妄想その10

 突然の来訪。
 親しき間柄だとしても困る事象。
 ましてやお隣さん程度の間柄なら尚更だ。

「とりあえず私が対応するね」
「ごめん…」

 私は駆け足で玄関に向かい、扉を開ける…少しだけ。
 これは「あなたを迎え入れるつもりはないのよ」という意志表示だ。
 でも表情はあくまでも普通を装って。
 私の表情筋よ、頑張れ!!

「はぁ~い、どうされました?」
「ごめんなさいね、向田さん」
「いえいえ…」
「………」
「えっと…その…」
「…今朝の件、どうなったかなぁって」

 ぎょえ~!!もう結果を言わなきゃいけないの?
 ちょっと早すぎるんじゃない?

「えっと…まだ帰って来たばかりで、まだ彼に話してなくて」
「そうだったんですか…」
「ごめんなさい、明日までには話しておくので。それじゃあ——」
「——私も加わって、今一緒に話してみたらどうかしら?」
「えっ?」

 私の作った表情は崩れた。
 物語の急展開の前には無力だ。

「申し訳ないんですが、部屋も散らかっていますし、まだご飯を食べている最中なので…」

 私は佐々木さんを家に上げるつもりは毛頭なかった。

「…じゃあ私の部屋はどうかしら?」
「えっ?」

 また私の目が大きく見開く。
 明日は目の周りの筋肉が筋肉痛になって動かないかもしれない。

「え~と…その…」
「ごめんなさい…迷惑よね…」
「いや…そんなわけじゃあ…」

 弱々しそうな表情をする佐々木さん。
 私が佐々木さんに抱くデキる女のイメージとは正反対な姿。
 朝から驚かされっぱなしだ。

「…じゃあ分かりました。20分後…彼と一緒に佐々木さんの部屋へお伺いします。それでいいですか?」
「はい!!」

 そのときの潤んだ瞳はとてもキラキラしていてまるで少女のような顔だった。
 オーバーリアクション!!

 オーバーリアクションにやられ、げっそりとした私は扉を閉め、彼の元へ戻る。

「20分後…行くの?」

 どうやらインターホン越しに話を聞いていたようだ。

「ごめん…そうなった」
「はぁ…20分後か…緊張するな」

 彼は大きくため息をつく。
 私たちは少し冷めてしまった夕飯を急いで口の中へ入れるように努めたが、全然中へ入らなかった。
 2人とも残してしまった。

 軽く歯を磨き、まだ10分も経ってないが、「もう行こっか」という彼の言葉に従い、佐々木さんの部屋に突入することになった。
 話は合わせていないが、2人の中で答えはもう決まっている。
 佐々木さんの妄想劇への参加は「NO」だ。

「ピンポーン!!」

 私は佐々木さんの部屋のインターホンを鳴らす。

「はぁーい」

 さわやかな言葉と共に佐々木さんは扉を開け、嬉しそうな顔をして受け入れてくれた。
 その笑顔に釣られて私も笑顔で対応し、私たちは部屋に上がらせてもらった。

 佐々木さんの部屋は非常にシンプルだった。
 同じ間取りの部屋なのに、私たちの部屋よりずっと広く感じる。
 それは多分、必要な物しか置かれていないからだろう。
 この部屋を見る限り、彼女がどんなものが好きで何の趣味があるのかちっとも分からなかった。
 シンプル…言い換えるならそれは「殺風景」だった。

 私たちは椅子に座り、冷たい麦茶を出してもらった。
 冷静なのか、麦茶の味がしっかりと分かった。
 佐々木さんも対面の椅子に座る。
 部屋に訪れていきなり本題を切り出すのは無粋なので、まずは無難に行こう。

「きれいにしてらっしゃるんですねぇ、私たちの部屋とは大違い…ねぇ、ヒロくん?」
「う、うん…」

 あぁ、彼は明らかに緊張していた。
 ここは私がなんとかせねば。

「ありがとう…でも何も物がないだけよ。寂しい部屋よ」
「そ、そんなことないですよ」

 私は今一度表情筋に頑張ってもらった。
 精一杯の作り笑顔をした。

「………」
「………」

 会話が思うように続かない。
 いつもはすらすらと他愛のない話題が思い浮かんで来るのに。

「あのぅ…」

 彼がしびれを切らしたように、でも緊張した面持ちで話を始めた。

「ボクたちの妄想劇…いつから知っていたんですか?」
「…妄想劇って言うんですか?」
「————!!」

 思わず口に手を当てている彼。
 これほどまできれいに墓穴を掘る人間、なかなかいない。

「それに気づいたのは先週の土曜日です。ベランダで2人がやり取りしていたのをちょうど聞いて」

 私は彼の顔をじろりと見る。
 そして彼は目を反らす。

「でも、2人のことは前々から気になってたんです。仲が良いなぁって。笑い声が部屋まで聞こえてきたり、外で見かけた時もお互い笑顔で。まぁたまに向田さんが怒っているときもありますけどね」

