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競馬小説の、競馬を知らない読者さん

   
 女性ジョッキーを主人公にした小説をネットで書いていて、今、ひとつのヤマ場に入っている。クラシック3冠の3冠目だ。
 

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(小説家になろう)


(カクヨム)
 
 
 読んでいただいている方々には、とても感謝している。感謝とは別にひとつ思うのは、この読者のなかに競馬をしない人がどれくらいいるのだろうという点だ。とても、というほどではないけれど、気になっている。
 
 
 
 スポーツや芸事、あるいは囲碁将棋やギャンブルなど勝負事を題材にした小説で、あとがきや宣伝文などによく書かれているのが、「この小説は○○を知らない人が読んでも面白い」というような言葉。○○には、その小説が題材に取っているものが入る。
 
 でも、ぼくはそうは思わない。たとえば、阿佐田哲也の『麻雀放浪記』は、麻雀好きの人でないとなかなか面白く感じにくいと思う。
 『麻雀放浪記』には、麻雀というゲームの持つ魅力だけでなく、麻雀をやる人間が持つ心理や、その時代(終戦時)に麻雀がどういう扱われ方だったのかというある種の時代背景まで、うまく盛り込まれている。だからやはり、麻雀にある程度興味くらいないと、面白さが半減、いや激減してしまうと思う。
 
 逆に考えれば、激減させるくらいでないと、面白い小説とはならないかもしれない。スポーツなり芸事なり、それの持つ独特の世界観と魅力がある。他のものにはない、独自の特色が。野球にはサッカーが持たない特色があり、その逆もそうだ。いい小説、売れている小説は、その特色をうまく盛り込んでいるはずだ。麻雀放浪記のように。だから門外漢が読んでもさほど面白みが伝わらないのは、むしろ当然と言える。
 
 だからぼくの競馬小説は、競馬ファンよりも競馬の知らない人の方がつまらなく感じるはずだ。分け隔てなく面白く読めるとしたら、ぼくは小説の中に競馬ファンが抱えている競馬独自の魅力を織り込ませられていないということだ。もっとも、だからといって競馬を知らない人を排除しているわけではない。読んでいただければ、とてもうれしい。それでやはり小説に書くくらいだからぼくも競馬ファンの一人なので、読んだ人が競馬ファンになってくれれば、いやそこまでいかなくても、ファンに一歩でも近づいてくれれば、さらにうれしい。
 
 ぼくの書いたものを読んで、小説が扱う題材に興味を持ってもらう。それを願いの一つとして書いている。競馬だけではなく、歴史や、将棋や、チョコレートなども。

いただいたサポートは、今後書く小説の取材費や資料購入に充てたいと思います。もちろん、それだけ、というわけにはなかなかいきませんが……^_^;