 「大阪府XX市XX町 ちぃかわを祀りあげてる白い家」 こんな表記があればわかりやすいのにね。近所は怖いかもしれないけど郵便配達の人はすぐわかるよ。

        春を待つ植物と私

          今もどこかで鳴いている

          「犬は生きよ、猫は死ね」  これは押井守監督の怪作中の怪作「紅い眼鏡」の中に登場する台詞である。千葉繁大先生の渋い声で放たれるこの台詞はカッコ良くもあり酷いものでもある。実際の犬猫をどうこうする場面ではないのでご安心いただきたい。白塗りの男たちが中国拳法でわんさか倒されるだけである。  私はこの台詞を気に入って、時々なんの気なしに言っていることがあった。  夜中二時の自分の部屋で、朝ぼらけの散歩の中で、不意に思い出したかのようにぼそっと言ってみていた。とにかく口に出したかっ

          今もどこかで鳴いている

          鳥は、

          鳥は、庭だよ 小鳥は、ピザだよ 鳥は、庭だよ 檻は、君だよ 鳥は、庭だよ 波止場は、昨日だよ 鳥は、庭だよ 宝は、墓だよ 鳥は、庭だよ アガベは、ここだよ 鳥は、庭だよ 水は、西だよ 突き抜けてくるみたいな陽射しが、ベッドごと僕を包んでくれていた。 段々温かくなる布団の中で、足を左右に行ったり来たりさせていた。 この時間だけのために、眠るものだと思っていた。 雨降る日は、雨どいを叩くリズミカルな水滴の音が起こしてくれた。 音は夢の中に入り込んできて、誰かに地団駄

          病院行ったら激の者と豪の者が待ってる

          一ヶ月ほど前に風邪をひいた時、ぞんぞんする寒気に辛い気持ちもあったのだけれど、同時に新しい漫画本を開く時のようなワクワク感があった。 このワクワク感は子供の時に風邪になると必ず覚えたものだった。分厚い布団をかけられて知らない朝の番組を耳だけで聞いている時、無性にワクワクしたものだ。普段健康な身体が不調をきたしている。そして、そのことによって普段は知らない世界に居ることができる。子供の時には辛さよりもワクワクの方が若干勝っているぐらいまであったんじゃないだろうか。 驚きだったの

          病院行ったら激の者と豪の者が待ってる

          小説「電話ボックスで泳ぎ疲れる」

           その日、駅の改札口近くの壁にささっていたタウンワークを持ち帰ってバイトを探していた俺は『電話ボックス撤去』の求人を見つけて、二時間悩んでから電話をかけた。  電話口での質問は 「体は動くか」 「物忘れは適度にするか」  というもので、正直に答えるとそのまま採用となった。  俺の作業パートナーは後藤というおっさんで、これが後藤との三回目の仕事であった。後藤は採用後すぐに免停になったということで、長い撤去ルートの全てを俺が運転させられていた。どんくさいおっさんの後藤は皺が刻ま

          小説「電話ボックスで泳ぎ疲れる」

          小説「手鏡は喋った」

           大尉への救命措置が凡そ手遅れに陥っていた頃、塹壕を支配していたのは途切れない砲撃の音であった。私の耳はとうの昔に役立たずになっていたが、私に声をかける余裕のある者もないので心配はなかった。  私は大尉の識別バッヂを引きちぎり、トーチカへ逃げ込んでいたサイードへ投げた。サイードへバッヂが届くのとほぼ同時に私はトーチカへ飛び込んだ。先程まで私と大尉が居た所へ砲撃が直撃するのは一三秒後のことであった。  昔から、サイードは砲撃が終わらない間、決まって嘘の昔話をした。同期組も最初

          小説「手鏡は喋った」

          野球の試合に文句言いながらのけぞる

          蕎麦屋で月見蕎麦ながめながら 「これはナミビア砂漠だな」と言ってみたりする土曜日の朝があって、そんな調子で1日が始まるからぐだぐだ言いたがる口は止まらない。 当然のごとく大阪駅中央改札をくぐり続ける雲霞の如き人、人、人を眺めながら 「こんなに人を作った覚えは無いんやけどなあ」と神無月終わったばかりの神様の独り言。 最後の陽気。そんな週末の予感。来週からはトコトン寒くなっていって、長い靴下を引っ張り出してくることになる。衣替えなんて大層な言い方はしない。手前にあった服が徐々に

