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怪談・小泉八雲『耳なし芳一』~芳一の裏切り

小泉八雲の名著『怪談』に収録されている、『耳なし芳一』について考察してみました。
まずは、物語の概要から。
1.赤間関の阿弥陀寺に芳一という目の見えない琵琶法師がいた。
2.縁側で涼んでいたところ、武士が現れ、屋敷らしき場所に連れて行かれた。
3.屋敷には大勢がいる気配があり、そこで平家物語の壇ノ浦合戦の下りを語った。
4.これより六日間、演奏するよう頼まれ、またこのことは内密にするよう言われる。芳一は承諾。
5.次の日、出かけようとする芳一を寺男たちが尾行。安徳天皇の墓前で琵琶を演奏する芳一を発見し、和尚に伝えた。芳一は仕方なく、和尚に事の次第を自白した。
6.和尚は芳一が殺される、と言い、全身にお経を書く。そしてその夜は法事に出かけて行った。
7.武士が現れ、芳一の耳だけを発見。耳をちぎって持ち去った。
8.帰宅した和尚は芳一を発見。耳にお経を書き忘れたと言った。
9.その後、芳一は有名になり、金持ちになった。

物語の成り立ちは、『臥遊奇談』に収録されている『琵琶秘曲泣幽霊』から小泉八雲が手を加えたもの。

物語全体としてのイメージは、盲目の芳一を襲う、あまりにも理不尽で不幸な運命と、怨霊の執念深さに対する恐ろしさ、だと思いますが、初めて読んだときから、僕には気にかかることがありました。
それは、”和尚のミス”です。

ここでは、”耳にお経を書き忘れた”のはもちろんですが、その他のミスについて、それらを引き起こした遠因と考えられる、”芳一の裏切り”とともに考察しようと思います。

さて、項目1。芳一の立場ですが、阿弥陀寺に”住んでいる”(小泉八雲の原文:temple his home)となっていますが、『臥遊奇談』では”滞留”と明記されています。住んでいる、というより、長期宿泊しているイメージです。


当時の琵琶法師という職業は、大きく二つのグループがあり、ひとつは『八坂方』と呼ばれるグループで、こちらの琵琶法師は”城珍”や”城玄”というように『城○』という名乗りをします。
対して、『一方(いちかた)』のグループは”覚一”や”物語の主人公”芳一”というように『○一』という名乗りです。


つまり、芳一も一方に所属する琵琶法師として、売り上げの一部を一方グループに支払って演奏活動(ちなみに、琵琶では演奏ではなく”語り”と言います)をしています。すると、芳一は、演奏活動の報酬の中から支払っていたと思われます。
そして、芳一は阿弥陀寺に常駐(滞留)している。


つまり、和尚は芳一にギャラを支払っている可能性があります。
描写を読むと、和尚に琵琶を聞かせるのと引き換えに一室を与えられ、衣食住を提供されているとあります。すると、業務形態としては年季奉公であるとも考えられるので、和尚は芳一を長期的に一方グループから借り受けて、ギャラは直接一方グループに支払っている可能性もあります。
いずれにせよ、和尚は料金を払い、芳一を阿弥陀寺に置いています。すると、『怪談』にある”寺に住んでいる”よりも、元ネタ本である『臥遊奇談』の”滞留”のほうが正しい描写と考えられます。

芳一の立場についてまとめると、
『芳一は、和尚に琵琶を聞かせることを条件に、ギャラを貰って阿弥陀寺に滞留している一方の琵琶法師』となります。現代で言うと、ユーザーのオフィスにオンサイトして業務を行う派遣社員、のようなイメージです。ただし、支払いは、前受金を検収無しで一括払いです。現代の企業では契約にかなり無理がありますが、そのような支払いが可能な阿弥陀寺は、一方グループからすると、いわゆる”太い客”。地方アイドルを家に呼べるレベル……と表現すればわかりやすいかと思います。
そのような状態の芳一の立場はあまり強くない、ということに留意してください。

項目2、いよいよ平家の怨霊登場です。縁側で涼んでいた芳一は武士らしき者から呼ばれ、当初驚きますが、「恐れることはありません」と言われて安心します。武士は「高貴な人が近くに滞在しており、芳一の琵琶を聴きたがっている。案内するから来てくれ」と言います。

ここで重要なのは、芳一の感想。
原文では「imagine himself in good luck」つまり、「高貴な人? ラッキーかも!」という感じです。これは『臥遊奇談』でも同じで、「高貴な御方われを召し出さるこそ、道の冥加に叶いたると、自ら悦び……」
意外に思うかもしれませんが、怨霊に無理矢理連れられて……というイメージとは逆に、実は恐怖心も無く、『チャンスを掴んだ!』という将来の希望を見出しつつ、芳一は喜んで武士についていきます。

