妄想その14

「えー!!田中氏そんなこと言ったの?」

 彼にひざ枕をしてもらいながら、私は今日あった出来事を話した。
 田中君がショッピングモールで私たちを見かけたこと。
 そして「ひざ枕ポンポン券」のことを内緒にしておくために食事に誘ってきたことを。

 彼は腕を組んで唸っている。
 当然の反応だ。
 しかし私の顔を見たときは案外ケロっとしていた。

「ま、でもちょっと安心したよ」
「えっ?どういうこと?」
「田中氏がその程度の男だってこと。ハナちゃんはそんなゲスい男に気持ちが傾くことがないってことさ」
「確かに田中氏にものすごく嫌悪感を抱いたわ」

 普通笑顔を向けられると、向けられた方もその笑顔につられて笑顔になる。
 まるでハンムラビ法典のように。
 でも食事に誘ったときの田中君のさわやかな笑顔を見て、私はその笑顔が心底気持ち悪いと思った。

「それにしても寝取られまがいなことをしてくるとはねぇ~」
「ん?寝取られ?」
「いやぁ、あるんだよ。エッチな作品で。弱い立場に付け込んでゲスい男が女にエッチなことするんだよ。最初は嫌々だったのに女が次第に感じちゃって、溺れて行っちゃうんだよ。それで最終的には彼氏をフッてそのゲスい男と結びついちゃう。それが寝取られ」
「何それ気持ち悪い。そんなことあるわけないじゃん!!」
「まぁそういう設定の作品だからね。現実はありえないよ」
「でも田中氏はそのありえないことに近いことをしようとしたのよね?」
「あはは、さすがに一緒にするのはちょっとかわいそうだけど…」

 田中君は私が誘いに乗ったとして、それで私を落とせると思ったのだろうか?
 あのさわやかさでどうにかなると思ったのだろうか?
 とんだ勘違い野郎だし、安く見られたものだ。

「人が人を好きになるのは止められないし、男が女を口説くのに誰かに許可を取る必要なんてない。でもまぁ…ゲスいな」
「そんなゲスい男と明日からも一緒に仕事しなきゃいけないんだよなぁ」
「ご愁傷様です」
「あ~顔も見たくない!!」
「この際もう止めを刺しちゃったら?」
「…ん?」


 ―翌日—

 私が出社すると、待ち構えていたように田中君がいた。

「向田さん、昨日は——」
「——ちょうど良かった。私も田中君に話したいことがあるの」
「えっ?」
「昼、空けておいて」


 昼休憩に入り、私は田中君を誘って外に出た。
 田中君を気遣うことはせず、自分本位の早歩きをする。
 田中君はそれに必死でついてきて、何かしゃべりかけて来たが、私はこれを全て無視した。

 私は目的地のコンビニについた。
 自動ドアを開けようとボタンを押そうとしたが、私よりも早く田中君が自動ドアのボタンを押した。
 きっと気遣ったのだろう。

「…ありがと」
「いえ…」

 私は店内に入るや否やレジに向かい焼き鳥を2本購入した。
 そしてすぐに店を出た。
 外で袋から焼き鳥を取り出し、そのうちの1本を田中君へ渡す。

「はい、これ食べて」
「はい…いただきます」

 私はその焼き鳥をすばやく口へ放り込みあっという間に食べ終えた。
 田中君も私が言われるがまま、その焼き鳥を食べた。
 ぎこちなさそうに食べていた。

「これでいいのよね?あなたと食事したんだから、ひざ枕ポンポン券のこと黙っていてくれるんだよね?」

 田中君は一瞬ハッとした表情をしたが、すぐに頷いた。

「そっ…ならもういいわ——」
「すみませんでした!!」

 田中君は思いっきり私に頭を下げていた。
 それを見ていた他のお客さんたちはちょっとびっくりしていた。
 もちろん私も。
  
「………」

 私は大きく息を吐いた。

「田中君は私のこと好きなの?」

 頭を上げたばかりのせいか、それとも私に対し気後れしているからなのか、田中君は前傾姿勢になっていた。
 でも大きく目を見開いたのがはっきりと分かった。
 その目の大きさが通常に戻ると同時に小さく「はい」とだけ答えた。

「申し訳ないけどその気持ちには応えられない。私には彼氏がいます。それに私はあなたのことが好きじゃない」
「…はい」

 その返事には「諦め」という感情が込められていたのがよく分かった。
 でも私はさらに田中君を責めた。
 だって言いたいことがたくさんあったから。

「私は根に持つタイプなの。だからさっき謝ってくれたけど、私は簡単にあなたのことを許せない」
「…すみません」
「…ショックだった」
「えっ?」
「仕事に真面目で一生懸命な田中君を知っていたから…」

 私は田中君が新入社員だったときの教育係だった。
 いつも一緒だった。
 だから頑張っていたのをよく知っている。
 それ故に今回の出来事は、私の知っている田中君とは大きな差異が生じていて悲しかった。
 そんな田中くんは今、苦悶に満ちた表情をしていた。
 これが本来の田中君かどうかは知らないが、私の知っている田中君だ。

「田中君…顔を上げて。こっちを見て」
「はい…」
「私とあなたは会社の同僚。それ以上でもそれ以下でもない。ただ、会社の同僚としてこれからも田中君を頼りにしてます。一緒に頑張って行きましょう」

 私は無表情で、淡々と言うつもりだった。
 でも感情を込めて言ってしまった。
 これはきっと反省している田中君を見ているからだろう。

「…ありがとうございます」

 彼はもう一度私に深く頭を下げた。

「それじゃあ私はもう行くから」

 こうして私は田中君と決着をつけた。


 ―その日の夜—

「とまぁこんな感じで決着をつけました」
「お疲れちゃんでした」

 彼は私を膝の上に乗せ、優しく頭を撫でてくれた。

「田中氏のこと許せないって言ったけど、今日の反省している姿を見たらもうそれほど憎んでないかな~」
「………」
「ん?どうしたの?」
「一応、彼氏として…心配だから一言だけいい?すごく無粋なこと言うけど。優しいハナちゃんに釘を刺しておきたくて…」
「ど、どうぞ」
「下げてからの上げ…若干攻略されています。お気をつけください」
「無粋ですな…でもありがとう」

 彼はいつもの彼だった。

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