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人生に役立つ哲学・その一

私はほんの子供のころから歴史好きで子供時代の愛読書は、平家物語や源平盛衰記であった。
同年齢の仲間とは話が合わず、もっぱら年長者との会話が多かった。歴史学者や歴史研究家になりたいと思っていたが現実は実業的な技術関係の職業についてしまい後悔はしたものの現実の生活のため悪戯に年を重ねた。

父親は生来の魚加工業者であったが取引先の倒産に会い自身もそのあおりで倒産した。
当然私の人生はその影響を受け貧しいばかりで、あまり明るくない青春時代を送った。
思うようにいかない人生、周りの環境に多くの影響を受けざるを得ない人の世の在り方に当然哲学的なものに興味が向かったが、しょせん興味だけでは達成できない人生の課題に何度も躓いた。
哲学は自然と人生に対して考究する学問である。

処が既存の哲学を学んでも、人は何のために生まれ、何のために生き、何処に行くのか等の本質的な課題に対して何らの回答を得る事が出来ない。

かえって複数な思考に終始して問題を混乱に導くばかりである。であるが、哲学的思考は人間にとって重要である。

何故なら人間は相対的存在であるから絶対的価値観を求めて止まないからである。
つまり、人間は絶対的ものを思考を通じ探究し続けて行かざるを得ない存在なのだ。

人生に役立つ哲学とは、裏返せば、「人はいかに生きるべきか」、その表裏として「正しい行いとはどういったものか」といったことにつきるのだろう。この学問としての範疇は、倫理学なのである。

倫理学とは世間的な道徳をそのままではなく、それに哲学的な反省を加え、原理原則を見出し生きるのが真に道徳的な生き方であるとする学問なのだろう。
言葉を換えれば、倫理学とは、人間はいかに生きるべきかを考え、人間らしく生きるためにはどのような生き方を選んだらよいかを探究する学であるともいえるのだ。

ソクラテスはこの倫理学の道を切り拓いた人物です。 ソクラテスは、哲学の歴史を語るうえで避けては通れない人物といっても過言ではありません。「無知の知」とは、古代ギリシャの哲学者であるソクラテスの、「知らないことを自覚する」という哲学の出発点に向かう姿勢を簡略して表現した言葉です。

ソクラテスは紀元前469年頃、ギリシアの首都アテネ(古語でアテナイ)で誕生します。
彫刻家(石材加工者とも)の父・ソフロニスコスと助産士の母・ファイナレテに育てられました。

ソクラテスが40歳になった時、ギリシアは主導権爭いで戦争が勃発します。
ソクラテスも兵士として従軍しました。
戦後のアテナイは新スパルタ派の30人の人物に支配されます。「三十人政権」と呼ばれていますが、彼らは恐怖政治を行います。

やがて三十人政権と民主政支持勢力との間で内戦が勃発した後、アテナイは民主政治へと回帰します。

ソクラテスはこの三十人政権とは距離を置いていましたがその指導者であったクリティアスがソクラテスの弟子であったことでアテナイ市民はソクラテスに不信感を持ったのです。

ソクラテスが70歳になった頃、「アテナイの国家が信じる神々とは異なる神々を崇め、若者を堕落させた」といった罪状で告発されてしまうのです。

ソクラテツ自身書き残したものはありませんが、弟子プラトンが残した『ソクラテスの弁明』によれば、ソクラテスは裁判の場で罪状を否認するも、陪審員たちを説得することはできませんでした。

そして、有罪となり、量刑が審査されます。
ソクラテスは何らの弁明もせず陪審員にも命乞いをしませんでした。
紆余曲折の末、最終的に死刑の判決が下されます。

牢獄に捕らえられたソクラテスは、友人であるクリトンによってアテナイからの逃亡を提案されるも、その提案を拒否し、最終的に彼は毒を飲み、死を迎えたのです。

その二へ


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