妄想その7

「ハナちゃんごめん。もうちょっと詳しく教えてくれる?」

 その声は明らかにいつもとは違っていた。
 いつもの彼の声を言い表すなら「優しさ」という言葉が的確だろう。
 そして丸みを帯びている。
 しかし、今の声にはそれがなかった。
「不安」、「焦り」…そして「悲しみ」。
 そんな思いが込められた言葉には丸みなど感じられるはずもなく、代わりに刺々しさが私を襲う。
「不安」、「焦り」。
 そして「悲しみ」の代わりに「恐怖」という感情を芽生えさせた。

 だけど今の私の心の中を支配していた感情は「後悔」だった。
 不用意な発言をしてしまった。
 10秒。たった10秒でいいから時間を戻してほしい。
 その10秒があれば彼の負の感情をかき消してみせる。

「——ごめん」

 彼の言葉と共に私は現実へと引き戻され、世の中の歯車は回り始める。
 これまでの私に湧き起こる情動は、世界に何ら変化を生じさせないほどの刹那の中で起きていた。

 彼は私の表情を見て察し、我に返ったのだろう。彼らしい。
 そしてその声もいつもの彼らしい声だった。

「ごめんね、こんなことで動揺しちゃって。女々しいよね」

 彼は申し訳なさそうな顔を浮かべる。
 その顔がまた私の心を締め付ける。

「ハナちゃんは何も悪くないからね。本当にごめんね」
「ううん、私も不安にさせてごめんなさい。今日の飲み会のこと…全部話します」

 私は話した…関係のないことまで事細かく全部。
 後輩ちゃんとの話の流れで田中くんのことをカッコいいと言ったことについても包み隠さずに話した。
 間違っているかもしれないけど、それが私の彼にできる最大限の誠意だと思ったから。
 まぁ私がひざ枕を拒否した部分については誇張して話した。
 てっきり怒られると思ったけど、帰って来た第一声は褒め言葉だった。

「そっかぁ…ハナちゃんはモテモテだね」
「でもあれだよ。田中くんは最後冗談って言ったんだよ」
「ハナちゃん…それ冗談じゃないよ。田中くんは間違いなくハナちゃんのことが好きなはずだよ」
「え?どうして分かるの?」
「男の勘です」
「男の…勘?」
「まぁ女の勘と比べれば精度はグッと下がるけど…でも田中くんのことに関しては間違いないと思うな」

 彼は割かし自信を持って答えていた。
 私としては疑心暗鬼なんだけど、男の彼がそう言うのなら間違いないのだろう。

「不安にさせてごめん。安心できないかもしれないけど、でも安心してって言わせて。私が好きなのはヒロくんだから。田中くんのことは何とも思ってないから」
「…ありがとね」

 彼はいつものように私の頭を優しく撫でてくれたが、いつものように安心感を抱くことができなかった。
 きっとそれは彼が「こんな些細なことで不安に掻き立てられて申し訳ない」という感情から起こした行動だからだろう。

「まぁ、でも…本当はボクが頑張んなきゃいけないんだよね」

 彼はため息を吐きながら軽く笑う。

「永遠の愛を誓うってよく言うでしょ?ボク、あの言葉がいまいちピンとこないんだよね」
「…どうして?」
「永遠の愛って言うとなんだか縛られる感じがしない?それが変だと思うんだよね。好きって気持ちは強制させられるものじゃないと思うんだ」

 確かに…一理ある。

「仮に田中くんじゃないけれど、魅力的な男性が現れて、その人はボクよりもずっと素敵な人だったとする。そんな魅了的な人をハナちゃんが好きになったとしてもそれは仕方のないことだもん。悔しいけど、ぐうの音も出ないもん」
「私そんなこと——」
「——だからね、ボクがハナちゃんにとって一番の存在であり続けるために頑張んなきゃいけないんだよ。ずっと好きでいてもらえるように」

 彼は笑って力こぶを作る仕草をする。
 でも残念ながら腕は細い。

「負けないように頑張るね」
「ヒロくん…」

 私は彼に抱き着いた。

「ヒロくんはぶっちぎりで1位だから今のままで大丈夫だよ。それに2位なんていないから」

 ぎゅっとした後、彼は両手で私の肩に手を置く。

「じゃあさ…今ひざ枕してくれる?」
「もちろん!!」

 私は太ももを叩き、彼に寝転ぶように促す。
 すると彼は喜び、飛び込むように私の太ももに頭を着水させる。
 私は彼の頭を撫でる。
 今日はいつもと立場が逆だ。

「まぁ彼氏としては彼女がモテるのは嬉しいというか、優越感に浸れるところなんだけど…」

 彼は急に反転してうつ伏せになり、そして足をバタつかせる。

「ちきしょー!!田中の野郎―!!」
「あっははははは」

 いつもの彼だ。いつもの彼が戻って来た。
 彼は今、やきもちを妬いている。
 申し訳ないのに…でもちょっと嬉しい。

 ひとしきり足をバタつかせた後、彼はまた反転して、仰向けなる。

「ハナちゃん、男の勘からすると、田中氏はこれからもハナちゃんにアプローチすると思うんだ。だからもしハナちゃんが嫌じゃなかったらアプローチ受けたときボクに報告してくれない?」
「そんなアプローチなんてされることないけど…」
「いーや、絶対にあるね。田中氏はハナちゃんのことがLOVEだね」
「う~ん、でも報告なんてしてどうするの?嫌じゃない?」
「女々しいかもしれないけど、ボクの知らないところで何かあるより、聞いて苦しんだ方がマシだから。それに…」
「それに?」
「妄想の糧になる!!」
「あっ…そ」

 私の彼はとんだ妄想好き野郎である。

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