          野球の試合に文句言いながらのけぞる

          小説「ハロウィン・フォローアップ・ナイト」

          「金を出せ、さもなくばこの通りだ」 目出し帽を被った男がレジ越しに銃をつきつけてくる。焦る。体の中で血が一気に巡る。 「どうした、はやくしろ」 はやくしたい。はやくしたいが困った。店長にこういう時の対応の仕方を聞いていなかった。 研修期間が終わったのは昨日のことで、寝不足が続いていた店長は安心したように「これで夜勤は任せられるね」と笑っていた。私は正直不安だったけど、優しい店長を困らせたくなくて「任せてください」と照れ笑いしてしまった。 そうして独り立ち最初の日、最初に

          小説「ハロウィン・フォローアップ・ナイト」

          km5分30秒と金木犀のペース

          汗をかきたい時にランニングをする。 金木犀の濃い香りが満ちたその日は、夜になると風も吹いて少し冷えてきた。 汗をかいて気持ちよく風呂に入るにはうってつけの日だった。 住宅街を貫く坂を上って、少し下って信号をくぐってまた上る。そこから長い下り坂を見下ろした先に公園はあった。夏祭りの会場にもなる大きい公園はランニングには良い場所だった。薄暗い外灯の下を走る影が常にひとつかふたつあった。 公園の中はほとんど平坦で走りやすい。足の運び方に気をつけながら走る。ランニングしてる時は

          km5分30秒と金木犀のペース

          初めての駅から初めての駅へ 西中島南方から十三まで

          電車が淀川を越える時はいつも、未知の遠い地から呼ばれているような気がした。 寝屋川に住んでいると電車で淀川を越えることは滅多にない。その日は、新鮮な散歩のために初めて降りる駅を目指していた。 せっかく知らないところに来たのだから、ゆっくり歩くことにする。 西中島南方。方角がいっぱいある地名。従うようになんとなく西に向かっていく。十三駅の方へ。 栄えているような、栄えていないような町並み。背が低い茶色い木壁と、輝くような白いコンクリ壁が向かい合う道を歩いていく。平日の昼間

          初めての駅から初めての駅へ 西中島南方から十三まで

          秋風ころころと

          子供がころころ走り回るような音。誰もいない家の中で走り回っている。不審に思って目を覚ます。しばらく走り回るのを聞いていた。なんだか懐かしい音だった。スティックパンみたいな足が精一杯に遊んでる時の音。フローリングが一緒に鳴ってあげてるような音。 しばらくして、ああ、窓を開けたままにしていたことを思い出した。隣の部屋には出窓がある。大きく突き出した出窓は側面をわずかに開けるためのハンドルがあって、コキコキ回せば風が部屋に通った。そのわずかな隙間が招いた風が、家中を叩いて回っている

          秋風ころころと

          自立するフィギュアが好きだった

          なにか思い立って朝の四時から自転車で65キロ走っていると、考えることはいろいろある。大半はペダリングの効率性とか、トルクのかけ方みたいな自転車の乗り方に関わることで、速くなるための工夫を少しでも求めてしまうのは競技をしていた時の癖なのかもしれない。 でも、全然関りのないことを考えている時間もあって、それは京都の木津川にかかる大きな橋をゆっくり渡っている最中だった。 人形遊びをしていない。ここ二十年弱。おかしなことだ。 子供の時は大きな缶カンに大量のフィギュアが入っていた。両

          自立するフィギュアが好きだった

          昭和脳が私人逮捕について思うのは

          ゆーちゅーばーが痴漢を捕まえる動画があがってるらしい。痴漢の腕つかんで「痴漢や!」って羽交締めにしたりするらしい。こういうのは私人逮捕や言うて現行犯なら法の中の行動らしい。 良いのか、悪いのか、もういろいろ言う気にもなりませんわね。めんどい連中やで。 たいがい、こういうのは振る舞いがダサいから鼻で笑われるんや思います。ダサさですわ。 わざわざ痴漢を探しに行って派手に暴れるわけやから、そら色々言われまっせ。色々言われることもわかってやらなあきませんわ。頼まれてやってることち

          昭和脳が私人逮捕について思うのは