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ハマりすぎて"ぶっとびカード"を実際に味わった話【桃太郎電鉄】

1990年代。ボクがまだ週刊ファミ通編集部に在籍していたころ。

仕事が終わっても家に帰りはせず、夜な夜な編集部で同僚や先輩たちといっしょにゲームを遊ぶことも多かった。

PCゲームの『ダンジョンマスター(日本語版)』(1990年)や、『Diablo(ディアブロ)』(1996年)が発売されたときは完全にハマってしまい、家に帰らず編集部に寝泊まりしていたほどだ。

会社にゲーム好きな人がたくさんいたこともあって、コンシューマーやPCゲーム問わず面白いゲームの情報がいち早く入ってくるし、ちょっと声をかければいっしょに遊んでくれる人がすぐに見つかる環境というのは、いま考えてもとても恵まれていたと思う。同時に、そんな空間が非常に心地良かった。

そんななか、よく遊んだのが『桃太郎電鉄』シリーズだ。

当時の編集部には、シャープのスーパーファミコン内蔵テレビ"SF1"があり、それを会議室に持ち込んでは、同僚とよく徹夜で遊んでいた。

なかでもやりこんだのは、スーパーファミコン版の『スーパー桃太郎電鉄DX』(1995年)、『桃太郎電鉄HAPPY』(1996年)、『桃太郎電鉄7』(1997年)あたり。

最低でも週に1回、多い時には週の半分くらい、深夜の会議室にお菓子やジュースを持ち込んでギャーギャーと奇声を発しつつ楽しんでいたのだが、あるとき徹夜で仕事をしている他の編集部に「うるさいっ!」とこってり怒られたこともあり、いまとなってはホントに申し訳ないことをしたと反省している。

若気の至りならまだしも、当時はもう35歳を過ぎていた、いい大人だ(笑)。

\いい大人が集まり、ゲーム集団"KGS"結成をする!/

ちなみに、一緒に遊んでいたのは、カミカゼ長田、ブンブン丸、ロマン鈴木などの名物編集者たち。

男子校ノリよろしく、みんなでゲーム集団"KGS"というグループを結成する。

当時の『週刊ファミ通』誌面でその活動内容(『桃鉄』以外にどんなゲームで遊んでいるか、など)を紹介することも多かったので、そのときの読者なら聞き覚えがあるはず。

"KGS"は、3つの言葉の頭文字を取った(タレントのDAIGOさんの"DAI語"と同じ)ものだが、放送(出版)禁止用語が含まれているため、何の略なのかは死ぬまで公表することはできない(笑)。

また『桃鉄』プレイ終了後、ゲームの総資産額の4位が1位に、そして3位が2位に対し、1億円ごとの差額につきジュース1本をおごっていたのも、賭博罪スレスレな感じなので、ここではフィクションということにしておきたい(※いちおう念のため、食べ物や飲み物を掛けることは賭博罪に該当しないそうです!)

それほどまでに(?)『桃鉄』にハマりすぎて、当時は、各都市の物件名・価格・利益率はほぼ頭のなかに入っていたのと、また、どのルートで進めばいちばん効率的か、さらには、もう完全にオカルトなのだがサイコロの目の「4」は80パーセントくらいの確率で出せる、と自負していたほどだ。

当時のハドソンの担当者さんいわく「完全ランダムなので目押しは不可能です!」と言っていたのにも関わらずだ!

\史上初の公式戦"桃太郎電鉄 JAPAN CAP"が開催される/

そんな『桃鉄』好きが高じ、KGSメンバーであるボクとカミカゼ長田が中心となり、『週刊ファミ通』誌上でプレイステーション版『桃太郎電鉄X 〜九州編もあるばい〜』(2001年)、『桃太郎電鉄11 ブラックボンビー出現!の巻』(2002年)の連載記事および、公式ガイドブックの制作を手掛けることになった。

なお、当時のハドソンさんは"桃太郎電鉄 JAPAN CAP"と題して、全国各地で予選を行い"『桃鉄』日本一"を決める公式大会(『スターソルジャー』のキャラバンみたいな大会)を開催していたのだが、その取材のため、ほとんどの予選大会に参加させていただいた。