この部分、明らかに芳一の裏切りです。
前段で考察したように、芳一が年季奉公だとすれば、和尚は前払い料金を払って芳一を寺に置いている可能性が高いです。前払いですから、”支払い済み”であったと思われます。
しかし、芳一はさらなる収入が見込まれる”高貴な人”の誘いに乗ってウキウキで出かけてしまいます。つまりパトロンを変えよう(もしくは追加)としているのです。もちろん、和尚に無断で。和尚としては許されない行為でしょう。
これが、芳一の裏切り行為ですが、なんと言いますか、芳一に悪意は感じられません。世間知らずというか、天然というか、裏切り行為をシレッとやってるので、かえってタチが悪いです。例えるなら、仕事で大きなミスをしても「ボクなんかやりました?」と、目をパチクリさせている若手社員のような感じの、顔面ぶん殴りたくなるアレです。

項目3で怨霊たちの前で壇ノ浦の下りを演奏します。怨霊たちは感涙し、項目4で、この後六日間、演奏しに来て欲しいと言います。ここでも芳一はシレッと快く受諾します。

芳一が演奏したのは、『平家物語』巻の十一の後半からと思われます。嗚咽とすすり泣きの声が長い間続いた……とありますから『先帝身投』は確実に演奏したでしょう。
『平家物語』のこの部分は、ギャグも交えており、シリアスとのギャップで余計泣ける部分です。

ざっと内容を紹介すると……
平知盛が負けを察し、官女がいる舟にやってきて、自ら舟の内部を掃除しつつ、言います。
「舟を掃除して、汚いものは捨てましょう」
男、女性、子供問わず船の上で生活しているので、汚れていたのでしょう。そこで、敵が乗り込んでくる前に、知盛は平家一門の体裁を保つために掃除しよう、と言うのです。いやでも、合戦の最中なんですけど。
それに対し、女官が、聞き返します。
「戦はどのような状況ですか?」
「ハッハッハッ! もうすぐ、珍しい東国の男の顔が見れますよ」
知盛の答えに女官たちは「ちょっと! 冗談を言うにしても時と場合があるでしょう!」
と、非難轟々。

芳一は天然ですが、知盛はKYです。
その流れで二位の尼と八歳の安徳天皇の悲しい身投げのシーン、さらに知盛の奮戦と入水に繋がっていきます。

このように、『平家物語』は古典の堅苦しいイメージですが、ギャグも交えてあり結構面白いです。怨霊たちも次の日が待ち遠しくてワクワクしたことでしょう。
この時点で、すでに”怨霊”という怖ろしげなイメージはありませんが、『平家物語』成立時点でまだ”幽霊”という言葉が無く、『平家物語』内でも一貫して”怨霊”と記述されています。よって、ここでは怨念を感じなくても”怨霊”で通します。

つぎに項目5です。芳一の動向が寺の者にバレます。
芳一は和尚に呼び出され、優しい口調で訊問されるのですが、その中の和尚のセリフとして次のようなものがあります。
「外出すると言ってくれれば、下男を同行させたのに……」
盲目の芳一に対するいたわりの言葉ですが、少し違和感があります。その原因は後述します。


さて、怨霊との約束通り、口を割らない芳一に対し、和尚は一旦、訊問を諦めて下男に芳一を尾行するよう命じます。
そして、尾行の結果、下男たちの見たものは、鬼火が舞う安徳天皇の墓前で、壇ノ浦の下りを語る芳一でした。

次に、芳一の運命の転換点となる項目6です。
このあたりから、和尚の対応の”雑さ”が目立ってきます。
その”雑な部分”を順を追って書き出します。

和尚の発言内容の”厳しさ”、”怖さ”に反比例する、和尚の行動、対応の甘さのギャップに注目してお読みいただければと思います。

・和尚は、芳一に対し、「八つ裂きにされる」「遅かれ早かれ怨霊に殺される」などと言います。
→芳一が殺されるという根拠がわかりません。怨霊は芳一に対し「六日間演奏に来てください。その後、わたしたちは帰りの旅に出ます」と期限を切り、かつその後の行動を芳一に伝えています。芳一が生きているからこそ、琵琶が聴けるのであって、芳一を殺して死霊としてしまったら琵琶が聴けないのです。もし殺しても聴けるのなら、最初から殺しているはずなので、六日後に芳一を殺す怨霊側のメリットがありません。ですから、怨霊に芳一への殺意は無いと考えられます。

