第4話 その恋が手から離れたとき

 私という人間は、一般的に見ればモテる部類に入るのだろう。
 男性からよく好意的なアプローチを受ける。
 嫌われるかもしれないが…正直、男に困ったことがない。
 非常にありがたいことだ。
 でもだからと言って、男をとっかえひっかえしているわけでもない。
 恋が終わってしまったときは普通に傷つくし、彼氏を作らずに過ごす日々もあった。
 人並みにしか恋愛はしていない。

 そんな私が恋愛をしてきた中で、忘れられない人がいる。
 その人は所謂、普通の人だった。
 特別カッコいいわけでもないし、スタイルがいいわけでもない。
 なんならちょっとブサイクの部類に入るかもしれない。
 肩書きだって普通のサラリーマンだった。
 なぜその人と付き合うことにしたの?と問われたら、なんとなくというのが答えだ。
 本当になんとなく…付き合ってもいいかな?そんな気持ちで付き合い始めた。
 強いて言えば…一生懸命だったからかな?
 その姿が私の心をくすぐった。

 友達にその人と付き合っていることを告げたらびっくりしていた。
「今までと全然違うね」
「正直、釣り合っているように見えない」
 そんなことを言われた。
 それもそのはず。
 私が今まで付き合った男性は、学生時代も社会人になってからもステータスの高い人たちだったから。
 カーストという言葉はあまり好きじゃないけれど、間違いなく上位に入っている人たちだろう。
 幸運なことに私はそんな人たちと付き合うことができたのだ。
 それを知っている友達にとって、その人は物足らないように見えたのだろう。
「もっと他にいい男がいるのに…」
 そんなことを言われた。

 その人との恋愛は燃え上がるようなものではなかった。
 堅実と言えばいいだろうか?
 時間がゆったりと流れるようなのんびりした恋愛だった。
 その恋愛に不満があったわけではない。
 不満がないわけではないが…何かこう、物足らなかった。
 私は知らないうちに刺激を欲しがっていた。

 ある日、友達と食事に出かけた時、そこで1人の男を紹介された。
 その男を一目見て、カッコいいと思った。
 聞くところによると、ベンチャーを立ち上げて活躍もしているようだ。
 私のメスとしての本能が、その男を「強いオス」と認めていた。
 でも私は彼氏がいることをちゃんと告げた。
「別に食事するくらい、いいんじゃない?」
 友達にそう押し切られてしまった。
 その男も話が面白くて、ついつい私もそれに乗せられてしまった。
 2人きりで食事する約束を受けてしまった。

 その男はとてもオシャレなお店に連れて行ってくれた。
 背伸びをするわけでもなく、当たり前のように。
 お店の中でも男は自然体だった。
 相変わらず男との会話は面白かった。
 何より男は自信に満ち溢れていた。
 知らずの内に私は惹かれていた。

 その後も男と私は食事デートを繰り返した。
 そして帰り道、その男といい雰囲気になり、私はその男とキスをした。
 男はキスをするのが上手かった。
 そのまま流れに身を任せ…その男と私はセックスをした。
 男はセックスも上手かった。
 女の扱いに慣れている感じだった。
 セックスを終えた後、男に言われた。
「俺たち、付き合おうよ」
 私は黙って頷いた。
 男は私が求めていた刺激を持っていたのだ。
 私と男は付き合うことになった。

 私はその人と久しぶりに会うことにした。
 その人に別れを告げるためだ。
 好きなことができたことを正直に話した。
 キスをして体を許したことも話した。
 もちろんその人に謝った。
 しかし、その謝罪は私の中にある罪悪感を軽くするためのものでしかなかった。
 その人にとっては、私の謝罪は何も意味をなさなかった。
 その人はとても落ち込んでいた。
 目からは涙がこぼれていた。
 非常に胸が痛かった。
 罪悪感で押しつぶされそうな気持ちになった。
「別れるしかないんだね…」
 その人は苦しそうにその言葉を吐き出した。

 その人と別れてから3ヶ月後、新しい彼氏となった男とデートをしているとき、私はその人のことをふと思い出していた。
 男との恋愛は非常にきらびやかだった。
 めずらしい場所に連れて行ってくれるし、プレゼントだって頻繁にしてくれる。
 刺激的で非常に楽しかった。
 でも、私はなぜかその人とのんびり過ごした時間を思い出していた。

 1年後。
 私は男と待ち合わせをしているとき、その人を見かけた。
 別れてから初めてその人の姿を見た。
 私は無意識に手を伸ばしていた。
 でも彼の腕を掴むのは私ではなかった。
 その人の腕には新しい彼女と思われる女が抱き着いていた。
 その女はとても愛くるしい笑顔を向けていた。
 とてもきれいな女性だった。
 私とは比べ物にならなかった。
 その人は女の頭を優しそうに撫でていた。
 穏やかな表情で。
 かつての私がその人にそうしてもらえたように…

