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恋無き恋のフられかた

「秋田って気持ち悪いよね!」

(米久のやつ、また言ってる……)
 僕はその大声に視線さえ向けずに黙殺した。言い返す気力も無い。
 なぜなら、もう一年も続いているから慣れっこなのだ。
 彼女の声は続く。僕の悪口を自分の仲良しグループにも言い始めた。その仲間たちは困った顔で聞いているが、米久さんはお構いなしである。

(小中学校では大人しい、可愛いやつだったのに)
 彼女とは小学校と中学校、そして今、高校になっても同じクラスだ。

 彼女はちょっと吊り目でキツイ印象はあるが鼻筋は通ってるし唇もスッキリしたピンク色。色白の美人である。黒髪を額で軽く分け、肩まで伸ばしている。特にワルっぽい女子ではない。それどころか、中学時代までは、まれに控えめな声が聞こえる程度の静かなやつだった。
 高校で一緒になり、その豹変さに別人かと思ったくらいである。
 声はでかくなっている、ぎゃはははとすごい笑い方をする、リアクションもでかい。口は悪い。教師には反抗的。いや、これは僕もそうだったから人のことは言えない。がしかし、前記の4点だけでも僕にとってはショックだった。

 当然のごとく僕は彼女と距離を置くようになったが、今度は「秋田キモチ悪い」の米久砲が飛んでくるようになったのだ。

 悪口は続く。
「特にさ、秋田の顔がヤダ。なんか病人みたいでキモチ悪りぃ」(正直コレが一番効いたのですが)
 米久グループの一人が聞いた。
「ねえ、なんでそんなに秋田を嫌うの?」
「だってキモチ悪いじゃん!」

 これを一年間、一週間に一、二度は教室中に響く大声でやられるのだ。
 僕が迷惑だと思うのは、米久さんの言動だけではなく、米久グループの女子とも話しにくくなることだ。僕は考古学部の部長で風紀委員長を兼任しており、風紀委員のメンバーに米久グループの女子が一人いたので、なにかと用事を頼みにくい。それに、その女子からしてもヘタに僕と話して、米久さんに睨まれるのはご勘弁じゃないかと考えるのだ。

 数々の迷惑はあれど、小学校から同窓の彼女に言い返す気持ちにはならず、僕は無視するばかり。

 下校途中のある日、バスに乗ると一番後ろに米久グループが陣取っていたので、僕はそれを避けて一番前に座った。
 しかし、バスの中だからといって手心を加えるような米久さんではない。 一般乗客、運転手、天よ地よお聞きあれとばかりに大声を張り上げる。
「秋田がいるっ! アイツ、キモチ悪くてさぁ」
 僕は一旦途中下車して、次のバスに乗る。

 このバスの一件でかなり辛い思いをした僕は、小学校からの記憶を辿り、米久さんに恨まれることがあったかどうか洗いなおしてみた。
 しかし、どうしても思い当たらないのだ。

※※※

「秋田キモチ悪いっ」
 今日もまた始まった。しかし、今回ばかりは確認しようと思った。校内ならいざしらず、またバスでやられたらたまったものではない。
 僕は隣の席の柳田さんにボソッと言う。
「もうすぐ卒業だし、なんであんなこと言うのか確認したほうがいいよね?」
 柳田さんは高校に入ってからずっと仲良くしてくれた唯一の女の子で、僕の配下の考古学部員も女子は全員柳田グループである。
 柳田さんは、僕が部のメンバーと話すのさえイヤな顔をするので、他グループのリーダーである米久さんに話しかけに行くなどという行為は、事前に了解をとっておかねばならないのだ。

 柳田さんは米久さんとは別タイプの美人で目が二重で大きく、あひる唇で可愛い。髪は明るい色でショートカットにしている。性格は、気が強くてともかくキッチリしている。周囲の意見に流されることのない芯の強い女の子である。父親が海自の士官なのでその影響もあるのかなと僕は勝手に思っていた。