さらに、琵琶法師がなぜ、『平家物語』を語るかと言うと、元来は平家の怨霊の鎮魂のためです。だから”法師”が演奏しているわけです。
そしてまさしく、怨霊たちは芳一の琵琶に感動し、”六日後に帰る”と鎮魂を約束しています。
また、阿弥陀寺は安徳天皇および平家一門の鎮魂のため、建久二年(1191年)に後鳥羽天皇が御影堂を建立したと伝えられているので、元来、和尚の役割も芳一と同じく、”平家の怨霊の鎮魂”です。
不純な動機があったにせよ、本来の目的を達成しようとする芳一が「八つ裂きにされる」という和尚の発言の意図に怪しさを感じます。
過去、怨霊に八つ裂きにされた人物はいません。物語冒頭の描写によると、「浜辺に鬼火が飛び、合戦時の鬨の声が聞こえる」程度です。
このような状況で、和尚はなぜ、”芳一が八つ裂きにされる”などと考えたのでしょうか? 私たちの身近にこのような人がいたら、それはヤベー人です。

さてこの後、和尚の発言は怪しさを増していきます。

・和尚は「しかし別の仕事があるので、今夜は一緒にいられない」と言います。
→いやいや、この和尚、つい前日に「外出すると言ってくれれば、下男を同行させたのに……」と言ったばかりです。芳一への尾行の状況から、下男が複数人いたことは確実です。ちなみに、阿弥陀寺は裕福なお寺で、江戸時代には五十七石の石高がありました。
武士の最低俸禄が家族と家来一名含め、三十俵二人扶持という時代です。一石は三俵なので、十石です。その6倍弱の収入があったことになるので、下男が複数いたことにも納得感があります。
なのになぜ、この和尚、芳一が八つ裂きにされかねない状況で、下男、小僧など付き添わせることをしなかったのでしょうか。怪しいです。

・和尚は「身体中に経文を書けば助かる」と言い、般若心経を芳一の全身に書きますが、耳だけ書き忘れました。
→楽器は、慣れれば目を閉じても弾くことができますが、耳が聞こえなければ演奏は不可能です。
にも関わらず、よりによって、書き忘れた部位が”耳”であることに、和尚の不気味さを感じてしまいます。


このとき、芳一の身体に書いた経文は『般若心経』だと明記されています。これは『臥遊奇談』も同じ。
『般若心経』によって、芳一が透明になるのはなんとなく理解できます。
おそらくは、般若心経の有名な一節が『色即是空』なので、”形(色)があるものは、すなわち実態の無いもの(空)である”という内容を文章表現するときに、形(色)に執着のある者が見ると透明(実態が無いように見える)になるという、わかりやすい描写をしたのかなぁ、と思います。

和尚の雑な対応は続き、物語のクライマックス。項目7では予想通り悲惨な結果を生みます。
いつもどおり縁側で座る芳一。これも和尚の指示です。奥の部屋に入れる、もしくは本尊の祀られているお堂に入れる、別の場所に移すなど、もう少しどうにかできなかったのでしょうか?

ここまでくると、確実に和尚は芳一に対し、自分の手を汚さずに害を加えようとしている、と判断できます。
しかし、根が天然の芳一は疑問を持つことなく、素直に従います。
怨霊より和尚の方がコワイです。


そして使いの武士が芳一を迎えにやってきます。
「怨霊はなんて執念深いんだ」と、思いがちですがしかし、これは芳一と怨霊の約束通りの行動なので、怨霊に悪気はありません。平家物語を聴きたいだけです。

ところが、迎えに来た怨霊が見たものは、般若心経によって、耳だけの芳一がそこにいたのです。
怨霊は戸惑った挙句、仕方なしに、耳だけ持って立ち去っていきます。

これは描写を読むとわかりますが、武士の怨霊は、「出来る限り主君の仰せに従った証に、耳を持っていこう」と発言しており、芳一への殺意はありません。
武士はただの使者なので、目先の判断で行動します。ですから”耳を引きちぎる”ことは、怨霊の総意でなく、この武士の判断です。
おそらく、耳を持ち帰ったこの武士、「耳を取って聞こえなくなったら芳一は演奏できないじゃない! なんてことするの!」と、二位の尼の怨霊に叱られたことでしょう。この武士の怨霊、例のKYの平知盛じゃないかと疑っています。
天然とKYの組み合わせが不幸でもありました。