 私は胸が締め付けられる思いがした。
 見ているのがとても辛かった。
「ごめ~ん。お待たせ!!」
 ちょうどその時、男はやってきた。
 私は男の腕を引っ張り、その場を逃げるように立ち去った。
 一刻も早くその場を離れたかった。

 その日は男に寂しさを埋めるように抱いてもらった。
 相変わらず男はセックスが上手い。
 ピンポイントで気持ちいいところを責めてくる。
 でも私が求めているセックスに、そんなテクニックは必要なかった。
 私が求めていたセックスはその人がしてくれたような、優しいセックスだった。
 その人は男のようなテクニックを持ち合わせていなかったけど、全てを包み込んでくれるような、とても優しいセックスだった。

 私は確信した。
 1年前のあの日、私の手から離れて行った恋は、かげかいのないものであったことを。
 その人は私の心に安らぎを与える存在であったのだ。
 私が気付かないだけで、私はその人に満たされていたのだ。

 数日後、私は理由を言わず、男に別れを告げた。
 非常に自分勝手なのは分かっている。
 でも男はすんなりとそれを受け入れてくれた。
 男が私のことを好きだったことは間違いない。
 現に、
「また気が向けばいつでも」
 そんなことを言っていた。
 男は私のことを好きだったが、別に私の穴を代わりに埋められる他に夢中になれることがたくさんあったようだ。
 私にとって、男がかけがえのない存在になれなかったように、男にとっても、私はかけがいのない存在になれなかったようだ。

 男と別れた後、私はただ町を歩いていた。
 その時偶然、その人が前から歩いてきた。
 今度はその人も私の存在に気づいた。
 その人は驚きの表情を見せ、反転してその場から立ち去ろうとする。
「待って!!」
 私はその人の手を掴んでいた。
 その人の温もりを感じるのは1年ぶりのことだった。
「少しだけ…少しだけ話をさせて」
 その人は渋々了承してくれた。

「この喫茶店に入るの…久しぶりだなぁ」
 私たちは喫茶店に入っていた。
 その喫茶店は2人が付き合っていた頃よく利用していたお店であり、私がその人に別れを告げたときもこの店であった。
「………」
 話をさせてと言ったのに、私は話すことができなかった。
 代わりにその人が話をしてくれた。
「君と別れてからも、しばらくの間ずっと君のことが頭から離れなかったんだよ。ごめん、女々しいよね。でもボクは君のことが大好きだったから」

 大好きだったから…
 その言葉を聞いて、私は胸が満たされるのを感じた。
 でもすぐにその想いは後悔という波に押し流された。

「何をしていても、ボクは君のことに結び付けてしまった。不思議だよね、別れてしまったときの方が想いが強くなるだなんて。でもボクにとって君はそれほどかけがえのない存在だったんだ」

 私は後悔した。
 その人と別れたその日よりも後悔していた。
 自分がその人の気持ちを踏みにじってしまったんだと。
 一方的に切り捨ててしまったんだと。
 自然と涙が溢れてきた。
「ごめんなさい、ごめんなさい…」
 私は何度も謝っていた。
「顔を上げて。ボクはもう大丈夫だから」
 そのときの彼はいつもの優しそうな顔をしていた。
 私が落ち着くまでその人は何も言わずただじっと待ってくれていた。

 落ち着いた私を見て、その人はまた話を始めた。
「最近さ、やっと新しい彼女ができたんだ」
 それは多分、私がこの前見かけた女のことだろう。
「知ってる…この間、偶然見かけたの」
「…そうだったんだ」
「とっても素敵な人ね」
「うん…ありがとう」
 その人は嬉しそうに笑っていた。
 それと同時に私は改めて実感した。
 私のこの想いは、その人へ届かぬことを。
 もしかしたら、その人も私の気持ちを察していたのかもしれない。
 私たちはそのまま黙ってコーヒーを飲み、店を出た。

「じゃあね」
「…うん」
 これでお別れと思うと、私は名残惜しそうな顔をしてしまった…ダメなのに。
「幸せにしてあげられなくてごめんね」
 あぁ、私は最後の最後まで…その人に甘えてしまった。
 ちゃんと伝えなければ…自分の気持ちを。
「ううん、私はあなたと付き合えて、とってもとっても幸せでした。どうもありがとう」
 私はその人にとびっきりの笑顔をしてみせた。
 その人も同じように笑ってくれた。
「ボクも幸せだったよ。どうもありがとう」
 私たちはそれぞれの方向に向かって歩いて行った。

 時に幸せは、自分の手から離れたとき、その幸せをより実感することがある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?