 なんだか聞いていて恥ずかしくなってきた。

「2人を見ていると、なんだかこっちまで楽しくなってくるんです。もちろんうらやましいという気持ちもありますけどね」

 意外だった。
 そんな風に思われていただなんて。

「それに比べて…私なんて…」

 ん?

「私なんて…何にもなくって…」

 あれ?急に雲行きが怪しくなってきたぞ。

「向田さん、私の部屋を見て「きれいにしてますね」って言ったけど、本当は殺風景な部屋だって思ったんでしょ?無趣味な女だって思ったんでしょ?」

 私はまた目を大きく見開いてしまった。
 今日は朝から何回驚いているんだ。

「でも…その通りなの。私ってプライベートがないのよ」

 突然の告白に驚く私。
 私の横では彼がオロオロとしている。

「向田さんって私に対してどんなイメージだった?」
「…デキる女ってイメージがありました」
「でも今は?どんな感じ?」

 佐々木さんの表情は「正直に言って」と訴えかけるようにまっすぐ私を見つめていた。
 これはごまかしじゃ効かないと思った。
 だから正直に答えることにした。

「情緒不安定というか…寂しさを抱えた女性という感じがします」
「そうなの…私寂しい女性なの。仕事だけの女なの。他に何もない女なの」

 クールでさわやかでいつも余裕がある。
 順風満帆な人生を送っていると思った年上の女性は、自分の寂しいという内面が漏れないよう必死に隠して生きている悩める女性だった。

「無理を承知でお願いします。あなたたちの妄想劇に私も一緒に参加させてもらえないでしょうか?」

「NO!!」…と言いたかったのに。
 なんだか言えない雰囲気になってきた。
 言っちゃダメな気がしてきた。

「こんなこと言ってあなたたちの邪魔になっているのは分かってる。でも、決してあなたたちの幸せを壊そうとは思ってないの。ただ、ちょっとだけでいいから、あなたたちの輪の中へ入れて欲しいの」

 普段はデキる女の佐々木さん。
 そして今、自分の内面をさらけ出す佐々木さん。
 両方とも彼女の本来の姿なのだろう。
 ただ、彼女は自分の内面をさらけ出せる相手も機会もないのだ。
 余裕がなく、目まぐるしく変化していく社会の中では…

 知らずの内に増えていく名刺。
 名刺の名前を見ても顔が思い浮かばない人が半分近くいる。
 学生時代よりも世界は明らかに広がったのに、なぜか狭くなってしまった交友関係。
 そんなつもりはないのに、希薄な人間関係ばかりができあがる。
 そんなつもりはないのにと言いながら、それに落ち着いている自分がいる。

 プライベートを大事にしよう。
 パーソナルスペースを確保せよ。
 我慢していた個人の主張があちらこちらで火を吹いている。

 そんな主張をしているのにも関わらず、SNSでは今日も繋がりを求めて名前も姿も知らない誰かに自分の思いを吐露する。
 この気持ちを共感したい!!
 誰かに分かってもらいたい!!
 矛盾した世界の中で私たちは生きている。

 佐々木さんもそんな社会の荒波の中を今日まで必死に生きてきたのだろう。
 自分をさらけ出すことが時には弱みとなってしまうから。
 自分を取り繕って生き抜いてきたのだ。

 そんな荒波の中で、佐々木さんは一隻の小舟を見つけた。
 お隣さんという私たちを。
 彼女は今、手を伸ばしている。
 繋がりを求めているのだ。

「ハナちゃん…」
 彼は私を見て、頷いた。
 そして私も同じように頷き返した。

「佐々木さん、私たちと一緒に妄想劇やってみますか?」

 私を見る佐々木さんは、目をうるうるさせて、今にも涙がこぼれ落ちそうだった。

「はい…ありがとうございます」

 こうして203号室のお隣の佐々木さんが妄想劇に加わることとなった。

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