妄想その5

 ―午後3時—

「ジュース、ジュース、3時のジュースぅ~」

 疲れた体に休息を。
 疲れた心に安らぎを。
 そして疲れた脳には糖分を。
 私は栄養の摂取と息抜きも兼ねてジュースを買いにきた。

「今日はオレンジジュース、君に決めた!!」

 口には出さないけど、頭の中でそんなことを言っていた。

「あっ、小銭がない…」

 仕方がないので、千円札を出してジュースを買う。
 よし、これ飲んで残りの時間も頑張ろう!!

「あっ、田中君も飲み物買いに来たの?お疲れ様」
「あっ向田さん、お疲れ様です」

 ―田中視点—

 今日もきれいだなぁ、向田さん。

「えっと…俺は何にしようかな?コーヒーでいいか…」
「——ガチャン」
「ん?何だこれ?…ひざ枕ポンポン券?」

 誰が落としたんだろう?
 ん?ボクの前にこの自販機に居たのって…向田さんだよな?
 じゃあこれって…

 ―ハナ帰宅—

「たっだいま~!!」
「おかえり~」
「今日すごく暑いよねぇ。もう帰ってくるだけで汗だらけになっちゃった。ねぇ、悪いけど先にお風呂入ってもいい?」
「うん、大丈夫だよ。それにまだご飯できあがるにはもうちょっとかかりそうだから寧ろありがたい」
「じゃあ先にお風呂いただくねぇ~」

 ―お風呂&夕食後―

「ごちそうさま~。今日もおいしかったです」
「ごちそうさま~」
「さぁ、今日の台本は?」
「はい、どうぞ。お願いします」

 今日は月末の金曜日。
 私は妄想劇の後、ひざ枕ぽんぽん券を使うつもりだった。
 なぜなら日付が変われば新しい月だから、またひざ枕ポンポン券がもらえるのだから。

「今日は力作だよ!!」
「そうですか、力作ですか…」

 力作。
 彼がそう言うと、私は決まって面倒くさい目に遭う。
 恐る恐る私は台本を開く。

「うっ…」

 タイトルを見ただけですぐに察した。
 今日のはめんどくせぇー!!

 彼が生み出した力作
 そのタイトルの名は「くっ殺」。
 設定は誇り高き女騎士が敵国兵士に捕まり、拷問を受けそうになる場面と書いてある。

「さぁ、始めようか!!」

 心なしか、彼の笑顔がいつもの2割増しに感じた。
 白い歯がまぶしい。

「じゃあまずは鎧を着ようか」
「————!!」

 さらっと意味の分からないことを言う。
 彼はニコニコしながらクローゼットからお手製の鎧を持ってきた。

「鎧ですか…」

 彼が言う鎧はダンボールだった。
 多分スーパーにある「ご自由に」から持ち帰って来たのだろう。
 それにしてもいつの間に作ったのだ?

 私に拒否権は無く、言われるがままに彼が鎧と称するダンボールを身に纏う。
 肩当て、胸当て、後は足元。
 ちなみに胸当ては私の大好きなスナック菓子のキャラが印字されていた。
 少しだけ親近感が持てた。
 ちなみに盾や剣も用意されていた。
 クオリティはクソ低いのにそういう所はきっちりしている。

「うん、いいね!!似合う似合う」

 彼はご満悦な様子。
 そして鼻息も荒くなっていた。
 こんなジャージの上にダンボールを身に纏った私のどこに興奮するのだろう?
 それに騎士というか、ロボットと言った方が的確だ。

「あの…ヒロくん。ひざが曲がらないんだけど…」
「大丈夫!!そんなに戦闘シーンはないから!!」
「………」

 私の頭が悪いのだろうか?
 何が大丈夫なのかちっともよく分からなかった。

 さぁ、今日も妄想劇が始まる。

 私たちは適当に剣を交える。
 これは女騎士と敵国兵士の死闘シーンを再現している。
 死闘でもなんでもいいのだが、恥ずかしい。
 私はある意味自尊心との死闘を繰り広げていた。

 大の大人が花金に一体何をさせられているのだ?
 本当ならソファに寝転がってテレビを見たいのに…

 ちなみに彼は鎧を身に纏っていない。
 作るのが面倒だったのだろう。
 代わりに「敵役」とおでこに書かれたこれまた貧相なお面を装着していた。

「ハナちゃん、そろそろ…」
「えっ?あっ…はい。それじゃあ…うっ!!」

 どうやら死闘シーンが長かったようだ。
 私は剣と盾を適当に放り投げる。
 誇り高き女騎士はこうしてあっけなく負けてしまった。

 その後、私は手芸ゴムで腕をしばられ移動する。
 次のシーンへの移行だ。
 まぁ移動と言っても1mほどしか動いていない。
 私は彼の作った精巧な鎧のおかげでひざが曲がらないので、地面を擦るようにして歩いた。
 移動を終えると、準備が始まる。

「ハナちゃん、ちょっと手を上げて」
「手?でも肩当てがあってあんまり上がらないよ」
「ちょっと上げるだけでいいよ。鎖を手につなぐだけだから」
「えっ?鎖?」

 まさかホームセンターに行って鎖でも買ってきたのか?と思った瞬間、彼が持ってきた鎖を見て私は吹いてしまった。

「あぁ、鎖ってそれね」

 彼が持ってきた鎖。それはなんとも可愛らしい鎖だった。
 幼稚園や小学生のときに、お誕生日会などで見かける、折り紙で作った「輪つなぎ」だった。
 そんな可愛らしい鎖に私の手は繋がれる。
 そしてその可愛らしい鎖は、壁にセロテープで止めてあった。
 子供番組の工作かな?

