妄想その16

―妄想終了後―

 佐々木さんが部屋に帰った後、私は彼にひざ枕をしてもらっていた。
 でも彼はポンポンとしてくれない。
 なぜなら彼はシンデレラのいじわるな次女役を演じたときに使ったエプロンのフリフリを取っているから。
 というわけで今日は「ひざ枕ポンポン券」の消費していない。

「結構大変そうだね、フリフリ取るの」
「簡単に縫ったけど、気合入れてたくさんつけたからね」

 彼は糸くずを残さないように入念に取っていた。

「ところで、妄想劇のことだけど…別に佐々木さんとヒロ君が結ばれる展開があってもいいからね?」
「う~ん、まぁそうなんだけどさぁ」
「そんなに過敏になる必要なるんじゃない?」
「まぁボクも佐々木さんとは男女の友情は成立すると思うんだけどねぇ…」

 男女の友情。
 それを聞いた私は少しだけ眉が動いた。
 でも彼は気付いていない。
 彼はエプロンのフリフリを取るので忙しそうだから。
 
 以前の私なら「男女の友情は成立する」と思っていた。
 しかし、今の私は違う。
 なぜなら田中君の一件があったからだ。
 男女の友情は成立するという私の持論はぐらぐらと揺れ始めている。
 かといって今の彼は、やはり少し過敏な気がする。

「ヒロ君が私のことを好きでいてくれるんだからそれで良くない?」
「その点は安心して。ボクはハナちゃんが大好きだから」
「ならいいじゃん」
「うん、分かった…よし、ちょうどフリフリも取り終えたし、ひざも疲れて来たからひざ枕は終了です」
「え~、もうちょっと~」
「ダメ、もうお風呂入る」
「あたしが先に入る!!」


 ―ある平日の夜—

 ヒロトはハナの帰りが急遽遅くなると連絡が入る。
 時計の針は午後8時を指している。
 今連絡が入ったのだから、帰りは相当遅くなるのだろう。

「ハナちゃんまだ帰って来ないなら、今からスーパー行こうかな?」

 ヒロトは近所のスーパーへ向かう。
 スーパーへ着いたのは閉店30分前の午後8時半。
 さすがに客の数はまばらだ。
 そして商品もまばらだ。
 いつもは高く積まれた野菜たちがたくさんの客に買われ、今ではひっそりとしている。

「キャベツ売り切れちゃってるじゃん、失敗したなぁ」

 ヒロトはこの時間に来たことを後悔したが、

「あっ、お肉値引きシール貼ってある。ラッキー」

 すぐにその後悔を値引きシールで相殺した。

 そのままヒロトは惣菜コーナーへ向かう。
 ヒロトは基本惣菜を購入しない。
 寄る必要もないのだが、総菜を見て、次に作る料理のヒントを得るためだった。
 この時間に置いてある惣菜には全て値引きシールが貼ってある。
(—まぁ売れ残ったらこれは必ず廃棄だしなぁ)
 そんなことを思っていたら後ろから声が掛かる。

「ヒロトさん?」

 ヒロトが後ろを振り返ると、そこには惣菜を手に持つ佐々木がいた。

「あ、佐々木さん…こんばんは。佐々木さんも今お買い物ですか?」
「えぇ…」

 外で出会ったこと、そしてヒロトと佐々木が2人で会うのは初めてのことで、2人には若干の気まずさがあった。
 お互い気恥ずかしそうにしている。
 その恥ずかしさをかき消すように話し始めたのは佐々木だった。

「この時間から夕飯を作るのは面倒で…。どうしてもお惣菜に頼っちゃうんです」
「それはしょうがないですよ」
「いえいえ…ヒロトさんは何かお惣菜買われたんですか?」
「いえ、ボクは…料理の参考に…」
「しっかり自炊されるんですね。偉いわぁ」
「そんな…でもたまに買うことがあるんですよ」

 そんな談笑をしながら2人は会計を済ませ、店を出た。

 2人はまた緊張を覚える。
 店を出たのでスーパーの話題はもう話せない。
 何を話そうか2人とも決めあぐねている状態だ。

「あの…今度はどんな妄想劇にするんです?」
「いやぁ、まだ決まってないんですよ。なかなか思い浮かばなくて」
「そうだったんですね…もしかして、私が入ったせいで苦労かけてます?」
「そんなことないですよ。ただボクがサボって考えてないだけですから」
「お優しんですね、ありがとうございます」

 会話が途切れ、無言が続く。
 ヒロトと佐々木はまだこの無言の状態が気にせずにいられるほどの関係ではない。

「ところでヒロトさんは今日お仕事お休みなんですか?」

 佐々木はヒロトが普段着だったので、そう予測していた。
 しかし、ヒロトの返事はない。
 代わりに俯いている。

「ヒロト…さん?」
「あ~それなんですけど…ボク…今無職なんです」

 ヒロトは笑いながら答えた。
 それは負い目を必死に隠しているようだった。

「そうだったんですか…」

 佐々木は納得した。
 まだ数えるほどしかヒロトたちの家に訪れていないが、ヒロトはいつも家に居た。
 そしていつも彼が料理を出してくれた。
 それはヒロトが無職だったからだ。