 さて、柳田さんも米久さんの言動について解決が必要と思っているらしく、僕のお伺いに反対しなかったので、僕は席二つ後ろの米久さんの隣に座って聞いた。
「なあ米久、俺のどこがキモチ悪いの?」
「全部」
「あっそ。でもさ、顔とか見かけは何度言われても変えられないから、せめて見ないか無視してくれないかなぁ。それ以外で気持ち悪いことがあるなら、卒業までになんとか直すように努力するから、教えてくれないか?」
「……」
 無言だったので、僕は質問を変えた。
「俺がキモチ悪いんだったらさ、小学校や中学校のころに言っても良かったんじゃないか? なんで高校に入ってからなの? 俺、なにか変わった?」
 米久さんは、少し首を横に振ると、なんと、自分の腕に額をあてて机にうっぷせてしまった。

 それを見ていたギャル系女子、佐藤さんが何か察したらしく、
「まさか米久、秋田のこと……」と、言いかける。僕はそんなのありえないと気にもしなかった。
「米久、イキナリ寝るなよ。どうしたんだよ」
 僕もバカである。米久さんの背中をさすって起きてもらおうとしたのだ。
 そのとき、米久さんがうつぶせたまま、顔をチラリと僕に向ける。
 なんと、泣いていた。
「おまえ、泣いてんの?」
「……」

 僕は米久さんの背中をじっと見ながら言った。
「おまえ、中学校のときの方が可愛かったのに。なんでそんなになったんだよ。今からでもいいから戻れよ。戻るまでは俺に”キモチ悪い”って言っていいから、他のヤツにあまり乱暴な口調はよせ」
 うつぶせた腕の中で、彼女はくぐもった声で呟く。
「秋田、キモチわるい……」
「おまえも不憫な性格になったな。俺も、もう少し早く理由聞いておくべきだったと思ってる。だからごめん。泣くな」
「ウソ泣きに決まってるじゃん」
 米久さんは顔を上げず、そう強がった。
「そうか。いつでも遠慮なく言っていいから」
 彼女の背中にそう言い残して、僕は自席に戻った。

 早速、次の休み時間。
「秋田キモチ悪いっ!」
「どこがキモチ悪いの?」
「全部」

 僕はもう、無視せず、ちゃんと言い返した。
「おまえは全部かわいい」
 米久さんは自分の頬を両手で押さえる。

 次の休み時間も。
「秋田キモチ悪い」
「おまえ、すごい甘えん坊だったんだな」
「うん」
「家でもそうなの?」
「そんなことない」
「そっか」

 次の日は座っている僕の背後から忍び寄って肩に両手をおき、身をかがめて耳元で言う。
「秋田ってキモチわるい」
「おまえはかわいい」
 微笑む米久さん。

 二、三日後、風紀委員会のメンバーと打ち合わせて自席に戻ると、隣の席で柳田さんと米久さんがなにやら口論していた。
「ねえ、柳田ぁ。秋田譲って」
「え~~~! 米久、ずーっと秋田にイジワルなこと言ってたじゃん」
「それでも。もう言わないから。それにあたし秋田と小学校から一緒だし。柳田より付き合い長いんだよ?」
「この前もダメって言ったはず。ダメったらダメっ!」

 察するに米久さんは何度か柳田さんに僕を譲渡?するように迫っていたようだった。

 しかし、卒業近くなってから失恋などの痛手を被りたくない柳田さんが譲るワケが無い。

 なお、僕が途中からいたにも関わらず、話し合いの中で僕の意見は一切聞かれることは無かった。男は女が選ぶもの。それは知っているが、このような会議で決めていたとはついぞ思いもよらなんだ。女の子同士ってみんなこうなのか、僕のクラスだけがこうなのか、それとも北国独特の土地柄により醸造された女性の知恵なのか、僕には今もって不明である(秋田家の一族郎党みんな東北の出身だが、僕だけは東京生まれで北国に引っ越してきたので、そこらへんの文化がよくわかっていない)。また、もし譲られたとしたら僕はどうなるのか、それもわからない。

