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【企画者の底力】松濤美術館 装いの力―異性装の日本史

松濤美術館 装いの力―異性装の日本史

なんとなく昔から不思議に思っていたこと。
それは日本における歌舞伎や宝塚の文化。
何であんなに熱狂的なファンが生まれる文化だったのか。
女形や男役の、性別以上の「らしさ」。

それは異性が演じるからこそ、「異性から見た憧れの異性」を演じることができて、人々を熱狂させてきたんだろう。

とりかへばや物語など
もうこんなに古くからこんな創作物があったのかと。
よくぞ無きもの、とされず現代まで残ってくれたな、と思うのだ。
古の人々にも同じ悩みを持った人がいたのかもしれない。
古典から性自認について題材にした作品がある国なんだ、ということを胸にとどめておきたい。

森村泰昌さんのバイクに跨るバルドー!
これ、90年代に大個展で見た以来でした。めちゃくちゃ好きな一枚!見れて良かった。きっと峰不二子的な画面に心惹かれたのだと思う。

自分がナチュラルに見てきたものとしては87年にNHKで放送された「アニメ三銃士」。その中のでアラミスという三銃士のうちの一人が男装の女性だった。(原作はもちろん違う。日本版子供向けアニメーションの中での設定)
監修はルパンの原作者のモンキー・パンチさんだった。
とても好きなキャラクターだったとことを覚えている。

そういえば、小さい頃よく男の子に間違えられていたことを思い出した。
ショートカットだったのと、パンツルックが多かったからかもしれない。
自分としては異性装をしている意識はまったくなかった。
しかし、ばったり立ち会った比較的上の世代の見知らぬ人に「ぼく、元気だね」と男の子と判断された。
けれど、その世代の人には次世代の服装、髪型の性別フレキシブルさがわからないから自分が持ってる過去判断材料に頼るほかなかった結果の声がけだったのだろう。
そういう事を言われても、じゃあ髪の毛を伸ばそうとかスカートばかり履こうとかしなかったな、と思うとなんて言うか「自分の服装は自分で決めるゼ!」ゴーイングマイウェイ!!的な子供だったのだろうな。
三子の魂百までとは言うが、そういう自分のことは嫌いじゃない。

見る、見られる、気にする?気にしない?の問いかけを改めて考え直す良いきっかけになった。松濤美術館、お見事です!

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