梟は闇に嘯く 第14話

月曜日の朝になっていた。
妙に意識は冴えていた。朝起きたときから、とてもスッキリした気分で、妙に清々しかった。学生服に着替えていると、母親が部屋の前を通りかかった。母は俺が学校に向かうことに驚いたようだったが、特に何も言うことはないまま通り過ぎた。
通学路を進むにつれて同じ学生が増えてくる。別にみんながキラキラした学生生活を送ってるわけじゃない。友達と楽しそうに通学路を歩く学生がいる一方で、うつむき加減で虚ろに学校へ向かう奴もいる。そんな奴でも、朝になれば律儀に学校に向かう。それは戦いなのだろうか、諦めなのだろうか。
今日、俺は道長と対峙する。手持ちの情報は未だに犯人からはほど遠い。ハシノ印刷に恨みを持つ誰か、ハシノ印刷の悪評を巻いた何者か、それとも全く別の可能性。少なくとも単なるイタズラじゃないってことだ。
土曜日のあいだに来瀬の探索も兼ねてトーキと廃墟を探りに行ったが、恐らくは俺たちを探しているであろう男たちがうろうろしていて近づくことすらできなかった。
暗号解読は、やはり来瀬がいないとどうにもならない。来瀬がいたってどういうことができるかわからないが、俺とトーキで宜丹のホームページの中に縦読みやら隠しメッセージを探したのよりかはマシなことをしてくれるはずだ。
もう残されたのは道長との対峙しかなかった。道長がそもそも留年だなんて横暴を言い出さなければよかったことだ。しかも、言われた俺もごにょごにょとハッキリ抵抗しないから事態がここまでもつれたんだ。今日、ハッキリとあいつに言い返す。犯人は俺でも生徒でもない。ハッキリと宣言して留年なんておかしいと宣言する。
それでダメなら、そうだな、それでダメなら。YouTubeの動画に声をあてるバイトでもしよう。
学校の正門前にはなにやら人だかりができていた。俺はスプレー騒動のときのことを思い出した。スプレーを吹き付けた翌朝、仲間たちで正門前の騒ぎを遠巻きに眺めていた。トーキのやったことが騒ぎになっていることに痛快さもあった。忌々しい学校が秩序なく汚されて、生徒がそれによって盛り上がっている光景は俺たちにささやかな万能感を与えた。夜にはしっかり捕まるわけだが。
人だかりは正門横の壁から放射状に出来上がっていた。俺は人と人の間から、その人だかりの中心に目を向けた。
正門横の壁にキツネのステッカーが貼られていた。

馬頭琴は弦が2本と造りがシンプルなのに、演奏となると難しい楽器のようであった。まず、弦楽器であるのにギターみたいな弦を押える場所の目安がなくて、感覚で音の場所を覚えないといけない。そもそも弓を当ててみても綺麗に音が鳴らない。というか膝で楽器を挟んで弾く姿勢がそもそも弓を持ちにくくて気持ち悪い。音楽を習った経験がない人間が始めるべき楽器ではなかった。
ガレージの中には朝から不協和音が響き渡っていた。近所迷惑にならないようにシャッターをわずかな隙間を残してほとんど閉めていたが、それでも前の道を通りかかった人は何事かと思うことだろう。
声をかけてくれていたのだろうけど、ぼくは不協和音の中にいてしばらくそれに気が付かなかった。目を向けた時にはシャッターの隙間からひらひらと振る手が見えて、慌ててシャッターを引き上げた。
「こんにちは」
管理人の大道さんだった。綺麗な銀髪のおじいさんで、大きくて分厚い眼鏡をかけて優しそうに笑っている。
「もしかして待たせちゃいましたか」
ぼくは封筒を渡した。大道さんは必ずその場で中を確認する。
「はい、確かにいただきました。いやいや、素敵な演奏だったよ」
「練習中なんです」
「今度は音楽家に転身かい?」
音楽家というのは稼げるのだろうか。馬頭琴を持ってコンサートホールを埋めるというのはなかなか想像がつかない。
「ちょっと華を添えたいだけですよ」
「ほお」
リズミカルな音が聞こえてくる。
大道さんの後ろから姫継が手を振りながら走ってきていた。
「友達?」
と大道さんが振り向いた。
「はい、最近できた友達です」
姫継はそのままガレージに突入してくると、息を切らしながらぼくの肩を掴んで揺さぶってきた。
「生きとったんか!」
「生きてるよ、そりゃ」
「ずっといなかっただろ!」
「いろいろやることがあったんだよ」
「それより学校の正門にステッカーが!」
「見てきた?」
「騒ぎになってるよ!」
姫継が顔を赤くして興奮している。
むふふ。なるほど。いたずらっていうのはこういう楽しさがあるんだな。
ぼくはまた馬頭琴を弾き始めた。大道さんが目を細めて耳をふさぎながら退散する。
「それと、それだけじゃない! 宜丹のホームページに仕掛けがあって!」
「はいはい」
「3301って、あれ動画でやってただろ」
「やっておりましたね」
「それがURLに」
「うんうん」
「待ってくれそれうるさすぎる」
目を瞑って演奏を続ける。音階を順番に弾いていっているだけなんだけど。
ぼくの優雅で落ち着いた様子に、さすがに姫継も違和感を覚えたらしい。
「なんか、もっと興奮しないのか」
「興奮はしたよ。とってもね」
「じゃあなんで断末魔みたいな音を鳴らす」
「そんなつもりはないんだけど」
不協和音どころか断末魔となっていた馬頭琴を置く。
困惑した姫継は疑惑の目をこちらに向けてくる。
「やけに落ち着いてるな」
「落ち着きは肝心だよ」
姫継は躊躇って何度か言い淀んでから、ぼくに言った。
「もしかして犯人か?」
味わったことがないほどドキドキしていた。
「半分間違いで半分正解」
姫継の渾身のラリアットが飛んでくるまでに猶予はなかった。

