見出し画像

生命とは その4

私が生きるというのは、生存し続けることで生殖という目的論を達成することであるとしたら、そのことについて、何かに行動を導かれている、と言ってもいいだろう。
その何かとは、おそらく生物科学で唯一、普遍的な指針である「進化」が由来となっているのだろう。このような進化を促す力学的生体系の一つに熱力学的法則があるという。

このような考えの中から明確に浮かび上がってきたメッセージがひとつある。
もしも生物学的な目的論や媒介の裏に、ある種の物理的法則が横たわっているのならば、そこには基本的な物理学の中心に据えられた概念と同じものが存在するはずだ。それが「情報」だというのだ。

本来的宇宙エネルギーの一部は必然的に無駄な熱として拡散され、分子のランダムな運動の中で失われてしまう。この乱雑性は、エントロピーと呼ばれる熱力学的な量、または常に増加している無秩序の値と同等である。
これが、熱力学の第2法則だ。
最終的に、すべての宇宙の物質は均一になって、ごちゃ混ぜ状態となる。エントロピーが最大値をとる「熱的平衡」の状態では、再び意味のある事象が起こることはない。荒涼たる結末の世界である。

化学反応を起こす物質は、いずれそのエネルギーを消費し、面白味のない滞留と平衡に陥るのに対し、生体系は約35億年前の生命の起源以来、非平衡状態を続けてきた。
生物はこれを維持するために、周囲からエネルギーを集める行為を“意図的に”行ってきたからである。
単純な細菌でさえ、熱源や栄養源に向かうという“目的”を持って、動いている。物理学者エルヴィン・シュレーディンガーは、1944年に刊行された著作「生命とは何か?」において、生物とは「負のエントロピー」を食べるものだ、と主張した。負のエントロピーを得るための一連の工程を可能にするのは、情報の取得と保存によってである。
情報のいくつかは遺伝子に刻み込まれ、次世代へと伝えられる。

もしバクテリアが食べ物のありかに向かって左右のどちらに泳ぐかを決めるのなら、それはデタラメに泳ぎ回ってたまたま食物にありつく個体よりも、上手く環境に適応していて、より繁栄するといえるだろう。生物のあり方と環境の相互関係は、それらが共通の情報を共有していることを意味している。(ウェブ記事から)

ウォルパートとコルチンスキーは、生物が熱平衡を免れられるのは、この“情報”のおかげだと言う。
このような見方をすると、生命とは「有益な情報の記憶と使用」を最適化する、演算装置とみなすことができるし、生命はその道に長けているのだと結論づけられる。
これらの導きから生物とは、熱平衡を回避するため環境に適応し、情報を使ってエネルギーを収穫する存在とみなすことができる。

生物的システムが、環境から何らかのシグナルに反応して状態を変えることは、生命の大きな特徴とも呼べるもので、何かが起こり、それに反応する。植物は光に向かって成長し、また、それらは病原体に反応して毒素を生成する。これらの環境的シグナルはたいてい予測不可能だが、生体系は経験から学び、環境に関する情報を保存し、将来的な行動のために適用する。

スティルたちは、将来を予測するにかけて価値のない過去の情報は、保存しておくのに熱力学的なコストがかかることを示した。このようなコストのことをエントロピーの増大というのだろう。
効率を最大化するなら、システムを選択的にする必要がある。過去のすべてを無差別に覚えておくことは、大きなエネルギーコストがかかるのだ。
逆に、まったく環境の情報保存に無頓着であれば、予期せぬ事態の対処にいちいち苦労することになるだろう。

私という生物のエネルギー供給量は限られているため、時間の経過と共に誤差が蓄積される。生物はこれらのエラーを修復するため、ますます多くのエネルギーを費やさねばならない。その再生プロセスにより、最終的に正しく機能するには欠陥のありすぎるコピーが生成される。これに続くのが「死」なのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?