筆者の画像フォルダから発掘された、当時の"桃太郎電鉄X JAPAN CAP 2002"の東京予選の様子。本記事のタイトル画像(キングボンビーの写真)も東京予選でのもの。
同じく、当時の"桃太郎電鉄X JAPAN CAP 2002"の東京予選の様子。

『桃鉄』史上初の公式戦となった"桃太郎電鉄X JAPAN CAP 2002"では、東京、大阪、高松、福岡の4都市で予選が行われ、そのなかから勝ち進んだ選手が、スタジオアルタ(新宿)の決勝大会に出場。

そして翌年の、"桃太郎電鉄11 JAPAN CAP 2003"では、大会の規模をさらに広げ、北は北海道から南は九州まで、全国10都市で予選を行い、最終決戦は東京・六本木にて行われた。

ゲーム同様に、日本全国を飛び回りつつ、その"桃太郎電鉄 JAPAN CAP"の地方予選および決勝戦を取材させていただいたのだが、そのなかでも非常に思い出深いのは、北海道予選の取材だ。

早朝、羽田から飛行機に乗り新千歳空港へ、そこから電車で札幌駅に行って、予選大会場所であったビックカメラ札幌店に昼ごろに到着。そこで3~4時間ほど取材して夕方には新千歳空港へ舞い戻り東京へ。

北海道らしいものも食べず、観光もせず、アッという間にとんぼ返り。

翌日、別の仕事があったため宿泊ができなっただけなのだが、「ああ、実際に"ぶっとびカード"(or地名カード)を使うのってこんな感じなんだな」と、へんに納得したのを覚えている。

とはいいつつも、広島の取材ではきっちり1泊しつつ美味しいお好み焼きを食べたり、博多ではさまざまなご当地グルメを堪能したり、さらに大会ゲストとして出場された数多くのタレントさんや芸人さんとゲームの話で盛り上がったりなど、楽しいことのほうが多かった取材でもあった。

\2023年は、なんと『桃鉄』生誕35周年/

ボクは、『桃鉄』の面白さって麻雀に近いと感じていて、運だけでは勝てないし、もちろんテクニックだけでも勝てない、その運と技術のバランスが良く味わえるゲーム性だと思っている。

むかしから、ゲームは"人と人をと繋ぐコミュニケーションツール"だと感じているので、そういう意味では、そのツールとしてのパフォーマンスがすこぶる高い作品だと思う。

ちなみに最近は、一緒に遊んでくれる人もいないので(当時の編集部のような環境でもないので)、『桃鉄』からは少し離れていたのだが、3年ほどまえにドワンゴ代表取締役(現・KADOKAWA代表取締役)の夏野 剛さんに、なぜかボクが『桃鉄』をレクチャーすることになり配信番組にお呼ばれしたことがあった。

そのときはPCエンジン miniの『スーパー桃太郎電鉄II』をベースにゲームの基礎ルールを含めていろいろと説明させていただいたのだが、あらためてプレイしてみると『スーパー桃太郎電鉄II』で『桃鉄』の面白さは、ほぼほぼ完成されてるんですよね。

なお、今年(2023年)で『桃鉄』シリーズは生誕35周年を迎えたそうで、新作『桃太郎電鉄ワールド ~地球は希望でまわってる!~』(舞台が世界だそう!)も発売される。また、『桃鉄』がメダルプッシャーになった『桃太郎電鉄 ~メダルゲームも定番!~』もゲームセンターで近日稼働されるそうだ。

ここ最近、そんな『桃鉄』がらみのニュースが多く、いちファンとして嬉しい。

今後も、さらにゲームハードが移り変わってもボードゲームの定番としてシリーズが続いて欲しいな、と思う。

もちろん、サイコロの目の「4」は80パーセントくらいの確率で出せるのはいまだに自負しているので、対戦者はいつでも募集中だ!

当時、ボクとカミカゼ長田が中心となって手掛けた『桃太郎電鉄X 〜九州編もあるばい〜』、『桃太郎電鉄11 ブラックボンビー出現!の巻』の公式ガイドブック。

<まとめページ>【ローリング内沢の】エッセイ・コラムいろいろ

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