しかし、怨霊たちは二度と、芳一の元に来ることはありませんでした。おそらくは「耳を失った芳一は演奏不能となり、もう平家物語を聴くことができない」と認識したものと思われます。
もちろん、耳が無くても鼓膜があれば聞こえるので、ここでは、芳一は耳が聞こえず、演奏できないことを怨霊に告げる、わかりやすいメッセージ的な意味合いです。

これ、和尚なりの、怨霊の鎮魂だったのではないでしょうか?
つまり、
・耳に経文を書かなかったのは、故意である。
・芳一をいつもどおり縁側で待たせたのは、耳を怨霊に捧げるため。
・芳一に下男を付き添いさせなかったのは、芳一の耳を怨霊に捧げる際の障害となる可能性があるから。

しかしです。六日間芳一の琵琶を怨霊に聞かせれば、自然と怨霊は去ったと思われます。怨霊自身がそう言ってます。つまり、和尚は芳一をただ放置しておけばいい。
それをさせなかった理由は、一つ。

・芳一が、パトロンを変えようとしたことに対する、和尚の考えた”罰”ではないか?

とすると、芳一が怨霊との関係を和尚に告白した直後というタイミングで、和尚の対応が”雑”になったことが腑に落ちます。

仮に、六日間放置することによって、芳一が怨霊の鎮魂に成功したとします。
すると、パトロンを変えようとする芳一の行動を、和尚が容認したと受け取られてしまいます。

前述したように、和尚は一方(いちかた)の琵琶法師グループに芳一の年季奉公のギャラを前払いしている可能性が高いです。
当時の慣習として、年季奉公の途中、奉公人の判断で奉公先を変更するなど、不誠実極まりないと判断されるでしょう。また、相手が怨霊なので結果失敗であっても芳一がそのように考えるなぞ、和尚にとっては許しがたく、大いにプライドが傷ついたことでしょう。

そこで考えたのが、”芳一の耳を怨霊に捧げ、怨霊の心を癒すのではなく、諦めさせることによる鎮魂”だったのではないでしょうか。

続く項目8、9は、考察の主題からすればオマケのようなもの。
和尚が戻ると血まみれの芳一を発見、こんな言い訳をします。
「耳にお経を書くのは小僧に任せておいたのに……全てわたしの責任だ……」
はいはい、秘書が全部やりました的な現代日本でもよく聞く言い訳です。ちなみに、『臥遊奇談』のこの部分は和尚が一人で書いたことになっているので、小泉八雲か節子さんの創作が多分にあると思いますが、ちょっと不自然です。でもスルーで問題ないレベル。

そしてエンディング。
この話が広まり、高貴な身分の人が、芳一の琵琶を聴こうと各地から阿弥陀寺にやってきて、芳一はたいそうお金持ちになった。
と、ハッピーエンドで締めくくられています。
この部分にも違和感があります。琵琶法師は身分が低いため、求められて出かけてゆき演奏するものであって、高い身分の人が琵琶法師の住む拠点に聴きに来る、ということはありません。
それが可能ならば、そもそも平家の怨霊が芳一のいる場所に聴きに来ればいいことになり、物語は根幹から崩壊します。

聴衆を集めてコンサートという発想は、日本の時代背景、慣習を無視した、いかにも西洋的で、小泉八雲の創作だと理解できる部分ではあります。

耳に経文を書き忘れたことを小僧の責任にし、和尚をフォローしたり、不自然だけどハッピーエンドで終わらせたりと、小泉八雲ってイイ人だったんだなーと、物語を通して人柄がにじみ出ているように思います。

さて、まとめます。
・芳一の裏切り行為とは、パトロンを和尚から変更しようと、武士の誘いに乗り、喜んでついていったこと。
・和尚の3連発のミスと思われた部分は、全て未必の故意である。
 その目的は、平家の怨霊に芳一の耳を捧げることによる、鎮魂。
 もう一つの目的は、パトロンを変更しようとした芳一に対する、罰。

これで、和尚の不自然な行動と、その遠因となった芳一の裏切り行為の関係が考察できたかと思います。

※※※

正直、『臥遊奇談』よりも『怪談』の方がより現代の感覚に近く、シンプルに面白いです。
また、『怪談』は当時の日本を再現しているので、読み手の心を歴史的風景に誘う格好の読み物です。
さらに、この考察のように、当時の社会の仕組みや宗教、職業文化を肉付けすることによって、リアルな歴史を再現することが出来る、白地図にも変化します。

これが、時代から現代に至るまで読み継がれる、小泉八雲の遺産ではないかと思うのです。

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