来瀬はハシノ印刷の工場から取ってきた書類を並べた。
「まず、これが納品書と見積書ね」
鼻血を抑えるために詰めたティッシュのせいで喋りにくいらしい。俺は壁に背中をつけて立ったまま話を聞いていた。あんな吹っ飛び方をするとは思っていなくて、さすがに申し訳なかった。来瀬は淡々とこの数日のあいだに調べたことを説明していく。
「どっちも宛先がクリエイティブカラパスって会社になってる。調べてみるとこれは近くにある広告代理店だった。他の書類も全部調べたけど、納品書とか見積書はほとんどがこの会社に宛てられたものだった」
別の書類が重ねられる。
「不具合報告書っていうのの下書きもあった。クレームに対して不具合が起こった箇所とか原因を報告する書類みたいなんだけど、これもさっきの会社に宛てて書かれてた」
「どういうクレームだったんだ」
「刷ったビラに皺が寄ってしまってたってものらしい」
「それ、宜丹から聞いたよ。無茶なクレームを宜丹のいた会社がしてたって。ネットの噂もそこの社長の仕業じゃないかって言ってたよ。宜丹の言ってる会社はそこで間違いない」
来瀬は目を白黒させてこちらを見上げた。
「宜丹から聞いた? 宜丹さんのところに行ってきたの?」
「お前を探してて行ったんだよ。おかげで蹴りまで食らったけどな」
この数日間、俺は俺でそれなりに動いていたこともわかっていてほしかった。恩を着せたいわけじゃない。ただ、来瀬ばかりが頑張ってるという結果になるのは癪に障る。
「ごめんね、次からは返事をちゃんとするよ。しかしそれだったらぼくも宜丹さんのところに行けばよかった」
「で、そのクリエイティブなんたらがどうしたんだ」
「うん。まあ結論から言っちゃえば、ここが宜丹さんの働いてた会社であり、ハシノ印刷の大口のお客さんでもあり、ハシノ印刷を倒産に追いやったところだったってことだね」
来瀬がパソコンにクリエイティブカラパスのホームページを出す。
「このホームページの会社概要のところで、腕組んでテカテカのスーツ着てるこの人、この人が社長の伊藤雅之さん」
浅黒い肌で彫りの深い男が、新庄ぐらい白い歯を出して笑っていた。
「宜丹が殴っていいって言ってたやつか。確かに胡散臭い顔つきだ」
「その通り、だと思う。会社はこの地域でのお仕事が多かったみたいで、うちの学校の広報資料なんかも製作実績に載ってたよ。学校の図書館をちょっと覗いて資料を漁ってきたけど、学校説明会の資料とかにも社名が載ってたよ」
「それぐらい校内でやれよな」
「ネットにも学校の広告が出てるから、たぶんそういうとこまで含めてクリエイティブカラパスは関係してるはずだよ」
「ここがハシノ印刷を潰したっていうのは」
来瀬がパソコンの画面を切り替えた。
「こっちは、3301か」
俺が宜丹の事務所で気が付いたURLが違う方の宜丹のホームページだった。
「そう、ぼくも最初は気が付かなかったけど、これは宜丹さんのホームページに見せかけた偽サイトなんだ。誰かが新しいURLを取得して、宜丹さんのホームページそっくりのものを作ったんだ」
「凝ったことをやる奴だ」
「3301を書き足すってことは、cicada3301 を知ってる犯人が意図的にメッセージを持ってこの偽サイトを作ったってことになる。つまり、ステッカーは暗号解読への招待状だった」
「うん」
「だけど、ぼくには高度な暗号解析はできない。だからまずページのソースコードを調べてみた」
「ソースコード?」
来瀬がキーボードを叩くと、画面は小さくて大量の英文と記号がずらりと並んだ。来瀬はすこし考えてから説明を始めた。たぶん、俺にもわかるような説明を考えてくれたのだと思う。
「こういうインターネットのホームページとかっていうのは、ルールに従って記述されてるんだよ。それがプログラミングってものなんだけどね。画像ひとつ表示させるのでも、文章を真ん中に置くのでも、『画像を表示させろ!』とか『文章を真ん中に!』みたいな命令文を書かなきゃいけない。それがソースコード」
「そおっすか」
3割は理解できた。
「進めるね。企業の公式ホームページって、ソースコードに隠しメッセージを流すことがあるんだよ。だから偽サイトでも探してみた。そこをよく見ていくと、こんなのが書いてあった」
大量のソースコードの中、一行空けられたスペースにURLとメッセージが書かれていた。