「ボクの実力不足で業務に付いて行けなくて。どんどん空回りしちゃって…そのまま」

 ヒロトは相変わらず頭を掻きながら笑って答えていた。
 だが佐々木の顔を見て話すことはなかった。
 やはり負い目を感じているからだろう。

「大変だったんですね、なんかごめんなさい」
「そんな…謝らないでください。佐々木さんは何も悪くないんですから」
「…ありがとうございます」

 佐々木は話題を切り替えようと次に話す内容を考えていた。
 しかし今度はヒロトから話し始めた。
 自分の気持ちをさらけ出すような顔をして。

「だから今のボクはハナちゃんにおんぶに抱っこされているような状態なんです。所謂ヒモってやつですね。お恥ずかしい…」
「そんな…」
「会社辞めて、無職になって、貯金を切り崩しながら生活して…みるみるうちにお金が無くなって…仕事しなきゃいけないって思っているのになかなか一歩を踏み出せなくて…もうアパート引き払って実家に帰ろうかなって思ったときにハナちゃんに出会ったんです。それで今一緒に暮らしているという感じです」
「そうだったんですか…」
「ハナちゃんに甘えちゃってばかりで。情けないですよね…」

 そう言うと、ヒロトはまた俯いた。
 すると佐々木は立ち止まる。

「ヒロトさん」

 ヒロトも立ち止まり、斜め後ろを振り返る。
 佐々木はヒロトのことをまっすぐに見つめていた。

「ハナちゃんは今のヒロトさんを見て、文句を言っていますか?怒っていますか?嘆いていますか?」
「いえ…ハナちゃんはそんなこと一度も——」
「——だったらそれで良いじゃないですか。ハナちゃんが今のヒロトさんを受け入れてくれているなら。ハナちゃんは働けって言わないんでしょう?」
「それはそうなんですけど」
「税金を納めているか納めていない点で見れば、それは税金を納めている人が素晴らしいのかもしれません。でも働いている人と働いていない人どちらが素晴らしいかなんてそれは一概に決められません。それに今、あなたはハナちゃんを家事するという点で立派に支えています。お金は発生しないかもしれませんがそれも立派なお仕事です。ハナちゃんと通勤が一緒になったときいつも言っているんですよ。ありがたいって。ヒロトさんの作るご飯はいつもおいしいって」
「………」
「世間に対し肩身が狭いかもしれません。負い目を感じるかもしれません。でもだからと言って、自分を責める必要はないんじゃないでしょうか?だってあなたはハナちゃんの素敵な笑顔を作っているんですから」
「…ありがとうございます」

 ヒロトは頭を下げた。
 こぼれそうな涙を隠すように。
 非難されて当たり前のような今の自分を認められたことが嬉しかった。
 どこかで自分のことを「こんな自分」と思っていた。
 でも佐々木がヒロトを肯定したことで、ヒロトは自身の卑下する自分が消えて行く気がした。
 それは心のよどみが消えて行くように。

 このよどみはハナでは取り去ることはできなかった。
 第三者の立場である佐々木にしかできないことだった。
 ヒロトは佐々木のことを心から感謝し、そして心から信頼しようと思った。

「さぁ、ヒロトさん。帰りましょう!!」
「はい!!」

 その後、2人は次の妄想劇の話をしながら仲良く帰った。


 ―ハナ帰宅―

「ただいまぁ~」

 私はため息混じりに声を出す。

「おかえり、ハナちゃん。お疲れ様」
「ヒロくぅ~ん。疲れたよ~」
「大変だったねぇ。ご飯すぐに用意するからね。どうする?もう日付変わりそうだし、簡単なお茶漬けとかにする?」
「うん、そうする~」

 私は彼に用意してもらったお茶漬けと漬け物を口の中へと運ぶ。

「はぁ~、おいしぃ」

 おいしい物が私の疲れた体を癒す。
 こんなおいしい物を食べられるのも彼が用意してくれるおかげだ。
 もし私1人だったらと想像するとゾッとする。

「ごちそうさま~、おいしかったぁ~」

 私は姿勢を崩し、お腹をさする。

「あはは、お粗末さまでした。お風呂すぐに入るよね?」
「あ、うん」

 すぐにお風呂に入らなきゃいけないのに、立ち上がれない。
 もう少しゆっくりしよう。

「さっき、佐々木さんとスーパーで一緒になったよ」
「あぁ、さっきメールで教えてくれたよね?」
「うん…それでね…話したよ、佐々木さんに。ボクが無職だってこと」
「————!!」

 私は目をつむりながら話を聞いていたが、びっくりして姿勢を正す。

「それでどうだった?どういう反応だった?」
「自分を責める必要ないって言ってくれた」

 そのときの彼は非情に嬉しそうな顔をしていた。
 そんな彼の顔を見て、私も嬉しくなった。

「そう、良かった。佐々木さんもそう思ってくれて」
「嬉しかった」
「私も嬉しい」

 私もまた佐々木さんに心から感謝し、心から信頼しようと思った。

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