 気がつくと、クラス全員が聞き耳を立てている。
 見るに見かねて、佐藤さんが口を挟んできた。佐藤さんはギャル系で頭が良くて押し出しが強く、それに世話好きでなかなかにイイ女なのだ。
「秋田がダレカレなく声かけるからいけないんじゃん」
「はぁ? 俺が悪いの? だって俺、一年間ずーっと気持ち悪いって言われたから、どうしてかな?って思って……」
「だからって気のある風に言うこと無いじゃない」
「……”気のある風”って? そんな軽いこと言うワケ無いじゃないか」
「あんたバカ? 米久のこと”かわいい”って言ってたじゃん」(ちなみに、実際は「なーはんかくせえんでねえの? 米久さめんこい言ったべさ」と言われた。登場人物の中で、僕と柳田さんだけが標準語で話している。いろいろフクザツなクラスなのだ)
「米久かわいいだろ? ちがうの?」
「いやそーゆー意味じゃないって!」(実際は「そったらだこといっでね!」世話焼きギャルの佐藤さんは根っからの地元民である)
 佐藤さんのイライラが増してきたとき、柳田さんがフォローを入れてくれた。
「ああ、秋田はこーゆーヤツよ」
 つまり、(当時の?)女子にとって『かわいい』と言われることと、『好き』と言われるのはほとんどイコールだが、そのときの僕はわかっていなかったのだ。

 以前、僕は2組の斉藤牧子さんが世界一可愛いとみんなの前で言い、後で柳田さんにチョコを投げつけられて尋問されたことがあり、なぜ怒られるのかわからず呆気に取られた僕が「可愛いと言ったけど好きとは言ってない。可愛いと好きは少し意味が違うよね?」と回答したのを憶えていてくれたのだった。

 佐藤さんはそれを聞いて少し考え、ニヤリとすると、僕に聞いた。
「じゃ、秋田は別に米久のことが好きでは無い、と?」
 思わず頷きそうになって、ギリギリで止めた。

 頷いたら、僕が米山さんをフる形になって、傷つくのは彼女の方である。
 佐藤さんも柳田さんもそれを期待しているかのように、無言で僕の返事を待っている。米久さんの暴言はみんな聞いているから、フられるのが当然だと思っているのだ。

 でも、僕にはそれが出来なかった。『この期に及んで』と付け加えてもいい。

 やはり彼女の涙を見たのが最大の原因だと思う。それで『悪いのは僕』だと、意識下にすり込まれていた。

 米久さんも僕の様子を見てそれとなく察したのか、瞳が潤んでくる。
 米久さんの涙が瞼の許容量を超える前に、決着させたかった。
「そういうのは、女の子から言ったほうがいいんじゃないか? 米久は女の子で、僕は男なんだし」

 柳田さんが、「それでもいいんじゃない?」という。

 米久さんが小さく頷いたのを見て、僕は深呼吸し覚悟完了。

 米久さんに向き直って言った。
「米久、ずばっと言っていいよ」
 米久さんはしばらく沈黙していたが、思い切ったように吐き出した。
「秋田キモチ悪いっ、あたしに話しかけるなっ!」

※※※

 授業が始まる。入ってきた教師が僕に言った。
「秋田どうした、何かあったのか?」
「なんでもない」
「いやだってお前、泣いてるじゃないか……」

 自分から要求したことであり、また恋でもなく、告白でもない。最後の涙は小学生の頃、この地域に移り住む途中の列車の中である。僕は強い。だから大丈夫だと思っていた。

 今後、彼女との関係性が少し良い方向に変化する。それが悲しかった。

 柳田さんが、僕の背中をポンポンとたたいて慰めてくれた。僕は情けない涙声で言う。
「どうだ柳田、ちゃんとフられたぞ」
「ん、よくやった」

 あるアホ男子が「先生~ 秋田、米久にフられたんです」と言っている。
「ええっ! 秋田、米久と付き合ってたの?」と教師が驚いていた。気持ちはわかる。
 僕と米久さんはほぼ同時に、

「そんなワケ無いじゃん」と言った。
「はあ???? じゃなんでフられたとか…… んーまあいいか。授業を始める。教科書の203ページから……」

 僕たちは、もう残り少なくなったページをめくる。

 こうして僕と米久さんは、最悪ともいえる不仲を一緒に乗り越えて『普通』になった。

 時折教室や廊下ですれ違うと、互いに笑顔を交わすだけ。もうキモチ悪いって言ってくれない。
 そういうわけで、当初僕が疑問に思って彼女に訊ねた、なぜ僕のことをキモチ悪いと言い始めたのか、その理由は結局わからずじまいとなった。


 確かなのは、その後彼女は、以前のかわいい米久に戻った、ということだけである。


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