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新体操から得られる「身体能力」と「一生ものの宝」

 ただ競技人口を増やし、結果を出して知名度を上げる。これだけが競技振興じゃないと思っています。スポーツは人間を豊かにするものだと思いますが、ただスポーツをすれば豊かになるわけではありません。求められているのは、「スポーツをして何が得られるのか」。

 私が経験したスポーツ、新体操はいわゆるマイナーな競技です。少しでも多くの人に知ってもらいたいという関係者の思いはいろんなところで感じますが、そのための目標として掲げられているのは「競技人口を増やす」方向に偏っているように感じます。それもとっても大事ですが、ただ増やすだけじゃなく、新体操を経験することでどんなことが得られるのかということを知ってもらう必要があるのではないかと感じるのです。

身体教育としてーコーディネーショントレーニング?

 新体操に必要な身体能力って何だろう?と聞かれて、正直一つの答えを導くことは難しいです。

 まず、特徴的なのは「柔軟性」でしょう。ここまで柔軟性が求められるスポーツってある?ってくらい身体を柔らかくしなければなりません。しかも全身。

 ですが、ただ柔らかければいいってもんじゃありません。足が上がるところまで持ってこれる「筋力」も必要です。これも、一気に上げる瞬発系の筋肉も、維持し続ける持久系の筋肉も、どちらもバランスよく必要です。

また、競技の時間は短いものの、(個人:1分半、団体:2分半)この間に相当な運動量があります。終わったあとには毎回息が切れるほどです。つまり「持久力」も必要になってきます。(これは新体操選手すごいです。私も含め周りのメンバーはみんな学年一番くらい走れるって言ってました。)

 そして何より、片手で全身を支持したり、変な体制でジャンプしたりということを可能にするには「体幹」が必要です。これも持久力に並ぶ強さだと思っています。

 新体操は身体が使いこなせればいいわけではありません。手具という道具も採点対象です。手具は重さ大きさそれぞれありますが、それをこなすためにもいろんな感覚が必要です。

 「体幹」はもちろん、狙ったところに投げられる「投力」、投げたところに自分が合わせる「調整力」、手具に合わせてキャッチできる「キャッチ力」、団体競技の場合は自分が投げるわけではなく、時に違うところに来たりするのでそれに合わせる「対応力」

 正直まだまだこんなもんじゃありません。手具の扱いは手以外の場所でも多く行います。団体では3つ4つを一気に投げたりします。

 そして新体操は「芸術スポーツ」とも言われますから、身体表現が必要です。曲に乗れる「リズム感」と、「思うように身体が動かせる力」。ダンス的な要素も必要になってきます。

 こういった身体の力に加え、「頭のよさ」も求められます。これは数式が解けるとか難しい漢字が読めるとかそういうものではなく、複雑な状況判断ができるという意味のものです。

 ざっと挙げてみましたが、以下にまとめてみると

「柔軟性」「筋力(瞬発系)」「筋力(持久系)」「持久力(スタミナ)」「体幹」「投力」「調整力」「キャッチ力」「対応力」「リズム感」「身体を自由自在に操る力」「頭の良さ」…

  改めて振り返って、自分はこれらの力全てをトレーニングし使っていたのかと思うとちょっとびっくりです。(できていたかは置いておいて…。)そりゃ、アップに1時間〜2時間かかるなーって思います。

 しかもこれらは単発で現れるのではなく、組み合わさった状態で使わなければならないというのがポイントです。

 つまり、新体操選手は普段の練習から「コーディネーショントレーニングを行なっている」と言っても過言ではないのでは??

 コーディネーショントレーニングとは、神経系と筋力系の力を連動させて使うことができるようにするためのトレーニングで、神経系の力がもっとも育つと言われる5〜10歳(ゴールデンエイジと呼ばれます)の頃に行うと、その後のスポーツ能力の伸びが良くなると言われているトレーニングのことです。

こちらにわかりやすいサイトがあったので貼っておきます。

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画像参照:https://chiik.jp/articles/1Ykc1

 コーディネーショントレーニングでは、上記7つの力が養われます。これらがゴールデンエイジという時期に行われることにより、「運動感覚の良い」身体を手に入れることができ、その後のスポーツ経験に生かされるというものです。

 ふむふむ、リズムに識別、定位、連結、反応、バランス、変換、か…って新体操やん!!


