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僕の少年時代が否定されている

僕が子供の頃、小学校でも中学校でも生徒は悪いことをすれば先生に注意され、お叱りを受けるのが当たり前でした。
ある時はビンタ(頬を平手打ち)され、
他のある時は廊下に立たされ、
教室の隅っこや廊下で正座させられたり、
正座する膝の後ろにモップの柄を挟んで随分痛い思いをしたこともありました。

生徒は誰も望んでいたわけではないんだけれど、世の中ではこんな事は普通のこ事として受け止められていたのは確かです。
だから家に帰って親にそのことを話すと、
「そんな悪いことををしやがって!」と、
今度は親からも叱られてビンタされる羽目になったりします。
そんな感じなので、現代のように先生が生徒をビンタして社会問題になるなんてことは皆無でした。
きっと今の時代ならすぐに教育委員会で問題にされ、テレビや新聞で報道されかねない事件なのかもしれないんですけどね・・・。

僕が中学校を卒業してから48年が経ったので、大雑把には半世紀もの昔に小学生や中学生だった人達、
その中の誰一人として、先生から暴力を受けたとか虐待されたとか体罰を受けたなんて思っている人はいないのではないでしょうか?
むしろ、先生が生徒を思う気持ちの表れだと、良い思い出だと思っているんじゃないかなと思います。
少なくとも僕はそうです。
先生に暴力を受けたなんて少しも思ってないし、むしろ本気で叱ってくれたことを感謝しています。

最近はテレビを観ていると、評論家や解説者達は口を揃えて、
「どんな理由があっても暴力は絶対に許されない」
「体罰は決して認められない」
なんてことを堂々と語るのだけれど、僕にしてみれば、
「あなた達がいう暴力や体罰のおかげがあってこそ、今こうして一人の社会人として幸せに暮らせているんだよ。」
と言いたくなるのです。
僕らが先生からされたこと、親から殴られたこと、あれは暴力でも体罰でもなくて愛の鞭だったからなんです。
でもね、今の時代の人達はなんでもかんでも「暴力」の一言でくくってしまうし、
「体罰」という一言で片づけてしまうでしょ?
愛の鞭と体罰や暴力を一緒にしないで欲しいと思うし、
そうでないと僕の世代が過ごした小学校中学校の時代の生徒と先生の関係を全否定されるような気がするんです。

確かに、虫の居所が悪いとか、イライラがあるからと言って子供を殴ったりするような暴力は絶対にいけないと思います。
意味もなく虐めるとか、自分の欲求を満たすために子供を苦しめるとか、
そんなのは言語道断なのは当然です。
でも、本当に真剣に子供のことを思うからこそ本気で叱る、本気で叱るからこそ手が出てしまうことだってきっとあるんです。
真剣に叱るからこそ子供だって「これは本当にいけないことなんだ」ってことを学ぶんじゃないでしょうか?
もしもそこで、優しく「これはだめですよ」なんて言われてそれでおしまいにされてしまったら、
自分がしたことの重さも反省も学びもないまま、簡単に許されることだって思ってしまいませんか?
だから愛の鞭が必要なことだってあるはずなんです。
僕の世代の人達はそうやって育てられ、そのおかげで立派に今の世の中を生きています。

十把一絡げになんでも暴力だと言って否定するのではなく、本気で叱ることの意味をもう一度考えて欲しいと思います。
僕だって、子供の頃に受けた愛情を否定されるのはとっても違和感があります。
僕らの世代は間違った教育をされていたと言われているような、
当時の大人と子供の関係が全否定されているような気がしてならないのです。

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