売れ残る炭酸水の箱。先週読んだ本「文章のみがき方 - 辰濃和男」

水道水の味がよくわからない。
コップに水を入れて飲んでみる。水道水はマズいという思い込みがある。それをできるだけ忘れて、ごくっと喉に通してみる。ぬるい。

地震が来るかもしれないと思うと、家を出ることが億劫になる。
居住地おんぼろ小屋なわけだから外に居たほうがよっぽど安全なんやけど、家には愛くるしい猫がいるし、なにより家が崩壊する瞬間を目撃しないことが悔しい気がする。出かけている最中に大きな揺れが来たとして、ああ今頃家がぺしゃんこになっているのだろうかと考えているのが一番やり切れない。ぎりぎり崩壊一歩寸前で堪えているかもしれないし。最初のひと揺れで綺麗に更地になっているかもしれない。そんなことを想像している自分を想像するのが一番辛い。
ということで、せっかく連休に浮かれる世間様があっても、積極的に引きこもりをしてやろうという思いに至った。

地震の備えの程度に決まりはない。備えようと思えば北海道あたりのホテルに電話を入れることもできる。とりあえず近くのスーパーからは水が消えていた。不思議なのは炭酸水の箱は残っていること。
もし地震があってえらいことになっても、夏真っ盛りの炎天下で頭からかければしゅわしゅわして気持ちよさそうだし、炭酸が苦手でも振って炭酸を抜いてしまえばいいことだ。
さて、そんなこんなで水道水を飲んでみることにした。今ある水のペットボトルを温存するためである。味はわからない。水道水生活三日目。お腹が壊れてるのは水道水のせいなのだろうか。

先週読んだ本は「文章のみがき方 - 辰濃和男」岩波新書
文章を書くうえでも読むうえでも大切なことがたくさん書かれていた。
いい文章を書くために大事なことが項目ごとに、小説やエッセイ本を引用しながら説明されているのだけど、特に印象に残ったのは「そっけなさを考える」という項目。
ある種突き放した感じで、そっけない文章を書くというのはけっこう難しい。想いを込めれば込めるほど文章には自然に想いが乗ってくる。だけれども時々、それは自己満足に陥ってしまうことがある。そっけない装いながらも包み込む優しさを持っている。案外心に残っているのはそういう文章だなあと思いました。
うちのお京ちゃんもそっけないもので、新しい猫じゃらしを振りながら近寄っていくと目をキラキラさせて飛びかかってくるのに、次の日にはもう飽きてしまってつまらなさそうにお尻を向けて来るのだ。憂い奴憂い奴。おわり。

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