 ということでこの章長くなりましたが、新体操をすることによって、自然と「運動感覚」がよくなっている可能性が大きいということです。一つの競技をしながら、他のスポーツにも汎用性のある力を身につけられるって、身体教育としては理想ですよね。

 (ちなみに私はというと、新体操ばっかりしていたので特有の癖がついてしまい、陸上や球技で恥ずかしい思いをすることが多いです。足先からついて走ったり、反対の手が伸びたままドリブルしたり。何事もやりすぎはよくないですね。)

スポーツ経験における「一生の宝」

 私がスポーツ経験で一番大事にしたいのは、「そのスポーツから離れても使える力を身につける」ということです。私たち人間は、一生スポーツをしていられるわけではありません。身体の限界も然り、生活することを考えても。

 だからと言って、スポーツを引退してから次のステップまでの間の糸がプッツリ切れてしまってはもったいないですよね。限りある人生の一部分でも、自分の身体も心も捧げたスポーツが、その後に生きないのは「豊かなスポーツライフ」を形成したとは言えません。

 では、新体操をすることによって得られる「一生ものの宝」って何でしょう。

 少し新体操から離れますが、アーティスティックスイミングの元選手である田中ウルヴェ京さん(ソウル五輪銅メダリスト)が書いた論文を発見しましたので、そこから一部抜粋してみましょう。

 シンクロの魅力は「審判や観客の過去の固定概念を思いっきり裏切り、感動させること」である。そして、そのために「自己の究極を追求すること」である。その究極の自己表現が、自らの、そして他者への「美」の表現である。…(中略)…選手側は、その外発的動機付けだけではなく、内発的モチベーションとしての自己表現に集中するしかないと思っている。そういった考え方が、現役選手時代のエネルギーになるだけでなく、選手としてのキャリアを終えた後の「次の自分」にも活用できる「精神力」になると思っている。それこそが、「スポーツから得る究極の美」であると筆者は考えている。(太字:ロールパンナ)
『体育の科学』vol,54 No.8 2004「芸術系ーシンクロナイズド・スイミングの美(田中ウルヴェ京)」(特集 身体の美、スポーツの美)より一部抜粋

 この論文は、身体・スポーツの美について、シンクロナイズド・スイミング(現アーティスティックスイミング)から考察を行ったものです。

 ここで田中さんは、「アーティスティックスイミングで得た『自己表現』の力は、選手を引退しても使える『精神力』になる」と言っているのです。アーティスティックスイミングで培われる身体能力は新体操と同様、数知れずあると思いますが、次のステージでも使える「一生ものの宝」として、「自己表現から得られる精神力」を挙げています。

 競技は違えど、同じ芸術スポーツの一つとして、美を求め表現に勤しむ新体操も同じことが言えるのではないかと思っています。

 一学生の私が換言するのも恐縮なんですが、誤解を恐れず田中さんの言葉を借りていうならば、

新体操の魅力は「審判や観客の心を自分に引き寄せ、共感を生み感動させること」である。そのために「自己の究極を追求すること」である。その究極の自己表現が、自らの、そして他者への「美」の表現である。こうした考えは現役選手の「もっと上を、もっと美を」という活力になるだけでなく、選手としてキャリアを終えた後の「次の自分」にも活用できる「精神力」になると思われる。

 アーティスティックスイミングと新体操の大きな違いは「舞台」だと考えています。アーティスティックスイミングは水面で行われますが、新体操は観客がいる場所と同じ地上で行われます。つまり、選手の醸し出す空気がそのまま観客に伝わるのです。

 そこで求められるのは、「選手が自分の空気によって観客を飲み込むこと」ではないでしょうか。そこで共感が得られることにより感動が生まれる。そのために、選手は究極の自己を追求する必要があり、その過程において生まれる「美を求める」精神的な力が、次ステージでも使える「一生ものの宝」になると、私は考えます。

 競技をしているときは、どうしても目先のことに囚われがちで、「試合で上位に食い込むために」「少しでも点数をあげられるように」という思いばかりになってしまいます。本番でも、ミスをしないようにという守りの姿勢になって、緊張して「固い」演技になって。結局点数はそれなりには出るけれど、記憶に刻めるような作品にはならなかったという自分の経験があります。

 ただ、私の記憶に残っている作品たちはどれも「究極の自己表現」であり、会場を端から端まで包み込むものでした。

 私の思う「一生ものの宝」は、結局新体操の本質・根本にあるものなのではないかと思っています。ここを抜きに新体操をすることも、語ることも許されてはならない。

 目先のことばかりではなく、「人間として」という視点が、もっとスポーツにあればいいなと感じます。

まとめ

 新体操を、「身体教育」「一生ものの宝」という視点で見てみました。

 こうやって改めて冷静に見つめてみると、自分の中で「ただ辛かった」苦い思い出しかなかった新体操経験が一気に輝いてきたような気がします。

 新体操で得られた能力が、私のこれからの人生の一助、いや百助くらいになってくれそうな予感です。

 こういう側面がもっと広まれば、新体操に興味を持ってくれる人も増えるのではないかという淡い期待を込めて。


長文にも関わらず、最後まで読んでいただきありがとうございました。

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