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美を追求する競技が教えてくれたこと

 私は、新体操というスポーツの経験があります。幼稚園のときにはじめて、高校まで続けました。新体操の練習のために犠牲にしたことは数知れませんが、それ以上に得られるものの方が多かったことを確信しています。

 今回は、私がnoteを書くきっかけと合わせて、「スポーツがくれたもの」、特に「新体操がくれたもの」について考えたいと思います。

スポーツだからこそ得られたこととは?

 学生時代、大学の授業で、改めてスポーツから得られる学びについて考える授業がありました。スポーツの経験がある多くの学生は、口ごもることなくすらすらと、スポーツから得られたことについて述べていきます。

 「上下関係」「忍耐力」「チームの大切さ」「礼儀」…。

 こうした単語が並ぶなか、担当教授は一言。

 これはスポーツじゃないと得られなかったことなのか?

 私はハッとしました。確かに、スポーツという機会でなくても、学べること、身につくものばかりが並んでいる…。教授の発言に納得がいく反面、自分のスポーツ経験は他のものに代替可能なものなのか、と考えます。いや、私のスポーツ経験は、何か他のものに変えられるものではない。私は自分の経験に重ね合わせ、新体操という特殊なスポーツの経験が、代替可能なものであるはずがない…。そう確信しました。

 スポーツだからこそ得られることがある。そして、新体操というスポーツだからこそ得られることがあるはず。この、「スポーツだからこそ」「新体操だからこそ」について考えたい!これが私の考えのきっかけであり、noteのきっかけでもあります。

新体操じゃないと得られなかったこと

 新体操とは、一言で言うならば「美を求めるスポーツ」。採点スポーツの一つで、審判員が採点を行い、そこで出た点数によって順位が決定します。

 採点には、技の完成度が求められる「技術点」と、音楽との一致や表現力が求められる「芸術点」の二つがあります。よって、いかに技ができるか、技の熟練度を上げる練習のほかに、いかに美しく動くか、自分を表現するかという、芸術的な要素を磨く練習も必要になります。ここに、新体操というスポーツの特殊性があり、「美を求めるスポーツ」と言われる所以があります。

 ところで、スポーツの世界ではよく聞くけれど、新体操の世界ではあまり使わない言葉があります。それは、

 勝負、競争

という言葉です。これらは、勝敗が決定して順位が決まるスポーツの世界にとっては根本・本質にある言葉でしょう。しかし、新体操では勝負はしないし競争もしません。(と言い切るのは言い過ぎかもしれませんが…)

美と競争について

 新体操選手にとって、競技の順位や、だれに勝った、どこのチームに勝ったという、勝負や競争の考えはあまり役に立ちません。もちろんスポーツなので、順位がつき、その順位をもとに次のステージの試合への出場権を獲得したり、周りからの評価にもつながったりします。このように目標として順位を掲げることはあっても、新体操の目的として順位や勝敗を掲げることはないでしょう。「一番になりたいから新体操をする」「ライバルに勝ちたいから新体操をする」という考えをする選手は少ないということです。

 では、新体操にとってはなにが重要になるのでしょうか。

 それは、一言で言うならば「いかに美しい自分(チーム)でいるか」です。

 新体操の採点には、技術点のほかに芸術点があることは確認しましたが、この芸術点の要素となる「表現」が、新体操選手にとって、とっても大事なことなんです。

①自分の伝えたいことをいかに表現するか
 新体操の演技という作品を通して、自分の伝えたいことを表現します。その思いやテーマが伝わったときに、自分は満足します。
②自分をいかに表現するか
 特に個人競技では、自分という人間・キャラクターにあった曲を選び、演技構成を行います。殻をやぶり、心の底にある「自分の芯」を、全身で表現することが叶ったときに、満足のいく演技ができたと思います。

 新体操の大会で上位に入賞した選手のインタビューは、「優勝できてよかった」「二位で悔しかった」といった、結果にフォーカスするコメントよりも、「自分の満足する演技ができた/できなかった」というコメントが圧倒的に多いです。また、「自分らしさ」というワードが出てくることも印象的です。フィギュアスケートの選手も、こうしたコメントが多いのではないでしょうか。

 このように美を求めるとき、そこにだれかと競争したり勝負をしたりする考えはなく、少し違った視点になることがわかります。「結果さえよければいい」のではなく、「結果以上に大事にしたいことがある」のです。また、ここでは相手の分析よりも自分の分析が求められ、競技の場を超えて「自分とは」を考え、自分を理解する必要性があります。

 自分が大切にしていること(考え方)を指して、「○○の美学」と言うこともありますが、結果や競争ではない、自分の美学を持ち、より美しい自分を表現する。これが新体操の特徴で、こうした考え方を新体操から得ることができました。

スポーツが生活に息づくということを考えたい

 さて、「生涯スポーツ」という言葉があります。これは、年齢を重ねても、生涯、スポーツに取り組むこと。と、理解している人が多いでしょう。

 私はこの「生涯スポーツ」は、単純にスポーツをしていればよいのではないと考えています。生涯スポーツとは、

スポーツがその人の生活に息づくこと。文化になること。

と、考えたいです。

 自分の生活の中で、テニスをすることがストレス発散になっている。ランニングをすることが健康維持につながっている。このように、実際にスポーツを”する”ことを、自分の生活リズムに取り入れている例だけでなく、食事の在り方、筋トレやトレーニングによる身体のメンテナンス、更には思考といった、”する”以外のところまで考えることができると思っています。

 新体操というスポーツは、20歳がピークと言われています。これは競技の世界での話であり、競技とは違う、楽しみの場として新体操を続けることはいつまでもできます。場や時間がなくてそれも叶わない人もたくさんいますが、それでも「新体操的な思考」は多くの元選手に息づいているのではないでしょうか。

 そして私は、自分の人間やキャラクターを理解し表現する姿勢、結果以上のものを大切にする自分の美学を持っています。これは、新体操がくれたものです。

 これからも、新体操がくれた「美しさを求める姿勢」を自分の美学にし続けたいものです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


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