教育は何のため?子育ての目的は?
僕は学童野球で指導者という立場です。
直接子供たちに野球についての指導もしますが、審判をされるお父さん達の審判指導もします。
もちろん、自分でも審判をします。
ボランティアですし休みをオートバイに使いたいということもあるので、
毎週必ずではありませんができるだけ参加するようにしています。
高校生の野球でも公式戦には年齢的なものもあって参加できませんが、
練習試合では審判として参加したりもしています。
そんな中、子供達からもお父さん達からも、休憩時間や試合の後などに色々と現代の学校教育の様子を耳にする機会も多いのですが、中には
『そんなのあり得ないだろ』と思えるような現実も少なからずあることを知ったりもするのです。
決して現代の教育を批判しようというのではありません。
今現在子育てをしているお父さんお母さん、教育関係者の方々にも今一度
考えてもらうきっかけになれば良いな・・・と思う事があるのです。
考えてみて欲しいこと
・何のための教育なのか?
・子育ての目的は何か?
この2つです。
時々考え違いをしてしまいがちなことではありますが、
・子供たちが傷付かないように
・子供たちが悩むことのないように
・子供たちが苦労をしないように
・子供たちに危険が及ばないように
そんな風にしようとしているように思えます。
小学校から高校までを、
無難に
安全に
心が痛まないように
快適に過ごせるように
不安にならないように
過ごさせる、これが目的であるかのように育てているように僕には思えます。
これらの事を決して間違いだとは言いません。
でもこれって子育ての、或いは教育の目的ではないですよね?
時々世の中全体が、これらのことを目的であるかのように考えているんじゃないだろうかと思えて仕方がないのです。
・運動会では勝ち負けや順位を付けない
今の小学校ではそうらしいです。
・先生が生徒を呼ぶ時には苗字の後に「さん」を付けて呼ぶ
「ちゃん」とか「くん」とか生徒によって呼び方が違うのを防いで性差別と思われないようにするのだそうです。
これらのことは沢山ある中のほんの一例ですが、子供達が不公平感を持った性的な差別につながる要因を取り除いたり、傷ついたりショックを受けたりすることを避けるためなのだそうですが・・・
子育ての目的ってなんだ?
子育てや教育の最終的な目標、目的って何でしょうか?
子供を傷つけずに生活させる事?
子供が何の負担も苦労もなく楽に生きること?
僕は違うと思います。
子供の間にありとあらゆる経験を積んで、精神的にも肉体的にも一人で立派に歩いていける大人に育てることが目的なはずです。
だとすると、運動会で順位を付けないとか、勝ち負けを決めないとか、
子供たちをお客様のように 「〇〇さん」 と呼ぶこと、
喧嘩することさえさせない、
喧嘩もしないから仲直りの方法も知らない、
我慢した経験がないから我慢することも知らない
こういうことを繰り返した子供が、10年、15年経った時に、本当に立派に独り立ちできる大人になっているでしょうか?
僕はNoと言いたいです。
何かの歌にありましたけど、「幸せを 自分の腕でつかむよう」
なのだと思うのです。
誰も幸せを与えてくれるわけではありません。
大人になると、誰も助けてはくれません。
だから自分で考えて、自分で工夫して、自分で努力をして、
そうしていかないと何も掴むことはできません。
ここまで言うと言い過ぎかもしれませんが、
子供のうちに痛い思いをして、悩みを抱えて、
そういう試練をいくつも乗り越て、
自分の能力を磨いて大人になる。
そうやって自分の腕で幸せをつかめるようにするのが子供を育てる目的です。
子供の間になんの不自由もなく楽に暮らせることが目的ではありません。
大人が奪っているもの
子供が将来、一人で立派にやっていけるようにするために、
何をどうすれば良いのか、子供一人一人を取り巻く環境も家族や家の環境、親の考え方、何もかもが違うので〇〇をすれば良いと、単純には言えません。
ただ、子供が成長するチャンスを大人が潰してしまうようなことだけはしてはいけないと思います。
子供が喧嘩をしたら、それを大人がやめさせるのではなく、
ある程度当人同士が納得するまで話し合いをさせればいい。
大人のお節介で仲直りを強要されてしまっては、
子供同士が話し合うチャンスを奪ってしまいます。
忘れ物がないようにカバンの中身ひとつひとつを親がチェックしてあげる?
子供が自分で考え、自分でチェックするチャンスを奪っていますよね?
運動会、一番の子もビリに子も、みんなよく頑張りましたねと褒めてもらえる。
競争をすることも、負ける悔しさ、どうやったら勝てるのかを考えるチャンス、努力するチャンスを大人が奪っていませんか?
親でさえも叱らないのに、何故他人が我が子を叱るのか?
そうやって、子供が叱ってもらえるチャンスまで奪うのですか?
今、目の前で子供がハッピーになることではなく、
大人になったその子自身がハッピーでいられる、それが目標です。
今困ってもいいのです
今悩んでもいいのです
今痛い思いをしていいのです
その先にある成長した子供の姿を見据えて、子供から成長するチャンス、学ぶチャンスを、どうか奪わないであげて欲しい。
本当の目的がどこにあるのかを、もう一度考えて欲しいです。