「みんな、道でたばこ踏もうぜ」

言語化という言葉があまり受け入れられない。
たらたらと文章を書くやつが冒頭から言うことではないが、言語化こそ大事だというような風潮は特に好きでない。
言語化ってなんだ????

これぐらいの時期は、夕方などそこらへんをほっつき歩くだけで、なんとも言えない情緒的な想いを抱いてしまう。汗が脇から横ぱらに流れ落ちていく蒸し暑さであるのに、夕陽は眺めるまもなく落ちていく。
葉の萎びた朝顔が道路へはみ出していて、どこからどこへ蟻の行列は二車線を横断。
カラマツ虫とコオロギは包みこむようにして鳴いてくる。

いくら、わたしが著してみても、夕方5時47分にわたしを覆うあの体験をここに再現してみせることなどできない。
やはり、体験に勝る言語は無いように思う。
台風が近畿に迫ったある日のことだ。
わたしは昼過ぎにベッドで横になっていた。
雨が降ったら閉めよう。
そうして開け放していた窓からふわり風が吹き込んだ。
それは台風が迫っているとはとても思えないほど、なんとも、なんとも、きもちのいい風だった。

何週間もかけてあの風を表してみようとしたけれども、とてもあの風を言葉にはできなかった。わたしの体験をわたしの言葉はモノにできなかった。しかしそれでいいのだと思った。わたしたちの体は言語で形作られていないのだ。
人と人との歩み寄りに言葉が欠かせないのだとしても、その手前に必ず膨大な体験があるのだろう、とわたしは思った。

しかし昨日、恋愛リアリティショーを見ている児島が突然、
「みんな、道でたばこ踏もうぜ」
と叫んできたのには痺れた。これほどの言語化があるなら、言語化だって捨てたものではないということだ。精進あるのみ。ダイエット教室精進料理。おわり。

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