「これ作ったの?」
「うん、久しぶりで楽しかった」

 これから起こるであろう卑猥なシーンとはかけ離れた微笑ましい時間だった。

「よし、ハナちゃんはいいね。後は敵役を」

 そう言うと、彼は近くにあったぬいぐるみに先ほどの敵役お面を被せた。

「あれ?ヒロくんが敵役じゃないの?」
「あぁ、ボクはもっと重要な役があるから」
「…作用でございますか」

 さぁ、本日のメインディッシュが始まる。

「くっくっく。ハナよ。大人しくするがいい」

 彼はぬいぐるみを手に持ち、鎖に繋がれた私に話かけてくる。
 腹話術とかそういうのは一切ない。
 思いっきり口をパクパクさせてしゃべってくる。
 そのぬいぐるみを使う必要はあったのだろうか?
 彼が二役を務めればいいだけだったのでは?

「ハナちゃん?ハナちゃんの番だよ」
「あぁ、ごめん…えっと…」

 本当に言わなきゃいけない?
 楽しいけど、自尊心がだいぶ削られてしまってきついのだが…
 だが私がこのセリフを言わなきゃ先へと進まない。
 覚悟を決めるしかない。

「くっ…こ、殺せぇ。おまえたちに…は、辱めを受けるくらいなら……わ、私は…誇り高き死を選ぶ」
「何を言う。お前のような美人騎士をそのまま殺すはずがなかろうて。ぐっふっふっふっふ」
「た、たとえこの身を…よ、汚されようとも…わ、我が心だけは、決して屈することはない」
「ぐっふっふっふ…いつまでそんな強がりを言っていられるかな?」

 そう言うと、悪役のお面を被ったぬいぐるみが私に近づいてくる。

「や、やめろーーー!!」

 や、やめてぇ!!さっさとやめてぇ~!!

「女騎士が悲鳴を上げたそのとき…1人の男がやってきた…」

 あっ、ここでナレーション入るのね。

「だ、だれだ!?」

 彼はぬいぐるみを巧みに動かし、後ろを振り返る。
 それから彼はそのぬいぐるみを置き、足早にどこかへ行ってしまった。
 忙しいこって…

 すると、サークレットをはめ、剣と盾を持った彼が現れた。
 サークレットには「王子様」とマジックで書かれていた。

「ぶー!!」

 私はそれを見て思わず噴き出してしまった。
 そんな私を他所に彼は真面目に演技を続ける。
 ピクリとも動かないぬいぐるみに向かって。
 あーだこーだ言っている。
 そして、彼はその動かないぬいぐるみに非常にも切りかかり、切り殺してしまった。
 ぬいぐるみはこてっと倒れた。

 王子様は「もう大丈夫だよ」と言わんばかりの優しい顔をしながら「輪つなぎ」を外す。

「あ、ありがとう王子様」
「さぁ、帰ろう」

 そう言うと彼はロボットに限りなく近い女騎士の私をお姫様抱っこし、歩いて行くのであった。
 ちゃんちゃん。

 はぁ…精神的に疲れた。

「あのさぁ、ハナちゃん…」

 妄想劇を終えたばかりで、彼はまだ私をお姫様抱っこしたままの状態だった。

「ん?どうしたの?」
「ちょっと太った?」
「————!!」

 私の表情はピキリと曇る。

「んだとこの野郎!!」

 せっかく王子様に救ってもらったけれど、私はその王子様を殺すことにした。
 首を絞めようと腕を動かす。
 しかしその反動で、肩当てが取れてしまった。

「ごめん、ごめん。冗談だって!!」

 今日も平和に妄想劇が幕を閉じた。


 鎧を脱ぎ、後片付けをする。
 今日の小道具、鎧や鎖こと「輪つなぎ」は取っておくらしい。
 続編があるかもしれぬとのこと。
 恐ろしい…

「さぁ、ここからは私の時間よ。ひざ枕ぽんぽん券を使わせてもらいます」
「え~!!今日はもう疲れたよ~」
「ダメだよ、逃がさないわよ」

 私は元気を取り戻したかのようにぴょんぴょんと動き回り、財布の方へ移動する。
 そして、財布から「ひざ枕ぽんぽん券」を取り出そうとしたが…

「あれ?ない!!ひざ枕ぽんぽん券がない!!」

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