『わたしがお前に対して行うことは、わたしが今まで行ったこともなければ、またこれから再び行うこともないようなことである。それはお前が行ったあらゆる忌まわしいことのゆえである。 ”kdvklqr”』

「穏やかじゃないな」
主張はハッキリとはしないが、とにかく攻撃的な雰囲気がある。
「文章の方は旧約聖書からの引用だった。エゼキエル書っていうのの一節みたい」
「わざわざ持ってくるってことはなんかあるんだろうな」
来瀬はURLをクリックした。
「URLの先はファイル共有ソフトになってた。パスワードを入れたらファイルをダウンロードできるっていうやつ。だからさっきの変な文字列を打ってみた」
「そしたら?」
「なにも起こらなかった。パスワードが違うらしい」
「じゃあどうしたらいいんだよ」
姫継が嘆く。
「cicada式でいけば簡単に進めさせてくれるわけじゃない。ていうかぶっちゃけると最初からわかったんだ。これはシーザー暗号だよ。ほら、ちょっとずつズラすって暗号あったでしょ」
「ああ、あったあった」
「この文字列はずらされてるんだ。3文字ね。直すとこれだった」
入力欄に「hashino」と入力するとファイルがダウンロードされ始めた。
「そのままじゃねえか」
ファイルはPDFになっていて、10枚の書類がスキャンされたものだった。
「これが出てきたデータ。ここにはクリエイティブカラパスからハシノ印刷に宛てた脅迫に近い要求が書かれたメールがあった。受注単価を下げないと注文を全部止めるぞ、とかお前のとこの駐車場を売却しろ、とかね」
「勝手なもんだな」
「で、このメールはito@creaticecarapaz.comからhashino12_print@gmail.comから送られたメールになるんだけど、ここにCCでメールに入れられてる人がいるんだ」
説明が進んでしまいそうなので慌てて止める。
「CCってなに」
「内容自体の宛先じゃないけどメールを読んでもらいたい人に送るための宛先だよ。関係者みたいな項目だね。そこに何人かのアドレスがあるんだ。どっちの会社の人でもない」
「変だな」
想像でしかないが、企業同士のやり取りならその企業以外の人間をメールに入れるというのは無いんじゃないか. まして脅迫まがいの内容なわけだから、できるだけ知られたくないはず。わざわざメールを共有するということが何を意味するか。
「これ以上わかったことは?」
来瀬は手を上げた。
「お手上げ。他にも色々探ってみたけど、ここで行き詰まる。だから強硬手段に出たってわけ」
「ステッカーを貼ったのか」
ガレージに来たときの来瀬の反応からして、来瀬が学校に貼られたステッカーのことを知っているのは明らかだった。しかし服装からして学校に行った様子はない。誰かから連絡があったのかもしれないが、それにしたって落ち着きすぎてる。答えは明白だった。
「言っとくけどいたずらしたかったってわけじゃないからね」
「どうして貼ったんだ」
「目的は簡単。真犯人に出てきてもらうため。ハシノ印刷のことについて告発したいっていうのはわかったんだけど、あれじゃ信ぴょう性も薄いし、ステッカー犯に辿り着けない。だから出て来てもらうことにしたんだ」
来瀬は床に置いてあった鞄からステッカーの束を取り出した。大きさと重さでぐにゃりと腕に巻き付くように垂れている。
「先週、業者に頼んだんだよ。そしたら最低でも30枚からだって。家賃払ったら貯金が尽きちゃったよ」
俺にもようやく来瀬の考えが掴めた。
「そいつにメッセージを仕込んだんだな」
「当たり。眼のところにQRコードを仕込んだんだ。偽サイトは用意できなかったから、noteっていうサイトに書置きを残した。一応シーザー暗号でね」
「なるほどな、それで犯人を呼び出すのか」
「そう、今夜」
相変わらず話が性急だ。今日のメッセージで今日呼び出すとは、相手が読むとも限らないのに。
「ぼくの予想では、読むと思うんだ。もう読んでるかも」
「本当かよ。ていうか廃墟のあいつらだったらやばいんじゃないか。襲われたんだぞ」
「あの人たちは犯人じゃないよ。ぼくの仮説ではね」
来瀬は立ち上がった。
「準備しよう。せっかく来てくれるわけだから出迎えなきゃ」
「どんな奴が来るか楽しみだな」
トーキの奴も呼びつけてやろう。仕事があってもこっちに来るだろう。
携帯でトーキにラインを打つ俺に、来瀬はぶつぶつと唱えるように言った。
「さっきの聖書の一節なんだけどね、こう続くんだよ」

『それゆえ、お前の中で親がその子を食べ、子がその親をたべるようなことが起こる。わたしはお前に対して裁きを行い、残っている物をすべてあらゆる方向に散らせてしまう。』

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